『常在戦場』海外宣教者を支援する会 理事太田正巳
最近偶然に「常在戦場」という今は古ぼけた言葉が目に触れる機会があった。この四文字を眺めているうちに、この言葉が現実に使われた、あの第二次大戦時の環境には全く似つかわしくないある人の面影がダブって浮かんできたのが、われながら不思議だった。
その人の名は、アルド・レベスキーニ。私が初めてローマでお会いした時は、パウルス6世に招かれて、メルボルンの大司教から、ある聖省の長官に移って来られたジェームズ・ノックス枢機卿の秘書だった。レベスキーニ神父は、国籍はオーストラリアであるが、その名の示すとおりイタリア系の移民の二世で、完全なイタリア語を話したから、ノックス枢機卿にとって実に便利な補佐だった。 ノックス枢機卿は、レベスキーニ神父をわが子のように愛しておられた。枢機卿はサン・ピエトロ聖堂のすぐそばの枢棲卿館(といっても実は簡素なアパート)に、インドのゴア出身のシスターと三人で静かに暮らしておられ、神父は、秘書役の他に枢機卿の運転手であり、実に重宝な便利屋であり、一切の故障の修理係も兼ねていた。機械に感い人で、枢機卿館の年代物のテレビの故障は、この神父でなければ直らなかった。古いカメラを大事にしておられ、素人離れした上手な写真を振られた。 レベスキーニ神父は、何事にも控え目な静かな方で、痩せこけた体と、物凄い豪州靴の英語が少々滑稽な感を与えたことも否めない。 従って、その内に秘めた火に気付くのには時日を要した。他人に奉仕するためには、何時でも、全身全霊を投げ棄てるように、普段から自分をプログラムしているという人だった。猛火を冒して人命救助に当たる人はいるだろう。しかしこの神父は、あの火の中に赤児がいると聞いただけで、取り立てて、何らの特別の決意も考慮もす鋸ることなく、まったく自然に火の中に飛び込める人だった。 次に紹介する話は、神父の役割が少々コメディアン染みていて、余り適当な例ではないが、当時新聞にも報道された実話である。 一九八二年の夏、インドネシアのある島が大噴火し噴煙を高く吹き上げた。そこをフィリピンからオーストラリアに向かう族客機が何も知らずに突入し、エンジンが粉塵のためすべて停止してしまった。機長は、滑空で時間を稼ぎながら、何とかエンジンをスタートさせようと努力したがうまくいかない。飛行機はどんどん高度を下げ、機長は遂に着水の決心をし必要な指令を出した。パニック状態に陥った機内に、ただ一人平和に眠りこけている乗客がいた。これがわがレベスキーニ神父である。呆れたステユワーデスがたたき起こして、簡単に状況を説明し、救命胴衣を着けさせようとすると、「実の上に出る方法はないか。自分にエンジンを掃除させてみてくれ」というのが、寝惚け眼の神父の最初の返事だったという。機長は勿論この申し出を許さなかったが、幸いエンジンは着水寸前にスタートし、大事には至らなかった。 この、真に「常在戟場」の精神を身につけたキリストの兵士は、いま、メルボルンの近くの小さな町の教区の司祭をしておられる。 『第32回役員会報告』「海外宣教者を支援する会」の第32回役員会が、三月二十六日午後六時から中央協議会会議室で開催、次の案件を審議、決定した。
『援助決定』(1990年3月26日決定分)
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