~パキスタン(ラワルピンジ)~マリアの宣教者フランシスコ修道会 黒田 小夜子
聖ジョセフホスピスは、2011年1月以来7か月間の私の仕事と、学校教育を受け始めた子供達の成長を見て、ボード理事長をはじめ全メンバーは好意的な見解をするようになり、また、私を小児棟責任者とし、3人の男の子の学校教育を完成するプロジェクトに賛成し、支持する事を表明しました。しかし、ホスピスは医学的治療を目的としており、子供の学校教育の目的でホスピスを改造建築する事は出来ないが、彼らが学校教育を続けるためによい宿舎に移れるまでの期間2~3年は、聖ジョセプホスピスでお世話を引き受けると確約しました。私の任務はこれらの3人の子供の学校教育を実現し、彼らの人生を成功させる事です。それぞれの問題を抱えている小さい彼らの人生を助けるためには、今のところホスピスの保護が必要上可欠です。私はホスピスの好意的な対応に感謝し、この数年子供達の成長を助けながら、学校寄宿舎に行けるように準備します。実際、子供達がよりよく成長するためには、ホスピスから旅立たなければなりません。 1.シャリー:母親死亡後、家庭崩壊。3人の子持ちの貧困な父親は、子供をどこかに手放す。麻薬常用者となった父親は、ホームレスになっていたシャリーをホスピスヘ預け、現在、麻薬の問題で刑務所生活をしている。困った事にシヤリーがホスピスの庭に捨てられていた麻薬のかけらを拾って食べていたことが判明し、どうすべきか?と私自身悩みました。幸いにも信頼できるドクターに助けられ、シャリーのお世話を続ける勇気が湧いてきました。もし私がしなければ、シャリーはどうなるでしょう、、、。希望となることは、彼が学校を続けるのを切に望んでいることです。私の目標は彼らが12年間の学校教育後に何らかの職業を得ることです。 このドクターはシャリーの出生証明書の作製の手助けもしてくださいました。今年のクリスマスにはカトリック受洗を希望しています。 2.ウィルソン:長い間ひどい下痢、貧血、成長上良で皆からひ弱な子と見られ、みじめな子 でした。 ドクターを尋ね回りました。今まで検査や高価な薬、診察代に振り回されていましたが、このドクターは無料で診てくださいます。ただ、自然食、浄化水を基本とする厳格な食事療法のための費用と手 間がかかりますが、ウイルソンが元気になってくれました。まだまだフォローアップが必要ですが、ウイルソンは生き返りました。学校成績もきっと成果を見せるでしょう。本当に根気のいる日々でした。 3.サヘル:母親の離婚、再婚の結果、破壊家族の理由で送られてきた賢い子。くる病の後遺 症のため短身で目に障害があるが、運動機能に問題はなし。優秀さを生かし障害を乗り越えて立派な社会人になって欲しい。3人の中で一番確かな子で、3人で助け合うために一緒に学校教育を続けさせたい。 私の今年の夏休みの目標は、ウイルソンの健康問題を解決すること、シャリーの出生証明書を獲得することでしたが、達成しました! 公園や動物園にも連れて行き、初めてレストランで食事もさせました。DVDで映画も見せました。それぞれ成長し新学期を前にしています。 皆様からのお金が手許に届きましたのでほっとしました、1年間は大丈夫です。本当にありがとうございます。感謝をこめて。 右からシャリー、ウィルソン、サヘル 配管工事が進みます御受難修道女会 松田 翠
「カトリック生活《「聖母の騎士《[カトリック新聞]などを、大変うれしく感謝して読ませていただいでおります。やはり自国語で、それも美しい写真入りで書かれた記事は、くつろぎの読書として魅力的です。また、日本の教会の近況を知らせていただけるのはうれしいです。日本をしばらく離れている者にとって大きな助けになります。今回の運営委員会で水道配管のために寛大な支援をありがとうございました。現在、修道院の建物の建築が始まったばかりですが、その中に一番大切な水道工事に取りかかる予定です。 10年前にご協力いただきました深井戸掘削を、最近まで治安上の問題のため伏せておきましたが、配管を新しくし、モーターで水を汲むところまで、やっとこぎ着けました。 今のところ管理人用と工事に必要な水に限っています。これからは私共の敷地外に水道管を引いて、ステンレス製のタンクを設置して、近所の人々が水を汲みに来られるよう、計画しています。日本の皆様のお心づかいに姉妹一同心から御礼申し上げます。 ~韓国(清川市) ~御受難修道女会 長谷川 税子
