![]() 事務局訪問の宣教者の皆様(日付は来訪日)ショファイユの幼きイエズス修道会 シスター橋本 進子:カンボジア ![]() ◎ 2010年5月21日 聖フランシスコ病院修道会 シスター藤岡 正恵:タンザニア ![]() ◎ 2010年5月28日 聖心待女修道会 シスター千葉 桂子:フィリピン ![]() ◎ 2010年5月31日 フランシスコ会 ブラザー松本 貢四郎:パキスタン ![]() ◎ 2010年7月2日 聖パウロ女子修道会 シスター松崎 信子・清田 光子:ボリビア ![]() ◎ 2010年7月9日 ショファイユの幼きイエズス修道会 シスター入江 多嘉子:チャド ![]() ◎ 2010年7月14日 マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター高木 良子:コンゴ(ブラザヴィル) ![]() ◎ 2010年8月2日 ショファイユの幼きイエズス修道会 シスター有薗 順子:ブラジル ![]() ![]() 海外短信
![]()
| |||||||
|
|
||||
○コンベンツアル聖フランシスコ修道会司祭 谷村 達郎(イタリア・アッシジ) †主の平和と善 ファックスで訃報の連絡ありがとうございました。ローシャイタ神父様の帰天にびっくりしました。昨年、四ッ谷で吉浦師の葬儀ですてきな追悼の言葉を思い浮かべ、また、日本と世界のために献身的な奉仕をされたことに感謝し、おミサをお捧げして祈ります。 ○カプチン・フランシスコ修道会司教 元当会名誉会長 石神 忠眞郎(那覇) 会長ローシャイタ神父さんのご逝去を悼み、ミサを捧げて、感謝とともにご冥福をお祈り申し上げます。 ○イエスのカリタス修道女会日本管区 シスター辻原 弘美(東京) †主の平和 ローシャイタ神父様のご逝去にあたり、謹んでお悔やみ申し上げます。 神父様に感謝を込めて、心から永遠の安息をお祈りいたします。これからも神父様が「支援する会」を支えてくださることを信じています。どうぞ、今後とも引き続き、よろしくお願い申し上げます。祈りのうちに。 ○イエスのカリタス修道女会 リマ準管区 管区長 シスター川端 キヌエ 姉妹一同(ペルー) 故ローシャイタ神父様のご死去を悼み、心よりお祈り申し上げます。 何十年にもわたって、私ども海外で働く宣教師、宣教女のため、霊的にも物的にもご支援くださったローシャイタ神父様の存在は、私たちにとって力であり、喜びであり、そして勇気でもありました。ご自分の体験によって、まるで私どものすべてをご存じかのように、「きずな」や海外宣教者を支援する会からの支援を通して、私たちを勇気づけ、励ましてくださいました。その父のような温かで静かな存在は、私たちに「大丈夫、そのまま進んでいいから」という安心感を与えてくださっていたように思います。そのように大切な方が永遠の国へと旅立たれたことは、少なからずさびしことではありますが、今後は天国からの大きなご支援をいただけることを思い、心をこめてその旅をお見送りすることができたように思います。 ちょうどイエズス会の菅原神父様の黙想会の最中で、私どもイエスのカリタス修道女会、扶助者聖マリア会、礼拝会から14名の姉妹とともに、ごミサの中でともに心からの感謝をこめ、お祈りをお捧げしました。どうぞ神父様、主とともに永遠の幸福をお楽しみください。そしてこれからも私ども宣教師、宣教女の保護者でいてくださいますようにお願いいたします。 ○聖霊奉侍布教修道女会 シスター林 静子(パラグアイ・ピラポ移住地) †主の平和 7月10日にローシャイタ神父様が心不全でお亡くなりになったことを伺いました。つつしんでお悔やみ申し上げます。何十年もの間、移住協議会の時代からお働きになりましたので、お亡くなりなったことは。私たちにとっても悲しい出来事でした。 何回もブラジル、またパラグアイまでもおいで頂き、大変お世話になりました。厚く感謝申し上げます。早速、シスター金永とシスター山田にはご連絡申し上げました。心からご冥福をお祈り申し上げます。 ○元上智大学職員 山村 かずみ(東京) 上智大学の「ブラジル語夜間講習会」受講生だった私は、1963年、講習会の主催者であるプラジル・センターに転職してきました。以後1994年までローシヤィタ神父様の元で勤務させていただきました。退職後も2・3ヶ月に一度はご機嫌伺いをして、お会いする機会を持っていましたので、今回の急なお別れはいまだに信じられない思いでおります。 