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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アフリカ』






『コンテナの品に毎日、長い行列がー』

〜シエラ・レオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 ‥一九八九年の新しい年をいかがお迎えになられましたか。
こちらルンサは11月はじめ頃まで雨が降ったせいでしょうか‥今年は挨がとても少なく、気持よいクリスマスと元旦を迎えました。
 (さて)残念なことに、昨年10月から‥教師の給料は‥ストップしており、もう四カ月日に入っています。ミッションも、どうにか、先生達を助けようと、四苦八苦して政府にL代って給料を毎月払っておりましたが、四カ月ともなるともう限度‥このような‥状態の中、昨年10月に日本より到着したコンテナ船の小包は恵みの雨でした。
 元旦のミサのあと、小学校のある校長が「‥シスター、ルサン中の人を助けてくれました‥ありがとう」と云っておりました。この言葉は……私たちを支えて下さる皆様へのご挨拶と思いました。
 ‥ルンサにコンテナが着いたのは11月8日夜9時、寄宿生全員で建物に運びこまれました。‥送り主と品物のチェック、用途別に分け、分配されました、約八百個の小包でした。身体の不自由な人たち、細極貧の人たち、親のない子達、修院には、毎日長い長い行列が続きました。‥このほか小バザーを4回……その売り上げで、フリータウンからルサンまでのコンテナ費用を支払うことが出来ました。
 ‥2月にまたバザーをします。それで、小学校の机、イスの修理が出来たらと願っています。‥教会に来る半分以上の人が、日本製の服を着て、クツを穿いてやってくるので、日本のモードがルサンに入って来たようでした。中には、.ハジャマ、ネグリジェ、はては、ペチコートだけで現爽とやってくる娘もおり、ハラハラさせられることもありましたが、こちらの人にとっては、みな、素敵な晴着になるのです。皆様、ほんとうにありがとうございました。

寄宿生と”喜びの荷運び―”(写真提供、木更津教会関根英雄師)
寄宿生と”喜びの荷運び―”(写真提供、木更津教会関根英雄師)






『病院、薬なくパニックも…』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 一同
 ‥南部チャドは、戦争の苦悩からも徐々に立ち上り、いまのところ平和な日々です‥例年以上に多雨に恵まれ、豊作も期待されていましたが、日照不足や収穫直前の長雨と、害虫の悪影響により平年以下になりました。乾期に入り、朝方12C、日中40Cの戸外気温ですが、室内では一年中で、最も過しやすい季節です。温度差と着る物の不足のため、老人、子どもの風邪、肺炎が多く、砂ぼこりのために、眼病の流行もひどいです。
 ミッション関係の診療所は、ヨーロッパ諸国からの援助薬が少しずつ送られますが、国公立病院は処置、投薬ともにパニックの状態です。
 四年前に始まった木蔭の青空幼稚園も可愛いい園舎が完成し、今年は幼名の幼児が、おやつを楽しみに毎日元気に通園しております。
 人々の衣食住は、まだまだ貧しく、近代化が少しずつ訪れると、現金が必要(就学費、衣服等)になり、産業、資源のないこの辺の苦しさはひどくなるようにも思われます。






『アジア』






『戸別訪問で、関わり合いを』

〜ミクロネシア〜
援助マリア修道会 ポンペイ修道院
 NICEのあと、日本の教会が確実な歩みを続けているのが感じられ、外国に派遣されている私たちにとって、大きな支えとなっております。‥援助マリア修道会が、この太平洋に浮ぶポンペイ島へ来て8年、現在はメンバーも5人に増え、カトリック学校の宗教、家庭訪問、ボナベ語の勉強など、それぞれの使徒職を通して、島の者若男女とかかわり、生活を共にしています。創立のはじめから、家庭訪問を通して、人々との密接な出会いは、私たちの使徒職の一つでしたが、とくに、昨年から、カロライン、マーシャル教区の司教代理でポンペイの教会全体の責任者マッカリ神父の依頼により、いくつかの質問を携え、信徒の家一軒々々を訪問し、会話を通じて、ポンペイの教会の働きで何が必要か、教会 を築いているのは、自分たちだということを分ってもらうため働いています。
一九八六年、ポンベイ一周道路が完成してから、村に出ることは以前より、ずっと易しくなりましたが、公共の交通手段はなく、世界で一、二という雨量で、道は修復しても修復しても穴だらけで‥革は必需品です。一九八五年に知人から頂いた寄付で購入したトラックはすでに両脇の腐食がはじまり、あと一年ももたないと思います‥ポンペイの教会は、今、自分たちに出来ることは自分たちでと自立に向けて、ゆるやかに歩みをつづけています。
一九八八・十一・十一