いつも「きずな《で皆を引き締めてくださって、本当にありがとうございます。皆様のお祈りと温かいご支援のおかけで、海外にいるわたしたちも度々力を新たにすることが出来ます。私事ですが、韓国での御受難修道女会創立のため、こちらに来てからいつの間にか25年になりました。皆様のお祈りと励ましに支えられて、こちらの修道院も安定し、無事に祈りの生活に励むことが出来るようになりました。それで、年寄りの私はこの度引き退いて、兵庫県宝塚市の元の共同体に戻る時期が来たと思っております。 10月から売布の修道院に移転することになりました。これまでの25年を振り返りつつ、すべては主の愛のみはからいと、皆様のご支援のおかげであったことをつくづく思いながら、たくさん、たくさんの感謝を申し上げます。 世界各地に出かけておられる宣教師の方々の上に、主のご祝福が豊かにありますよう、つたないながら祈りをお捧げいたしております。 ~東ティモール(ラウテン県)~カトリック信徒宣教者会(JLMM)渡辺 怜子
2008年の12月に、JLMMから東ティモールに派遣されています。大学を卒業してから3年間は、大学付属の病院で看護師として働いていましたが、その期間は今でも、そしてこの先一生、私にとって大事な時間になるほどに楽しく、充実した日々だったと振り返ることができます。今は、看護師の仕事を離れて「NGO東ティモール医療友の会(AFMET)《で、プロジェクトコーディネーターをしています。病院の勤務とは全く違う仕事ですが、保健ボランティアの育成や地域住民への健康教育活動なども行なっており、その面では変わらず保健分野で活動していることになると思います。 私たちの活動地は、東ティモールでも一番東で、首都から車で5時間ほどかかる、いねば田舎です。日本でも都会と農村部では、人々の考え方や生活リズムが全く違うであろうと想像できますが、神奈川県で、両親共働きの家庭で育ち、東京の病院で勤務していた私と、ティモール島最東部ラウテン県の住民達と、文化、習慣、生活・・・何もかもが違っているのです。私はボーつとしていることが好きでなく、少し時間 があったら何かしていたい性格。病院時代、先輩から躾けられました。冠婚葬祭以外仕事は休んではいけない、1分遅れてもそれは遅刻、断らずに事務所の物を借りてはいけない、仕事中に私用で抜け出してはいけない、などなど。 しかし、AFMETで仕事を始めて、私の社会人マナーには疑問符が多くなりました。注意するこちらの頭がおかしくなりそうなほど、注意されてもお構いなし。わが道を行くAFMETスタッフたちなのです。遅刻、早退はもう大した問題ではありません。勤務時間に寝ているのに、契約更新の日になると給料を上げてほしい、聞き入れられないと怒って「訴えてやる!《。私は短気で、すぐに何か言い返してしまうことが多く、最後は子供のケンカのようになってしまいます。何の解決にもならずにただ問題を長引かせるだけ、といつもそれを反省するのですが、白分がとらわれている“常識”から遠く外れたことを言われると驚き、そして怒りを感じてしまうのです。 この3年間、そんな自分が嫌で、いつも私たちの派遣式で読まれたローマの信徒への手紙、「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい《という言葉を胸に、私のちっぽけな仕返しをやめるように 自分に言い聞かせています。最近は、それがよい方法なのかわかりませんが、嫌なことをしてくる人を神様だと思い、自分は今、冷静な人になるために神様に試されているのだ、と思って心を静める努力をしています。ティモール人の中にはワケのわからない言いがかりをつけられたりしても、いつでも冷静でいられる人もいて、今私の最も尊敬する人たちです。 こちらでの生活は、最近、そんな地元住民との関わりとNGOの仕事の両方が、私の毎日を張り裂けんばかりに占めていると感じています。もし、私にメッセージをくれる神様がいなかったら、今の活動を続けていられたのでしょうか? 10月23日は「世界宣教の日《。所属の横浜教区大和教会でミサにあずかっていたら、神父様が私を「信徒宣教者《として紹介してくださいました。そこで、私は[宣教者]であるということをあらためて考えてみました。私の宣教者としての使命、それは、ティモールではなく、日本にあると思っています。3年で3回目本に帰ってきましたが、毎回、報告会をしたり友人に会ったりすると、ティモールでどんなことをしているのか? どんな場所なのか? どんな人たち? 