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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アジア』






『なかなか出来ない日本人集会』

〜マカオ〜
聖パウロ女子修道会 金崎ハル
 マカオでは、何年か前に、信者、未信者を問わず(大多数は未信者)日本人の集会 が結成されつつあったのですが、まだ軌道に乗らないうちに、種々の事情のために…立ち消えの状態です。
 在住日本人の大部分の方々は、観光ガイドをしておられるので、一定の休暇がないため、集会困難というのが、大きな原因の一つと言えますし、それに、中心となって働くべき私自身が使徒職のための人手不足で時間がないのも、その理由です。
 幸いに、最近、こちらでも、日本のシステムのものも使えるビデオを持っておられる方々が多くなりましたので、以前、日本から送って頂いたまゝ眠っていたビデオテープが、最近、ようやく働きはじめました。ここでは精神的、霊的な塩がもっともっと必要とされていますので、内容のより良いビデオテープを取り寄せて、各家庭に回すと…大いに役立つのではないかと期待しております。






『イスラム、.キリスト教の共同体で』

〜フィリピン〜
ベリス・メルセス宣教修道女会 吉屋孝子
 フィリピン・ミンダナオ島サンボアンガ市〜私が当地に赴任してから3年になろうとしております。
 サンポアンガ市の夜明けは、5時のイスラム教徒の祈りの声が、市中にこだまするところから始まると云ってよいでし上う。
私どものメルセス会は、ここに(ある)二つの難民共同体を手伝っています。彼らはマルコス大統領の時代に、島全体焼き打ちにあって、追われたり、逃げて来た人々です。
 この二つの共同体は、イスラム教徒とキリスト教の家族、78家族00と他の方は81家族です。ここで、私どもは、健康、衛生、教育、生活上の諸問題にわたって、かかわっています。

イスラムの村
イスラムの村






『物価高と、厳しい医療状況』

〜フィリピン・イサベラ〜
聖母訪問会 遠藤マツエ
 …フィリピンの…今年の四月は雨が一度も降らず、地割れがあちこちで見られました。…糧まきをした農民たちにとって頼みの綱は雨、必死で雨乞いの祈りをした彼らの願いも空しく、多くの畑は無収穫となりました。…それに加えて、物価の上昇、とくに、米、肉類の上昇が目立ち…農民はますます貧しい生活を余儀なくされています。
 …ある日、厳しい暑さの中を、母親に連れられて一人の少年がクリニックにやって来ました。…一週間前にマラリアに罷り…体全体がだるいとのこと、すぐ、患者の血色素を検査してみました。なんと2・5g(正常値は14〜16g)、よくもクリニックまで歩いて来られたものだ…この少年は13才で、ハイウェイから旭キロ入ったサンマリアノという山の麓からやって来たのでした。母親に輸血の必要性を説明しましたが、お金がなく、やっと、交通費だけ準備して来たとのこと。輸血は一ミリリットル、一ペソ半。しかも、私たちが今住んでいる所から、バスで片道一時間半もかかる町まで行かなけ汲黷ホ手に入りません。ですから、重症患者で血液が届いた時にはすでに死亡している例は少なくありません。現在、一日労働者で日給50〜60ペソ(日本円で三百〜四百円ぐらい)、物価は米一キログラム8〜9ペソ、鶏肉一キロ60ペソ。四月からの物価の上昇で…人々の生活は一層苦しくなり、その日の食事を頂ければよい方で、医療費などとても余裕がありません。…医療状況は、まだまだ厳しく、とくに田舎における医療は厳しいものです。






『少年カミロの死』

〜フィリピン〜
カテキスタ 富永容子
 …教会の一隅から始まったギバン保育園も、ついこの間、四回目の卒園生別名を送り出すことが出来ました。…今回は卒園式の二日後に川で発作を起して亡くなったカミロという子どものことを、少し書かせて下さい。彼は障害児でした。ですから7歳になっても小学校で受け入れてもらえず、今年4枚日の卒園証書をもらった、まさに保育園の歴史と共に歩いて来た子どもでした。ドイツ人医師の診断を受けてから…発作も少なくなって…他の子どもに生活の面では一緒についてくるようになっていました。…彼が…何か、今までより出来るようになることがあると、…クラスの中で拍手が起りました。…みな、いつも笑っているカミロが大好きでした。
 …皆が緊張している時には、全然構えない彼のユーモアが、クラスの雰囲気を和ませました。カミロもどんどん変ったし、子どもも私も彼を囲んで、成長させてもらった気がします。
 …カミロの死は、今年8人目の村の子どもの死でした。カミロのように事故の場合は仕方ありませんが、栄養不足のために体に抵抗力がなく、はしかなどほんの小さな病気でも合併症を起して簡単に死んで行く姿には、たまらない痛みを感じます。人の命が軽いのです。