『台湾に明るい日射しが』

〜台湾〜
メリノール女子修道会 小合悦子
 この一年の間、台湾に大きな変化がありました。1月に総統になった台湾生れの李登挿さんは、デモクラシーへの改革、オープンな政策を押して来ました。‥台湾からは毎日、沢山の人が大陸を訪問し、‥最近は大陸からの人々も少しずつ台湾訪問の昨可が出ています。……帰台以後は、以前と同じく、信仰と人生の意義を求める、若い女性たちとの小さなグループをつづけています。十一月には私と一緒のシスター・アグネスが、40年ぶりで昔、彼女の宣教地であった中国の恒州を訪ねることが出来ました。そして、神父やシスター信者たちが、ひどい迫害にあったにもかかわらず信仰を守りとおし、最近は素晴らしい活気があるのを体験して、元気づけられて帰って来ました。また、十一月からメリノールの平信者宣教師の若い女性ジ亨ハンナが、知能障害者の託児所を開きました。いまのところ、カロリン諸島8人の学生が居ますが、先生はジョハンナともう一人だけですので、他の沢山居る知障者を受け入れることが出来ません。どうか、もっとよい、沢山の先生がみつかるようお祈り下さい。






『大人は日本の歌を歌うマリア信心の島で』

〜インドネシア〜
御聖体の宣教クララ修道会 瀬谷和子
 Sr服部より、フローレスの幼稚園のためのお金を受取り、建物の一部にさせて頂きました。有難うございました。幼稚園が始まって二年目、新しい建物になって半年、順調のようです。水浴、歯をみがくこと、スキンミルクを飲む練習から始まって‥クリスマスの準備、歌を覚えるのはとても早く‥みな声がよく‥踊ることが好きです。日本軍が占領した三年半の間、小学生だった現在の大人は日本の数を数えること、一、二の歌などまだ覚えていて、どこでも、いつでも数えたり、歌ったりしてくれます。一人のオランダ人のブルーデルは学校の先生で‥フローレスに来て45年ということですが、日本軍に牢に入れられ、体罰を加えられたようです。「若かったから耐えられた」と笑っていました。島の人々も、日本人の私に‥悪い感情を表わしません。戦時中、司教様、司祭方が来て、巡回してくれたことを感謝しています。こちらの人々はマリア信心が強く、どこに行っても、部落の人が集まりやすい所に木、セメント、石での洞窟、家を造り、待っています。マリア様の月には、行列、ロザリオ、ミサが行なわれます。‥行列の通る道に椅子を出し、布を敷いて、家にあるマリア像、ご絵、なければ十字架、イエズス様のご絵などを飾ります。……同封の写真、昔の日本の農家みたいでしょう。
 壁は竹で出来ています。あまり、窓を作りませんので、大抵の家は薄暗いです。修道院は新しいコンクリートの家です。‥幼稚園のために、そちらで‥集めて下さるとのこと‥無理でなく、‥もし集めて下さるなら、聖書からの紙芝居ですと、先生が、自分の言葉で、子どもたちに見せられると思うのですが。‥聖母マリアの年の閉会、インドネシアでは、カトリ,クの多いこのフローレス島・マウメレーという所で一週間行なわれました。……ミサは司教様方の入堂、オランダから届いたファティマのマリア様が入堂、インドネシア語、英語の教皇様からのメ,セージがテープから流れました。
 最後の日は、レオという村にマリア像を送って行きました。‥車で三時間、小さな村、部落を通りましたが、どの家でも道にマリア様の像、ご絵を飾っていました。どれも古くて、色裾せていますが、人々の信仰が生きていることを感じました。
一九八八・十二・十一








『南米』






『やっと‥給食が・出来た』

〜ボリビア〜
サレジオ会 倉橋輝信
 ……一九八八年の‥一年間も、皆さまのお祈りと経済面でのご支援のおかげで‥苦しむ沢山のボリビアの兄弟のために、いささかなりとも奉仕することが出来ました‥皆さまのお蔭と感謝いたしております。アフリカ、インド、フィリピン等‥の貧しさにくらべ、ボリビアの貧しさは、あまり知られていないばかりか、むしろ、素通りの外国人には、まさに、この世のパラダイス、天下泰平の印象さえ与えています。
 皆さまのご援助のおかげで、サンタ・クルス市の国立小児科病院の入院患者のみならず、私たちの教会の前にある国立ガンセンクー(青年海外協力隊の日本人看護婦一名、栄養士一名活躍中)の看護婦さんや、入院患者の方にも、日曜日の午後、給食を運ぶことが出来るようになりました。そして、また、私たちの喜びが一つ増えました。それは、経済的な理由で、ホテルやレストランで結婚パーティの出来ないカップルが、私たちの教会で結婚式を挙げ、その後、教会のサロンで、深夜まで、家族、友人と喜びを分ち合う光景が、みられるようになりました。
一九八八・十二・






