『宣教者たちの支え』マリアの宣教者フランシスコ修道会 斉藤ハツエ
「只今!!」「お帰りなさーい。ご苦労さまでした!!」私の住んでいる本部修道院の玄関は、宣教地から帰省して来るシスター達と、再び宣教地に出発するシスター達の出入りで賑わう。
五年間の宣教の後、三カ月の休養のため帰省するシスターたちは、いずれも、日ばかりが輝いて、身体は出発する時の半分ぐらいに痩けこけている。無理もない。食糧不足の現地で働き、疲れて帰って来るのだから…。この三カ月間で、元の体重に戻るようにと、迎える私たちは気と心を使う。 一九九一年の末から一九九二年にかけてのシスターたちの帰省は二〇名に達した。その宣教地はザイール、ペルー、アルジェリア、フィリピン、マダガスカル、韓国、アンゴラ、エジプト、ブラジル、ケニア、エチオピアなどである。 今はどの宣教地も動乱と貧困の中で、不安な日々を過している。 ザイールでは、ベルギーの軍用機によって三人のシスターが救出された。彼女たちは、動乱が少し収まったと聞くと、急いでザイールに戻って行った。日本大使館も移動し、商社マンも不在のザイール、しかし、そこにはシスター達の手を待っている病人、身障者の子供たち、飢えにあえぐ多くの人々が居る。 美味しい日本の食物を沢山食べて、太ってから帰って欲しいと思う私たちの心を振り切って、元気よく出かけて行く宣教女たちの姿に、日に熱いものを堪えながら送り出す私たちである。 エチオピアの動乱の時、日本人、外国人が全員引揚げた時、シスター達はずっと残って、病人の世話をしていた。外務省の邦人保護課から毎日のようにエチオピアの情報が入る。それを両親に伝える。 「あの娘は修道院に入る時、お父さん、お母さん、私は一粒の麦に鋸なるつもり」と決意を述べていたからとの父親の反応に「でも、ご心配でしょう」と問いかけると、娘を思う父の心が伝わって来る。 「そうです。娘を神に捧げて祈っています」電話のあと、健気な親心に涙することしばしば。 宣教者たちのうしろには両親、家族の奉献の痛み、深い祈りと信仰の精神が支えとなっている。 「海外宣教者を支援する会」も小さな苗から始まって十年の年輪を数える大きな樹になりつつあり、会の中心になって一致を支えておられるローシャイタ神父様をはじめ、きずな″の編集に力をこめておられる八巻氏、元気一杯に「会」を活気づけて下さる樋口さん、会の財政を上手に切り回す吉岡さん、宣教の重みを携えて帰って来る宣教師、宣教女の世話を、いつも心よく引き受けてくださる八幡さん、善意に溢れた理事の方々、とくに宣教者たちのために、援助の手を差しのべて下さる会員の皆々様、この支えによって宣教者たちの働きは、世界中に実を結んでいるのです。…帰省すると直ぐに、支援する会に挨拶に出かけて行く彼女たちの後ろ姿には、「会」への厚い信頼と感謝が盗れているのです。 この十年間を省みて、十一年を踏み出す会の上に、神様の祝福を祈り、会の発展のために、会員の皆様の変らないご援助を心より、お願いいたします。 『第40回役員会報告』「会」の第40回役員会が、92年3月23日(月)午後6時から中央協議会々議室で開かれ、次の案件を審議、決定した。
『援助決定』(1992.3.23決定分)
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