『冬から春へ』無原罪聖母宣教女会 高橋興子
NICE(福音宣教推進全国会議)に向かって日本中が歩み出しました。
雪深い北海道に生れ育った私には、今の教会が北国の春のイメージと重なって見えます。しばれる寒さが過ぎ去り、三月に入ると雪原のあちらこちらに斑点のように黒土が顔を出し始めます。長かった冬を耐え忍んだ喜びを表わすかのように、黒土はゆらゆらと湯気を立てて春の日を浴びながらやがて助で掘り返される日をゆっくりと待っているのです。 教会が社会から遊離しているとか、雰囲気が固いとか冷たいとか評された過去を冬に例えるとすれば、一九八四年七月「日本の教会の基本方針と優先課題」が発表されてからこのかたは鋤で掘り返される日を待ち焦がれている大地に比することができるでしょう。まだ表面には佗とんど変化が見えませんが、肥沃な土壌に息づくいのちの営みを確かに感じます。 ところで、先日出席したNICEに関する公聴会で、ある司教様がこんなことを言われました。「日本の信者は持(かみしも)を着ている」と。私たちの信仰が生活に馴染んでいないことを指摘した表現ですが、つられて私は一人いろいろとバカな想像にふけったのでした。待を着ての立ち居振る舞い、言葉づかい、ちょんまげ頭に潜むものの考え方、世界観、さらにその姿で地下鉄や電車を乗り継いで丸の内や新宿に出没したら等々、滑椿が過ぎてだんだん笑えなくなりました。時代錯誤もはなはだしい。でも、それを着ていると言われて否定しきれない面も確かにあるのです。 さきほど日本の教会に春が来たと書きましたが、教会も私たちひとりひとりも防寒具を脱ぎ捨て心の装いを新たにする時が来たようです。 私は着かた″を海外の宣教者に学びたい、いや学ぶ必要があると思っています。この五年間、帰国したたくさんの宣教者に出会ってきましたが例外なくどの人もこの上なく素朴で単純な人たちでした。衣服で表わすなら、これ以上簡単なデザインはないと思えるほどの人柄で文字通り裏がなく、布地の素材や色はと言えば土地の人々と同質であることがうかがえる質朴さがあります。着かたがまたあっさりしていてその人らしい気性、強い意志、不擁不屈の熱意、まわりを溶かさんばかりの人への愛が丸見えです。こうであってこそ内にあるいのちの喜びを人に伝えることができるのです。 さて、開かれた教会づくりを目指して私たちはどのように装いを新たにするのでしょうか。商品の氾濫する日本で、誤った選択をしないよう、欲張ってまた着込まぬよう神さまどうぞお助け下さい。 『第十九回役員会報告』第十九回役員会が、昭和六十一年十二月十九日(金)午後六時から、中央協議会々議室で開かれ、次の案件について審議、決定した。
『援助内容』(1986年12月19日役員会決定分)
『茂木博さん(会員)ペルーへ』茂木博さん(海外宣教者を支援する会々負)が、「きずな」を通じての縁で、かねてから志していた海外での奉仕活動に従事することになり、2月17日、ペルーに出発した。茂木さんは、かねてから海外での奉仕活動を志し、会社づとめの傍ら、その準備のためフィリピン、インドネシアその他を訪れ、その実情を調査していた。 たまたま、日本カトリック移住協議会刊の「世界に生きるVIII」で「海外宣教者を支援する会」を知り、その会員となり、「きずな」などを通じて、ペルーの加藤神父様の孤児院「エンマヌエルの家」の存在を知った。その後、加藤神父様、Sr平尾(聖心会)とも文通を重ね、ペルーへ行くことを決意、その準備のため勤め先の会社もやめ、アルバイトをしながら福祉専門学校に一年間通うなど、現地での活動のために慎重、かつ細心な準備を進め、国際協力事業団の「海外開発青年」の厳しい選考にパスし、研修を終って、このほど、ペルーに赴いたものである。 |