『32年ぶりに電化‥ところが』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 林静子
 ……こちらの移住地も漸く、32年ぶりに電化が完成いたしました。
 教会で夜のミサや集会が出来、皆さん大変喜んでいます。また、市街地だけ水道も引かれるように、ただ今工事中です。日本政府が水道工事に……大金を寄付して下さいました。‥ところが、三三〇メートル掘っても、水源がみつかりませんでした。責任者の人が「内地でも、何か工事を始める時は、神主さんを呼んでお祓いをして頂く習慣があるのに、自分達は‥勝手に掘ったので、無駄な経費を沢山使ってしまった」と申しまして、別の場所を探して工事を始める時に、ここの主任司祭のゲィセンチ神父様をお呼びしてBenedictionをして頂いて居りました。‥近頃、電化されてから、ビデオやテレビブームで、10月のロザリオの信心にも、僅かな人しか集まって来ませんでした。






『支援学生たちも好成績』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 山田雪江
 ‥こちらは今、夏に入っていますが……気候が不順で時にはオー.ハーでも着こみたいような冷たい風にふるえ上ったりします。そうかと思うと、急に劫慶を越すむし暑さに、うだるような思いをしたりです。‥学校の方は、十一月の末に卒業式を控え、期末試験の真最中です。‥皆様からのご協力で学資を援助していただきました生徒たちも、みな一生懸命に勉強にはげんでくれました。その殆どの生徒が、割と良い成績で進んでおります。‥先日も、父親、または母親とお礼を言いに来ました。図書室の方は、やっと、しつかりした戸別棚が取り付けられ‥必要な本を何冊か備えることが出来、喜んでいただきました。
一九八八・十・二五

9月21日”学生の日の陸上競技で
9月21日”学生の日の陸上競技で






『転勤・]マスに馬小屋造りを』

〜ブラジル〜
マリア会 長谷川一郎
 クリスマス・新年おめでとうございます。
 皆さんとお会いして一年(実際には八カ月)が過ぎ去ろうとしています。‥今日、日本からブラジルに戻る時は、着いたらすぐに手紙を出すつもりでした。ところがブラジルに着いてビックリ。住む所がなかったのです。なんでも、私の留守中に家が崩れる心配が起き、司祭館の大修理が始まっていたのです。私の物は信徒会席の一室に移されました。それで結局、四カ月間を信徒会館の一室で暮すことになってしまい‥整理と日常の出来ごとに追われ、手紙を出すゆとりがありませんでした。‥クリスマスを幾会に‥皆さんに‥手紙を‥と思っていました。ところが十一月に司教から…….ハゥル市内の小教区をマリア会が是非〜との要請があり‥まもなく‥ガリア小教区をあとにトッパンに行くことになります。恐らく、一月か二月に‥なると思います。そこで私は、小教区と日伯司牧の仕事を半々にすることになります。‥皆さんの援助はガリア小教区の運営と貧しい人々のために役立たせて頂きました。多少の貯えは、新しい任地で使わせてもらいます。‥今、ブラザー・マノロとガリアの「各家庭に馬小屋を」という運動を展開しています。小学生の先生も協力して下さり盛上っています。この運動の動機は、テレビの影響で幼子イエズスが忘れられ、サンタタロ―スに関心が集まっているので、子どもたちの馬小量づくりを通して、本来のクリスマスの意味を家庭全体でさぐり、さらに聖家族、幼児イエズスの前で家庭の祈りを捧げるためです。
一九八八・十二・二八






『おたよリ』






『マザーテレサのようになりたい』

〜朋映(ともえ)さんからの手紙〜
兵庫・南淡町・中― 長岡朋映
 宣教師を支援する会のみなさん、始めまして‥。
 私は中学一年の女の子です。本を読むことが大好きで、この間、学校にある本、梶川宏さん作「小さなマザー・テレサたち」を、始めは何気なしに読みました。そして、「宣教者を支援する会」に始めて出会ったのです。私は、あまりキリスト教については、深く、しりません。海外日本人シスターの便りは、私に大きな影響をあたえたと思います。私は、今とても平和で、あまり苦労などはしません。でも、中南米、アフリカの人達は苦労の積みかさねとなっています。この本を読んで、私は、こんなにぜいたくにしていいのだろうかと思います。キリストの教えを広めながら、貧しい人達の援助もしてあげて下さい。健康に気をつけて、キリストの教えも広まることを願っています。
 真のマザー・テレサのように、私も心のやさしい人になりたいと思います。海外日本人シスターの人たちは、キリストのような、まっすぐな心を持っている人達ばかりでしょう。これからも、その心を大切にして、がんばって下さい。私は何だかキリスト教に興味が持てそうな気がします。
 神を信じる日本人シスターたちは
 人間が平和を求める心の集まり
 その人たちの心には
 くもりの日がなく
 いつも明るく鳥の声がたえない
 今日も聞えるよ
 平和を求める鳥たちの歌声
 私もあの歌声につられて
 どこか遠くへ行きたいな