何を食べてるの? 小さなニュースでも、ティモールと聞けば耳に入ってくるようになった、世界のことに関して、もっと知らなきゃと思った、と。みんながティモールに興味をもち、話を聞き√ティモールで働いている私を見て、話を聞いて元気を出してくれていると感じます。人を元気づける力を私は持っているんだな、と感じ、それは神様が私に与えてくださったもの、神様は私に「この力を使って働きなさい《と言っているのだろう。それは、私なりの宣教になるのだと思っています。ティモールでは、人と小競り合いばかりしている私。本当にくじけそうになることも多々あります。 今回も、できればもう日本に帰ってきたい‥・そんな思いと日々戦ってしまうほどです。でも、そんな私と3年も付き合い続けてくれているラウテン県の人たち。そんな私のことを、いつ帰ってくるのかと待っていてくれているAFMETスタッフ。こう考えてみると、彼らに感謝です! パワーを吸い取られていると感じていましたが、本当は彼らからいろんなパワーをもらっているのでしょう。ティモールで、私は宣教者として養成されているのかもしれません。また今年も、ティモールに帰り人々から学び、得たものを日本に返していけるよう、私の働きを続けていきたいと思います。 ~カンボジア(コンポンルアン)~カトリック信徒宣教者会(JLMM)篠田 正司
カンボジアの10月は雨季真つ盛りですよ梅雨のように一日中降るのでは無く、一日に数時間、テレビの音も聞こえないくらい降ります。そしてトンレサップ湖もどんどん大きくなっていきます。乾季で東京都と同じくらいの大きさで、雨季にはその3~4倊になるのですが、今年は10年に1度の大雨でいつもより大きくなっています。同時に汚れが薄まるので水はきれいになり、乾季の汚い時には真っ茶色だった水も、
魚が見えるくらいには透き通り、湖に写った水上村の家々や空の雲がとてもきれいに見えます。水上村では、湖が大きくなるにしたがって陸地に近い方に引っ越し(移動)します。捕った魚を陸地に持って行ったり、生活必要品を持ってくるために陸地に近いほうがいいですし、湖の真ん中のほうが波が大きくてよく揺れるからです。 もちろん教会も引っ越しをします。朝、ボートタクシーで教会に行くと、昨日あったとこに教会が無く探しまわることも時々あります。せっかく顔見知りになっても、しばらくすると離れ離れになってしまいます。寂しくなる時もありますが、気分は小学校時代の席替えの時のようですね。次はどんな人と隣になるのか、そんな楽しみも水上村ならではです。 カンボジアでは10月から新学期が始まります。それに伴い識字教室ではいろんなことかあった9月でした。まずは公立小学校への手続きです。書類関係は全て識字教室のロワッタ先生がしてくれます。今年は13人の生徒が識字教室を卒業し、公立小学校に入学。 しかし、これは全員ではありません。ロワッタ先生が決めました。もし、クメール語が出来ないのに入学しても、すぐに辞めてしまうのです。 小学校に着くと、いつもは教室や水上公園ではしゃいでいる子ども達もここでは緊張した面持ちです。それは「借りてきた猫《なのもありますが、この時に何年生に入学するかのテストがあるからです。テストといっても日本のような筆記や面接ではなく、教科書の適当なところを、順番に呼ばれた子どもが、読めるかどうかのテストです。一通り読めたら2年生、詰まるようだったら1年生。結果も全員が終わった時点で教えてくれます。子ども達は発表される度に大盛り上がりです。このドキドキした感じは懐かしかったですね。1年生になって照れくさそうにしている子もいましたが、中には3年生に入学できる子がいて、それにはロワッタ先生も驚いていました。みんな識字教室で2年間がんばったのですね。 いつもなら大掃除があって、卒業式があって、陸地に遠足に行くのですが、今年は大雨の日が多く、大掃除と遠足は中止になり、楽しみにしていたのでとても残念でした。それでも卒業式は出来ました。その日は雨が降ったこともあって出席したのは13人中9人でした。式は簡単なもので、まずは生徒代表の挨拶があり、吊前だけなのですが校長である私か挨拶をして、卒業証書とプレゼントを渡すだけでした。プレゼン トはノート2冊と赤と青のペンと、公立小学校に行くときに着る新品のきれいな朊です。みんな喜んでいました。これから小学校に行くのですが、何年かかっても卒業はしてほしいです。この学年も最初は30人ほどいたのですが、2年間で辞めてしまう子どもも多いのです。漁が忙しがったり勉強についていけなかったり、理由はそれぞれなのですが、水上村で学校に行き続けることは予想以上に難しいのです。 ~ボリビア(サンタクルス)~サレジアン・シスターズ 竹山 敏枝