夜間講習会から数えると半世紀近くも神父様にはお世話になりました。いろいろなお役目を果たされた神父様のおかげで、私もいろいろな方たちと知り合うことができました。それは、1964年創設のポルトガル語学科の教授・学生・卒業生の皆さん、カトリック移住協議会の皆さんや宣教者の方々などです。 神父様の宣教者らしい慈愛と寛容、教育者としての厳格さと温情。それにたっぷりのユーモア精神。これらに日々接して、私はポルトガル語の他に数え切れないほど多くのものを直接・間接に教えていただきました。すばらしい恩師でもあり、尊敬できる上司でもあったお人にめぐり会えて、私は果報者でした。 生前よく口にされていた「あとで永遠の休息があるから」のご希望通りに、今は天国で安らかにお休みのことでしょう。ここに改めて心からの感謝を捧げる次第です。 ○聖霊奉侍布教修道女会 シスター山田 雲江(パラグアイ) ローシャイタ神父様のご逝去を心からお悔やみ申し上げます。沢山の思い出と神父様の温かい眼差しに包まれながら、この小さなお悔やみの便りを書いております。 ローシャイタ神父様が、長年にわたり私たち海外に派遣されている宣教者を支えてくださったこと、多くの支援者とご一緒に私たちにご協力くださったことにつき、改めて心から感謝いたします。 約40年前、濱尾司教様、梶川神父様と共にパラグアイにいる私たち宣教者を訪ねてくださったことを、懐かしく想い出します。今、濱尾司教様、梶川神父様、そして沢山の亡くなられた宣教者の方々、恩人の方々とご一緒に、主を賛美し、讃え、感謝しておられることでしょう。 ローシャイタ神父様の永遠の安らぎを祈りながら。 ○マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター阿久津 玲子(イスラエル) 寄稿のことで色々お世話になっている中で、ローシャイタ神父様のご帰天を伺い、驚きました。急逝されたのでしょうか? お会いしたことはないのですが、「きずな」を頂く度に会長様である神父様のためにお祈りしておりました。聖徳の道を歩まれ、今神様の栄光のうちにおられる神父様が天国から私たちのために助け、導いて下さいますことを信じ、キリスト信者として死は別離ではなく、この毎日は永遠につながるお恵みであることを思い、お祈りと共に慰めを感じさせられております。皆様のお祈りにつながれて。 ○礼拝会 シスター川俣 恭子(ペルー) ボリビア・サンタクルスのイエスのカリタス修道女会が、イエズス会の菅原神父様の指導で行う日本語の黙想会に呼んで下さいましたので、喜んで行ってきました。その黙想会の最中にローマのイエズス会から菅原神父様に、ローシャイタ神父様のご帰天のお知らせが入りました。あまり突然のことで、言葉もありませんでした。悲しくて、涙が出ました。13人の日本人のシスターたちとごミサを捧げて、ご冥福をお祈りいたしました。 「会」のスタッフの皆様方もどんなにかお悲しみでしょう。でも。神様のはかりがたいみ旨を信じて、天国からのお取り次ぎ手をまた一人増やして下さったことを感謝して、新たな発展へと進まれることと思います。お祈りとともに。 ○長崎純心聖母会本部 シスター上田 圭子(長崎) ローシャイタ神父様に永遠の恵みを! 「ローシャイタ神父様が亡くなられたそうよ。」長上から報せを受けた時、私には思い当たる節があった。ブラジルから帰国中の最近、何故か神父様のことが思われ、ご高齢のおん身を案じていたところだったのである。 1988年、私はパラナ州クリチバの純心学園で、日本語教師として奉仕することになり、出発まで移住協議会のローシャイタ神父様や八幡さんを始め、関係者の皆々様に大変お世話になった。特に神父様はブラジルご出身なので、色々助けて頂いた。お陰様で体力的にも、年齢的にも限界にある私が、今日まで奉仕を続けさせて頂いている。 1992年、神父様はクリチバにお立ち寄り下さり、新しく開設される修練院をご覧になり、お励ましを頂いた。長崎純心聖母会の紹介パンフレットをポルトガル語に訳して下さったのも神父様で、これを今も使用している。去年、帰国中の姉妹が神父様をお訪ねした時も、ブラジルのためにと金一封を下さった。 こうして思い出せば、暖かく細やかな神父様のお心配りの数々が、困難の多い異国での宣教活動に励む私たちの支えであり、励ましであった。 この世での使命を終えて、聖父のもとに召された神父様を偲び、感謝の思いを込めて、そのご永福をひたすらお祈り申し上げると共に、私たちも召された道を終わりまで歩み続けることができるよう、今度は天国からその恵みをお取り次ぎ頂きたいと切に祈っている。 ○マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター林 節子(東京) ローシャタ―神父様のご訃報に接して、お悔やみを申し上げますと共に、おん父のみ許で永遠の命に憩われますようにお祈り申し上げます。 たくさんの人々のために尽くしてくださった神父様のご生涯が、宣教者としてのお手本をいつも示していてくださったことを心から感謝しております。 ご葬儀のミサに参加し、ご遺体にお目にかかった時、40年以来の様々な思い出がよみがえってまいりました。初めてお会いした時、背の高い神父様をみあげ、まっすぐに私を見ておられるその澄んだ眼差しに深い印象を受けました。その時から、折につけ、私に助言して下さったことは、「熟考したうえで、良い選択をするようにと言うことでした。」上智大学のポルトガル語科に入れていただいた時も、必ず後で役立てるということ、正規の学生と全く同じように、どんな小さなテストも、試験も受けることを条件にされました。そのおかげで宣教地に行っても、ポルトガル語に不自由することなく働くことが出来ました。数年毎の帰国には、いつも関心をもって私の話しを聞き、援助もして下さり、厳しさの中にも慈父の心でいつも迎えて導いてくださいました。充分に感謝の心をお伝えしなかったことが今は悔やまれます。 この世でのお別れは、いつの日か、天の国でお会いできる日を待ち望む始まりだと思っています。どうぞその日まで、私たちをお守りください。 ○日伯司牧協会副会長・コンベンツアル聖フランシスコ修道会司祭 松尾 繁詞(ブラジル) 「よい知らせを伝える者の足は、何と美しいことか」(ローマの信徒への手紙10-15)これは彼に相応しい言葉です。 ヴェンデリノ・ローシャイタ神父様の死の知らせを聞いて、すぐ念頭に来たことは「宣教者」と言う言葉と長い足です。彼は自分の生まれ故郷がブラジルであったので、ここで何回か会ってお話をする機会がありました。彼はあるとき何故、自分がイエズス会に入ったかを説明して下さいました。「教区の神学校で司祭を目指して勉強していたが、自分はどうしても宣教者となってアフリカや日本に行き、福音宣教に携わりたいと思っていた。教区の神学校にいては、それが叶えられそうになかったので、イエズス会に入会を決心した。」 その後の入会までの色々な葛藤と問題解決、それから日本に渡るための様々なイエズス会士としての試練を淡々と話して下さったことが鮮明に蘇ってきます。彼は自分のうちに沸いてくる強い呼びかけに応えました。「宣教者」、福音を告げる人として日本に渡り、日本を愛し、日本人のために一生を捧げて下さいました。 ブラジルにおける日本移民の司牧に携わる私たちは、日本カトリック移住協議会、海外宣教者を支援する会を通して、また、個人的にも多くの援助を頂きました。感謝しています。ヴェンデリノ神父様、有難うございました。 ○ノートルダム教育修道女会 シスター兵頭 晃(米国 セント・ルイス) 暫くウエブサイトを開けないでいましたので、先日きずな112号を拝見して、ローシャイタ神父様のご帰天を知りました。神父様との関わりは長く、半世紀以上になります。神父さまが第3修練を終えて日本に帰られたとき、ベルギーに一時帰国されたエリザベト音大ゴーセンス学長の代行をされました。未だ30歳過ぎで、見上げるような長身から、私たち学生を優しく『見下ろして』いらっしゃいました。黄金バットのような長い黒のマントを羽織られた神父さまの最終誓願式にはオルガンを弾く喜びもありましたし、卒業証書も戴きました。後に、司教協議会の典礼委員会に務めていましたときには、何かとお会いする機会もありましたが、東京を離れてからはお会いすることもなくなりました。でも、ローマに居たときには、ブラジル管区の姉妹がローシャイタ神父さまのことを誇りにして話してくれました。 2006年春、一時帰国中でイグナチオ教会の小聖堂に居ましたら、偶然、ポルトガル語のミサの準備に入ってこられ、全く思いがけない再会の恵みを頂きましたが、あれがお目に掛かった最後になりました。 神父様のご生涯とご奉仕、日本に派遣して下さったブラジルの教会とご家族の皆様に感謝を捧げたいと思います。長患いはされなかったご様子ですので、それがせめてもの慰めです。神様の元で終わりのない命を楽しまれますように。ありがとうございました! | ||||