『教室が足りない!!学校増築を』

〜インドネシア〜
聖母カテキスタ会 千葉礼子
 …私は、現在、北スマトラ・メダン市にある…カトリック小学校に勤務しております。…創立者はイエズス会 の司祭ですが、教区内の司祭の手不足から、止むなく、この学校を手放さざるを得なくなり私に全責任を任されましたのは九年前のことでした。
 空っぽの金庫を受取り、職員室の古びた机が寄せ集められているのを見た時は、途方にくれたものでした。この学校周辺はメダン教区の土地となっていますが、住民は殆ど貧しい家庭で、名簿上はカトリック教徒です…この部落の中に私たちの学校の一部、三教室の平屋建がありますが、いろいろ問題があり…止むなく移転しなければなりません。…移転指令を受ける前に、私は本校(母校)の続きが空地になる予定地の、使用許可蘇を司教様宛に出したのが、昨年の五月でした。…母校も教室が足りず、講堂をペニア板で五つに仕切って利用しています。…三教室を移転させる機会と、思い切って学校増築を計画している次第です。






『創立百年の迫害時代の教会で』

〜韓国〜
聖ドミニコ宣教修道女会 大西元子
 …申請しました巡礼教会 のガソリン代金を…ご許可とともにお送り下さってお礼の申しようもありません。毎日曜日、三〜四人で出かけていますプンスオン豊水院という教会と、付属巡礼教会が四カ所あり、この教会は創立百年を迎え(ました。)迫害時代、信者が集まり出来たもので、この国で四番目に設立された由緒ある歴史を持つ教会で、プンスオン原州教区の母胎で、沢山の司祭を輩出していますが、時代の流れと、人里離れた場所(という)の理由で、後に出来た都市の教会が発展し…プンスオンは、歴史を持つ迫害時代(の)教会としてのみ、現状維持に力をつくしています。生活している人々の宝は信仰です。若者は大都市へ…と集中していますが、何年か都市生活を経た後、帰って来る人々もあります。一カ月に何回かバスが都会まで行くのに、二度バスを乗り換えて、三時間ぐらいかかり、老人は体力がないので難しいです。昔は、神父様が年に二〜三回馬に乗り、泊りがけで巡回したと、今なお、その当時を偲びつつ、老人は物語ります。(八九・七・二〇)

韓国人有期誓願修女と中央Sr大西
韓国人有期誓願修女と中央Sr大西






『日本人のスポンサーを!』

〜台湾〜
メリノール女子修道会 小合悦子
 …呈近、私どものメリノール女子修道会の本部からの通知で、私どもシスターたちの生活を支えて下さるアメリカのスポンサーの数が減って来たため(老年、死亡により)、また、新しいスポンサーを皆で探すよう努力しなければならないとのことです。メリノール会は、昔、沢山あった収入のある学校、病院などを、次々と現地の信者、教会に譲り、現在は貧しい人々、とくにrefugeeの多い所で働きに努力しております。とくに、アフリカ、南米、中米、東南アジアなどでは、シスターたちの生活費を含め、ミッションの費用は全部、スポンサーなど、善意の方々の援助に頼っているところです。
 さて、私も今日までずっと、アメリカの信者さん方の支えによって宣教して来たわけですが、考えてみれば、最近は日本の経済がアメリカに勝るようになってきています。…いま、だんだん国際化している私たちの修道会の支援を、アメリカの信者ばかりに頼っていてはいけないと思い、日本の信者さんにもスポンサーになって頂きたいと思います。私の他にも日本人のシスターたちが数人おりますので、なるべく、たくさんの方に参加して頂きたいのです。
 数追伸‥今日は「支援する会」が…スポンサーになって下さるという、嬉しいお便りを頂き、本当に有難うございました。本部でもきっと喜んでいることでしょう。これで、本当の日本の教会から派遣された、支えられたという気持がします。…最近は、こちらに、外籍の労働者が沢山不法滞在して、大きな問題になりつつあります。
 …私どもも、だんだんこういう方面で、平和と正義のため、奉仕する機会が増えて来そうです。…(七月十四日)