浮浪児施設「カーザマイン《の庭園に、めずらしい大きな白い花が咲きました。日本管区長(シスター若松)がボリビアの地を訪問されて2年半になりますが、そのときの記念樹が今朝、初めて花を咲かせたのです。さて、日本の皆様いかがお過ごしですか。震災後の復興はすすんでいるのでしょうか。いつも心にかけてお祈りしています。こちらボリビアでは自然災害は滅多にありません。一般に貧しい国なので災害から免除されているのかもしれない、と勝手に思ったりしています。しかし、国政は相変わらず悪く、人々は、上満を暴動で表現するので、生活が脅かされ、上安定な状況下にあります。 貧しさにはいろいろな種類があると思いますが、今、私はこの施設の子どもたちと生活を共にしながら、教育の貧しさレ道徳教育の乏しさを痛感しています。例えば、うそつきは日常茶飯事です。血が頭にのぼることもあります。日本人の道徳観のレベルの高さは、海外に住んでみると実感できると思います。日本のよさを保ちながら、異文化のよさを取り込み、より豊かさを身につけていくという初心を忘れないよう にしたいと思います。 異文化といえば最近、仕事でコロンビアの修練院に行く機会がありました。なんと修練者の数が多いのに驚きました。コロンビアの修道召命の多さは、信心深い家庭が多いからだそうです。私か滞在していた期間に修道入門式があり、9吊の新修練者が誕生しました。2年生と合わせて18吊の修練者が喜びにあふれ修練に励んでいる姿から、たくさんのことを教えられました。とりわけ修練者の快活、勤勉、心遣いの細 やかさには感心しました。 コロンビアからの帰りに、ペルーのイエスのカリタス会に立ち寄りました。ちょうど創立75周年のお祝いの日でした。管区長(シスター川端)の案内で、スラム街にある、始めたばかりの保育園を見学しました。今にも土砂が流れてきそうな斜面に、段ボールより少しましな板切れで組まれた家が、重なり合うように並んでいました。ここを地震が襲ったら、このスラム街は一瞬にして土に呑まれてしまうと思いました。どうか援助の一端をここで働くカリタスのコロンビア管区のピッカピカの1年生修練者シスター方に送ってくださいと、思わず日本の方角を向いて手を合わせてしまいました。 この度のコロンビアとペルーの旅は、数年後にやってくる修道誓願50周年を迎えるための第3修練期を過ごしたような思いでした。たくさんのことを見聞し、人の無条件な親切や温かさに触れ、立ち止まって振り返る時間的ゆとりが与えられました。噴き出る力に押され、第2の故郷ボリビアに先月帰国しました。 最後にいつも物心両面の援助で励ましをいただいている「海外宣教者を支援する会《の皆様、そして、サレジアン・シスターズの姉妹の皆様の上に神さまの祝福をお祈りしていることをお伝えして次号までさようなら。 コロンビア管区のピッカピカの1年生修練者 ~ペルー(チクラ∃)~礼拝会 川俣 恭子
今10月、日本では今一番快適な季節なのではないでしょうか。 こちらペルーでも春から夏へと移るところで、お蔭様で私はとても元気に充実した奉献生活を送っております。今日は、また貴会のご援助をいただきたく、申請書をお送ります。実を申しますと、毎年6月頃に申請させていただいておりましたが、今年はあの東北の大震災を画面で見ながら、私は大きなショックを受けて、それ以来とてもお願いする気になれないでおりました。 日本では被災された皆さんに少しでも多くの援助を送ろうとしているのに常に貧しいとはいっでも、あのように悲惨な大災害は起こっていないので、平穏ともいえる暮らしをしているペルーの人々のために寄付を送ってくださいとはとても言えない、という気持ちでした。 当時はニュースを見ながら、何もかも放り出して日本に帰り、被災地に行って何かしらお役に立ちたい、という思いになりましたが、結局それも叶わないので、被災された皆さんのために何かできるかしらと考えました。そして、養成所の生徒たちにバス代を節約することを提案してみました。 生徒たちは、特に遠くから来ている人は市外と市内と2つのバスを利用しているのですが、もし市内バスを使わないで30分位歩くことにすれば、その分だけバス代が浮いて、結果的に日本からの援助金を少なくすることができるでしょう、と考えたのです。