『浦島太郎のようにではなく……』イエズス会 堀江節郎
今回も五年ぶりの帰国であるが、生涯一度も、故国の土を踏まなかった日本人移民の多いブラジルでは、五年という年では、なんとなく、うしろめたさを感じる。だから、この帰国を有意義に用いなければと思う。
少し離れた場から、自分の働きと生活を反省し、多くの友との出会いによって励まされ、清められて再出発したい。実は、宣教師と呼ばれる自分こそ、教育され、愛の源泉に引き戻され、そして、助けてもらわねばならない者だからー。 ブラジル生活も十六年になると、日本に戻っても、「浦島太郎」の実感がないでもない。この間、日本はすっかり変ったが、ブラジルもまた、同じように著しく変化しっづけている。教会も、その変化の流れの中で、新しい意識が芽生え、育って来た。 かつての「カトリック大陸」は、今や、福音宣教を最も必要としている大陸の一つとなったし、プエプラ会議の中心テーマも「ラテン・アメリカの福音宣教」であった。 正義の実現というテーマも、根本的には、福音宣教の次元の中にある。日本に戻ると、この教会もまた、「ナイス」という名で福音宣教の推進の自覚へと動いている。こうして、聖霊の息吹きのただ中に入る時、もはや、宣教師という名は特定の人だけに与えられたものではない。 主イエズス自身が、まず、第一の宣教者だから、その後に続く者も宣教者と呼ばれる。それは、福音の弟子になることであって、外国にいることによって、宣教師になるわけではないのだ。 ある人から「十六年もたてば、ブラジルにすっかり馴れたでしょ鋸うね」と云われた。たしかにそうかな。自分の因りに群がる物乞いや、ポロ服の少年たちを見ながら、いつの間にか、それが、当り前の風景になっている。もし、この現実にすっかり馴れてしまったとしたら、それこそ、宣教師の終りではないだろうか。その意味では「馴れる」ということは、人生の危機である。福音の弟子になる人は、この世界への愛に比例して、そこに立ちはだかる既成の価値観に対する挑戦を強烈に体験するだろう。 どうか、馴れすぎたブラジルの大地にも、異和感を覚えた日本にも、この福音をたずさえ来る者になりたいと思う。とくに、再会する日本の社会と文化の前に立つ時、決して、浦島太郎のようにではなく、キリストのように見つめねばならない。この世に、兄弟なる異国人として来られた、神のみ子のように。宣教師の姿をそこに見る。「信仰によって、神の約束の地に、あたかも、異国の地にいる者のように生きた」(ヘブライ・11〜9)「きずな」を通して結ばれている皆さんを、福音のゆえに、「宣教師」と呼ばせて下さい。皆さんも私達も、この地上、どこにいても、兄弟として生きる異国人です。 日本は、今、一つの時代の岐路に立たされていますが、いまこそ、共に祈りましょう。聖霊をお遣わし下さい。 その愛熱の炎を心に燃やし、福音によって、私たちを新しく創造して下さい。 『第二十六回役員会報者』
『援助決定』(六十三年十月四日決定分) |