『アフリカ』






『シエラレオネ訪問記』

〜シエラレオネ〜
アフリカ友の会・木更津教会 関根英雄神父
 …二月二十七日から三月五日まで…シエラレオネを訪問して参りました。…雨の……ロンドンを深夜に発った飛行幾は…翌朝七時にルンギ国際空港に着きました。真冬の世界から酷暑と挨の大地に降りた時は…ボーッとした感じでした。…滑走路から…空港ビルに近づいて行くと、シスター根岸が中に見え…ホッとしました。…喧騒と混雑の中を…抜けて外に出ると、日本の皆さんから贈られた自動車が待っていました。運転はメキシコ人のシスターがしてくれました。
 …ルンサまで約2時間半…原始さながらの部落を幾つも通過しました。背丈一メートル半ぐらいの薮の中に椰子やバナナなどの澤木があります。…原野の真申で、果物を頭に乗せた子供に出会います。
 素足です。上下とも衣服をつけている子はほとんど居ません。茂みの中には、毒蛇が沢山いるとのことです。…家は殆ど土で…雨期になると水分の重さで潰れて、一家が生埋めになることも珍しくないようです。…ようやくルンサに着きました。髪の毛から衣服の中まで砂ばかり。…シスター達の家は、ここで初めてみる…コンクリートです…小学校は板張りですが、セカンダリー・スクールは…大きくしっかりしています。ドイツやイタリアの援助で建てられたそうです。…シスター方は侵入者を防ぐ鉄格子、虫除けの…金網、外敵剛から保護される…住居にいるとは云え…電気は一日四時間ぐらいの自家発電、水道は屋上に雨水や井戸水をタンクに貯えて使う。もちろん、ガス、電話はない…食糧調達はフリータウンまで買出しに行くが、じやがいも、野菜もヨーロッパからの輸入品で…高価との事。
 ところで…港にコンテナが到着しても…国内輸送が大変。コンテナを輸送できるトラックが国内には何台もない。…私達のコンテナが…安全に届けられているのは、安田さん、高松さんたちの好意によるものです…日本では…日々捨てているような品物が、ここでは大切な生活用品です。…食事は一日一回、それでも穀類を食べている人はよい方です。幸いと云うか、自然の果物は沢山あります。
 住む家はあっても、土の上に寝ている人が殆どのようです。とにかく、想像をはるかに超える状態でした。






『貧しさ故に病気に』

〜ザイール〜
クリスト・ロア宣教修道女会 前川春美
 …私の住んでいる修道院には、6名のカナダ人と私、そして4名のザイール人のシスター方が(居ます)。教会 の神父様はベルギー人.です。国が違えば、人柄も異なるので、日本しか知らない私には、時々、薫ろくことが多いです。私にとってこの共同生活はとても楽しいです。…こちら、ザイールの生活は自然そのものです。道路もあまり開発されていないので歩く”ことは、日本人の交通を利用することと全く同じ。雨具を持っていないので、雨の中を歩くことは、シャワーを浴びているのと同じこと。時間に追われるということがないので…(私を)イライラさせるのですが、彼らの生活は、自分のためではなく、他の者のものという姿を感じます。
 こちらの生活全体は、日本の有り余る生活状態と異なり、必要なものにも事欠くという(のが)現実です。貧しさ故に勉気にならざるを得ない人々、その人々が、当病院に入院、来院する(のですが)…治療費の負担が出来ない人々(です)。
 こちらで管区会計という仕事をしている関係(で)、いろいろ、考えさせられることが多く、多くの人々の善意で、この貧しい、苦しんでいる人々が安心して治療されているということを感じます。