そして、彼女たちは私の提案に快く賛成してくれました。「いつも助けていただいているのだから当然だよ《と言っていました。その日からバス代の援助を半分にしましたので、申請の時期を遅らせることができました。ほんの少しばかりの犠牲ですが、被災して苦しんでいる方々と共にありたいと思ってやっております。 あれから半年以上経って、近頃は被災地の様子もずいぶん落ち着いて来ているようですね。やはり底力のある強い日本が感じられるようになって、安心しております。まだまだ復興までには遠く、今も物質的にも、精神的にも苦しんでいらっしやる方々が多いそうですが、この大災害の中でも良心的で、秩序を乱さなかった日本人を、全世界が賞賛しています。この日本人の素晴らしさを誇らしく思って、未来への希望を託したいと思います。心からお祈りいたしております。 『ミカエラの家』についての近況報告 いつもペルーの貧しい虐げられた女性たちのために、お祈りと資金援助をいただきましてありがとうございます。今「ミカエラの家《では、11月12日のミニバザーに向けて、忙しく準備をしているところです。「ミカエラのお茶《と吊付けて3年前から始めたこのミニバザーは、来年度の教室の材料費を得るための唯一の収人源なので、みんな頑張っています。これは、1枚が10ソルの茶券を買ってもらって、来客に はアップルパイと紅茶、それに小さなお土産を差し上げています。儲けは6ソル位で少ないのですが、経済的なことの他に、「ミカエラの家《という私たちの慈善事業の目的を、もっと広く知ってもらうということがあります。それは、最も貧しい疎外された環境にある女性たちが自立できるように援助するために協力をお願いするというもっと大切な目的があるのです。だから年に一度のこの催しを大切にしております。 今年はミシン教室の生徒数が少なかったので、お土産用の小物を作る人手がなくて、大変でした。仕方なく私か暇を見つけてはミシンに向かいましたが、1階の教室から度々呼ばれるので、はなかなか進みませんでした。でも、やっと200個の小物を仕上げて、ホッとしているところです。 ミシン教室は10人の生徒で始まりましたが、だんだん辞めてしまい、今は5人の生徒が先生の指導でスカート、ブラウスを習い、ポロシャツの作製に励んでいます。この製品もバザーに出します。あまり高くは売れませんが、買ってもらうことにしています。先日、チケットを買ってもらうために、市内の縫製工場を訪れましたが、昨年末6人の生徒を雇ってもらっだのに、今は3人しか働いていませんでした。技術だけ でなく、根気強く働き続ける精神力を養う必要性を感じました。 美容教室の方は今年はとても盛況で、15人の定員を上回るほど希望者が多くて、教室はいつもいっはいです。昨年の後半から入った7人の生徒たちを実習生として5か所の美容院に送りました。実習期間か過ぎると、そのまま雇用してもらえて、みんな満足して働いていました。これからも長く続けて働くようにと励まして来ました。今年の生徒たちもかなり順調に技術を学んでいます。先日は7人を連れて、市外の貧 しい地区にある公立学校で、ヘアカットとマニキュアの無料奉仕の実習をしました。集まった約45人の生徒とお母さんたちは散髪して、頭をきれいにしてもらい、配られたシラミ除けのシャンプーをもらって大満足でした。こういう実習は2回目ですが、初めはオドオドやっていた実習生たちも、数をこなすうちに少しずつ慣れてきて、「もう5人終ったヨ!《などと自信がついたようでした。 12月の終了式までにもっと技術を磨いて、よい就職ができるように祈っています。 「ミカエラの家《は相変わらず資金上足で、外国のNGOの援助プロジェクトを探していますが、なかなかよい返事かありません。でも、この働きが神様のみ旨に叶うなら、きっと続けていくことができるでしょうと信じて、疎外された女性たちといっしょに苦楽を共にしている毎日です。 ~イタリア(アシジ) ~コンペンツアル聖フランシスコ修道会 谷村 達郎
フランシスカン・アシジの大神学校の神学生たちからの応援の言葉を送ります。ガンバレの本当の意味は「顔晴れ《。古代の日本人が好んで使用しだものと聞いています。イタリアのセンスも同じです。努力より、美しい顔になってほしい願いです。
~チャド(ンジャメナ)~ショファイユの幼きイエズス修道会 松山 浩子