『八階建のビルと電』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 永瀬小夜子
 …私の支部ウンジャメナはチャドの表玄関です。…去年の終戦宣言以降、平和外交はめざましく、金さえあれば…の市場になって参りました。と云っても日本のそれとは大違いで、人々は相変らず貧しいのが実情です。はじめて八階建のビルが建ち…子どもたちは薫いて見物です。山のないこの平地、「階段はおそろしく疲れるものだ」と笑っています。たゞ今雨期前で…ライやギダリーは、毎年雨が降ると交通遮断で動きが取れなく、連絡は途絶えます。このウンジャメナに来る革も、一雨降ると…交通止めになり(ます)。しかし、剛金銭に物を云わせぬ商人の大型トラックはドタパタ通過し…あばれ馬級で走ります。…今、日中は寒暖計は四十度近く上りますが、七月六日、十八時ごろ急に暗くなり、突風が起きたと思う間もなく、赤ん坊の拳大の看が落ちて来ました。…私たちミッションの鮭には葛の山が出来、幸い私たちの家は被害はありませんでしたが、隣の10メートル先の家は窓ガラスが破れ、蛍光灯が全部落ちました。
一時間後にはウンのように晴れ上り、満天の星を仰ぐ、爽かな、夜になり…本当に何が起るかわかりません。






『医療面を通して現地の人と』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 脇山ミキコ
 今回、チャドのミッションに参加させて頂いている私どもの請願を受け入れて下さり、……援助金を…お送り下さいまして心から感謝申し上げます。今年五月一日から、当地ギダリの診療所の運営責任をシスター大湾が引き受けました。日本の医療機関とは比較できませんが、この地域の人々にとって、この診療所は貴重な存在です。
 私とシスター内田は主に青少年や婦女子の生活、意識の向上のための活動の協力者として、当地の人々と生活を共にいたします。
 尊い援助金は、まず、医療面を通して、当地の人々の自立、自活への道程を支援させて頂きます。ギダリも他の多くの村落と同様に物的に精神的に、内戦と飢饉の傷跡が深く残っていると言えます。






『私のべニン体験』

〜ベニン〜
藤田ふみ子
 私は一九八六年五月から一九八八年五月までの二年間、西アフリカのベニン人民共和国のポイコンという町にある、カトリック修道会が運営する小児専門・診療所で看護婦として働く機会を得た。
 単なる観光…ではなく…第三世界を、そしてもし可能ならアフリカを体験してみることは、一九七〇年代からの私の一つの夢であった。…アフリカに行くには医療技術を持っていれば行き易いだろうと考え…一九八〇年看護学校に入学…卒業後二年三カ月間外科病棟に勤務した。…そして半年ほどした頃、ベニンから休暇で一時帰国された修道女のNさんにお会いする機会があった。…明くる年の一九八六年三月、ベニンで働きませんかという彼女からの手紙を受け取った。…私はすぐ決断し、四月、念願のアフリカに向けて出発した。…ベニンの診療所では看護婦が診察をし、処方することは違法ではない。私がいた診療所では看護編三人が、○歳から五歳までの患児を診察し、その指示に従って、アニマトリスと呼ばれる現地人女性の看護助手が、注射をしたり薬を渡したりする。…点滴や輸血、あるいは大きな膿瘍の切開などは、私たち看護婦がする。日本では考えられないが、ペニンでは虫垂炎の手術まで看護婦だけでやっている所があるという。…私たちが忙しい診察の合間を縫ってまとめた、やや、不完全な統計によると、一九八六年は二七、八九八件、一九八七年三四、九二四件の診察をしたことになっている、一日に四百人近い子供達が母親に連れられてやって来る。…一九八七年の後半にマラリアが大流行した時は、朝の三時、四時から門の外に行列が出来た。診察は朝の八時から…昼休みをはさんで夕方の六時までなのだが、トイレ休憩もとらず診察し続けても八時近くまでかかったこともあった。私たちの診療所に来れば、国営の診療所や病院より安く診てもらえるし…高価な薬を安く貰うことが出来る、助からないと思っていた貧血の子供が輸血されて元気になる…患者は減らず、繁盛するばかりであった。私が診療所で働きはじめて最初に印象に残ったことは、貧血の多さ、中でもマラリアによる貧血の恐しさであった。…マラリアの貧血の怖さはこれが急激に来ることだ。昨日は軽い貧血程度だったのが、一日か時には半日後には血液型が判定し難いぐらいの重症の貧血となり、輸血する間もなく死んでしまうというようなことが起り得るのだ。…これを防ぐには…輸血するしかないのだが、国立の病院で輸血すると七〜八千フラン(約四千円)はするという。…私たちの所では約千フランで輸血出来、…殆どの家族は貧しくても、何とか千フランくらいなら払って行った。…ベニンには、病院まで行っても、お金がないため輸血をq8受けられず亡くなる子、また、病院…までも行けずに亡くなってしまう子供が沢山いるのだ。病気はマラリアだけでなく…麻疹、下痢、栄養失調などが多い。…私がベニンを離れる直前、…ペニンにヨーロッパからの放射線廃棄物を埋める計画があるという噂が流れ…その後、ベニンから届いた便りによると廃棄物は、すでにベニンに埋められていたそうだ。交換条件に支払われたお金の行方など、一般の人々には知る由もない。…電気も水道もないベニンの村では、畑仕事や家畜の世話、水汲みや手仕事などで昼間が過ぎ、夜は太鼓を叩いて踊るか寝るかである。子供は沢山生まれ、たくさん死んでいく。…そんな彼らも放射性廃棄物のすぐ横で生活せねばならないということが起る現代なのだ。子供が病気で亡くなることなど日常茶飯事のペニンでも、子供を失なう悲しみは日本の母親のそれと同じである。見るからに母親自身も栄養失調と思われる場合でも、自分の血を子供のために与えることを拒む者は殆ど居ない。ペニンの人々が現代文明の害悪の部分だけを負わされ、その恩恵をほとんど受けることが出来ないような状況は、どう考えても理不尽な話だ。
 *藤田さんは、ペニンのSr道下美智子さんとともに、ベニンのポイコン診療所で働いていた看護婦さんです。
(「現代の理論」誌・六四年一月号より要約転載)






『南米』






『地方の学校は先生不足』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 宮入きわ子
 …二月三日は、三十五年間続いた大統領とその政府は、革命によって解散し、五月一日の選挙によって…革命を実践に導いた軍人ロドリゲスが大統領になりました。彼は真の民主々義国家を築こう″と呼びかけていますが、実現は簡単ではありません。まず第一に、民主々義とは何かを、一般の人々は正しく理解していないのです。
 しかし、より自由になったことは確かです。…これからが大変だろうと思います。…例えば、土地を安く分けて貰うと、実際にそこで耕す人々は、ほんのわずかで、多くは…簡単に金のある人に土地を売って、町角で物売りをするか、出稼ぎに行きます。そこで失敗したら、また、土地なし、家なし、金なしです。…南米の教会は「貧しい者と共に歩もう」をモットーにしていますが、私達、修道者として、貧しい青少年達に教育し、働くこと、考えること、自立することが出来るよう助けることは、より重要なことのように思われます。…今年から、私はエンカルナシオンに住みながら、ピラポの小、中学校で、音楽、家庭科の手伝いをしています。
 地方の学校では先生が足りないのです。…不便な所へは行きたがらないのです。四時間の授業のために、朝六時半にバスに乗り、帰りは夕方の六時半になります。…今日(五月七日)は老人の日で、二カ所の養老院の人々が一緒に集まって、共に食事し、一老人が弾くアコーデオンに合わせ、足を引きずりながら踊る楽しそうな姿がありました。一日も早く、皆が平和に過せることを願いつつ…。






『届いた聖書等に大喜び』

〜ブラジル〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 佐藤和
 …七月のはじめにマリリアに帰り、一息つきました。部屋に入った途端、机の上に移住協からの聖書、祈り本、聖歌の本等が待っていました。この日曜日に集まりがありました。で、皆に見せたり、配ったり、大喜びでした。…八月からまた改めて、家庭で共に聖書を読み、親しむ…をモットーに、マリリアは勿論、司祭方の居られない小さい近隣の町々にグループで回り、聖書を通じて横のつながりを広めたいと思って居ります。…今、七月の冬休み…今年二度目の冬を迎えて居ります。南部は雪が降ったり、霜が下りたり、日本の冬より寒く感じられる、ここ、二、三日でした。
七月十四日