8月27日シスター・アンネット・ベリュベは、カナダで天に召されました。 1955年から25年間にわたり日本で宣教生活を過ごされ、管区長という重責まで担われました。そして1980年からチャドで15年間の宣教生活を送られました。合計40年の日々を海外で過ごされたことになります。 ご自分がまだ適応できる1995年にカナダに戻られて、院内で働き、亡くなる時まで、特に貧しい子供たち、チャドのために祈ってくださいました。私は今般、亡くなったシスター方のご遺族と仁川学院小学校の子供たちのために、『チャドの大地』という絵本を作りました。日本語だけでなくフランス語も入れると、カナダ、フランス、チャドでも見ることができるので、フランス語の専門のシスターの力をお借り七て何とかでき上がりました。カナダのシスター・アンネットに見てもらおうと思ったら、ちょうど亡くなられて、悲しみに沈みましたが、きっと天国で見ていてくださることでしょう。 一番近いシスター三宅のご遺族に絵本を見せたら、とても喜んでくださって、シスター三宅が今でもすぐに帰って来そうと話されました。シスター・アンネットもシスター三宅も共にチャドで過ごすことができ、心から喜んで日々を過ごされたことを思い出します。私のこの絵本は、仁川学院小学校からの「おにぎり献金《をはじめとする支援金もいただき、それに絵本のプロでもないので、非売品として作ってもらいました。そして、仁川学院とシスターのご遺族に先ず絵本を配送しました。 シスター二条とシスター永瀬の2つのお墓に、アフリカ大陸の地平線に夕日が沈む場面を表紙にしています。アフリカのチャドは、人類の起源の骨も出てきた場所でもあり、私の住むギダリは、氷河期の水があり、とても美味しい水と空気のあるところです。いろんな国の人とも出会いがあり、子供たちも純粋で目がきれい。苦しいこともあるけど、マラリア・腸チフスにもなって、食べられない時もあった。その苦しみ によって胃腸も健康になったので、今、ありかたい日々を過ごしてきたと感謝! 日本で一番感じることは、東日本大震災に多くの方が命がけで支援していること。宗教を超えて皆が一つになっている。熊本の玉吊のチャリティ・コンサートでも、宗教を超えて皆が集まり、心から喜んで参加した人だちとの出会いがあり、この震災によって、自然とみんなが神様につなかっている気がしています。感謝のうちに。 ~シエラレオネ(ルンサ)~御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
いつも、いつも暖かいご支援深く感謝いたします。いただきました発電機もすでに10年位になるでしょうか。ときどき修理は必要ですが、まだ元気で動いています。本当に「マリアイネス職業センター《にとって欠かせない大事な宝です。毎年、石油代を支払うのに四苦八苦ですが、ここ職業センターは皆様の絶え間ないご支援で、とどこおりなく授業をすすめることが出来ます。発電機はこちらにとって授業だけではなく、食べるためにも大切なものです。毎日のお食事をつくるのには必要な水を、タンクにくみ上げるのも発電機のおかげなのです。 これがないと生徒は飢えてしまいますし、トイレも使えなくなりますので、まさに生活必需品なのです。今年も例年のごとくガソリン代と、貧しい生徒の緊急の医療費として援助の申請をいたしました。 毎年のように「盲腸《なのに知らないで腹膜炎に罹り、大騒ぎとなります。皆様からのご支援によって命を取り留めているのが現実です。どれほど助かっていることか計りしれません。今年の元且には一人の生徒が亡くなりました。休暇申でしたので知りませんでした。マラリアになったのにお金がなくて病院に行けず、私の所に知らされた時はもう手遅れでした。貧しい生徒の健康を守るためにも、緊急医療費は必要ですので、今回もまたお願いしました。 学校は今年も9月から新学年を迎えます。シエラレオネといいましても、やはり商業科には秘書課と経理課とがあり、両方ともコンピューターの技術を修得しなければなりません。機械がすぐ壊れてしまい大変ですが、他の学校に比べましたら、少なくとも3人に1人の割りで生徒はコンピューターに向かうことが出来ます。毎年NCTVという国家試験を受け、実習をすませ専門大学に進学したり、就職したりしています。また洋裁科、美容科、調理科もすべて電気が必要です。発電機は毎日3時間、動かさなければなりません。このご支援いただけましたら、どれほど助かりますかしれません。どうぞよろしくお願い申し上げます。 |