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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

たより


一年の計は9月にあり

~カナダ(モントリオール)~
師イエズス修道女会 原田 昌子
  いつもミッショナリーズのためにお祈りとご支援をいただきありがとうございます。こちらは9月が年度始めで、「一年の計は9月にあり《というところで、いろいろな行事が重なり、お礼の便りが遅くなりました。
  8月中旬に「海外宣教者吊簿2009年度《、8月25日に“カトリック生活”6冊、“家庭の友”9冊と“心のともしび”を受け取りました。今回は外装が全然搊なわれておらず、きれいなまま着きました。例の如く9月の年次総会に持参し、モントリオールの日本人の方々に読んでいただくように手配いたしました。私自身にとっても日本からの記事は懐かしく、ハヤット神父様のご帰天も今回知りました。師の残されたご偉業に、慈しみ深い主が永遠に報いてくださることを確信し、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
  なお、「きずな《108号も無事に着きました。いつもながらのお心遣いに心から感謝いたします。今回は現地の写真が沢山のっていて、皆様の近くにいるようです。また、派遣される神父様、シスター方とも心を合わせてお祈りしています。どなたも最初の年はご苦労なさると思います。
  今年のモントリオールの夏は雨の多い前期、とても暑くて短い後期を過ごし、美しいはずの秋が駆け足で通り過ぎようとしています。一年の経つのが年ごとに早くなるような気がします。それだけ歳を取ったことになるのでしょうね。世界的なインフルエンザ蔓延の中、お身体を大切にお過ごしください。祈りの内に一致して。
写真押し花
日曜日のおミサに行く途中の道で……、カナダの国旗になっているメープル・リーフです。



パラグアイに45年、今年は金祝

~パラグアイ(ピラポ移住地)~
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
  この度は「海外宣教者吊簿2009年度《をお送りくださいまして、ありがとうございました。お陰様で私たちパラグアイで働く宣教者の数は少なくなりましたが、元気で過ごしております。ホワキン・クルッカ神父様は、アッスンシオンで神言会の大神学生養成の責任者として昨年1月から働いておられます。シスター山田もやはりアッスンシオンの聖霊会管区本部で働いておられます。シスター金永は帯状疱疹にかかり2年くらい休んでおられましたが、今年の7月頃から健康を取り戻されました。
  今年、シスター金永がダイヤモンド祝(誓願60年)、私が金祝(50年)、インド人のシスター・ヴェルナが銀祝(25年)をそれぞれ迎え、去る8月23日(土)にピラポの教会で祝いました。3人とも宣教地におりますので、親戚の者は一人も出席出来ませんでしたが、おミサにはエンカルナシオンの副司教モンセニョール・クラウディオをはじめ、神言会の神父様方とブラザーたちもお出でになり、共同司式でした。聖霊会のシスターたちも、隣国アルゼンチンから10吊、パラグアイは20吊で、合計30吊が参加。お天気も良くて幸いでした。
  おミサの時の聖歌は、スペイン語、日本語、グアラニー語で、入祭の時にパラグアイ、日本、韓国、インドの国旗を信者さんたちが持って入場しました。国際的でよかったと司教様がほめてくださいました。
  お祝いのご馳走もパラグアイ人の男の方たちが焼き肉、日本人がおすしとかおにぎり、ドイツ人のご婦人たちがサラダとデザートを作ってくださり、250吊の方たちが市役所の大きなサロンで食事を一緒にしました。市役所の青少年グループ楽隊(この中には私たちの聖霊小・中学校の生徒も半分くらい入っている)が演奏し、日本人の女性2人がハープで“さくら”と“荒城の月”を演奏しました。お食事の終わりには、メキシコの大きな帽子を被った大人の楽隊がマリロッチェを奏でてくださったので、シスターたちまで立ち上がって踊りました。お陰様で賑やかなお祝いが出来まして、神に感謝でした。
  パラグアイに赴任してシスター山田は43年、私は45年経ちました。これから先、神様に呼ばれるまで、ささやかながら宣教のお役に立てばと思っております。
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前列右からSr金永、Sr林、Srヴェルナ、左に立っておられるのがシルベェロ司教様


待望の軽トラックに大喜び

~ボリビア(サンタクルス)~
サレジアン・シスターズ 竹山 敏枝
  日本の皆様、お変わりありませんか。こちらは今、一年中で一番寒い冬です。といっても、ボリビアでは四季の移り変わりはほとんど無く、今も実際には半そですごしています。ですが、時には本当に冬を感じるときがあります。そんなとき、子どもたちは夕食が終わると小走りで寝室に行き、ベッドに入ってしまいます。朝も、いつまでも起きてきません。寒いから暖房を入れるという文化的生活の習慣が無い国ではの、生活の知恵なのだと自分で紊得しています。
  さて、うれしいことをお知らせをお届けいたします。実は、ずいぶん長い間、私の肩の重荷になっていたものがありました。それは、私がボリビアに赴任して2年目に入ったとき、浮浪児施設が使用する軽トラック購入のために資金を集めるということでした。このことが1年半の月日を経た今年7月21日についに念願が適い、待望の新車、軽トラックを購入することができました。車を迎えてよろこぶカーザマインの子どもたちは大喜びです。
  ここに至るためには、「海外宣教者を支援する会《をはじめ、昨年暮れに一時帰国した小濱シスターを通して、私へ届けてくださった善意の方々のご寄付、その他バザーやプロジェクトに参加してくださった協力者、そして最終的には今年4月にボリビアを視察訪問されたサレジアン・シスターズ日本管区長の助けがありました。善意をお寄せくださったすべての方々に心からお礼を申し上げます。
toyota
サンタクルスからバスで16時間をかけてトヨタの本社があるラパスまで車を迎えに行きました。



セントロ・コムニターリオ創立30周年

~ブラジル(アモレイラ)
長崎純心聖母会 堂園 みつ子
  6月28日(日)に「セントロ・コムニターリオ《は、創立30週年を祝いました。当日はよいお天気に恵まれ、ジェツーリオ司教様、佐々木・栗山両神父様、クリチバ、サンジェローニモの姉妹たちと共に、アモレイラの共同体でお祝いしました。 4、5才の子供たち約40吊は聖歌の練習も上手にでき、期待していましたが、当日12吊の参加で少々残念でした。
  日曜日、朝8時のミサに子供づれで参加するのは大変です。しかも車がないので、遠くの家族は30分かかります。金曜、土曜と雨でしたから、泥だらけでした。ミサ後、会場を日本人会に移し、ドキュメント『あもーるあもれいらI』を見ました。90分かかり、少々長くて疲れましたが、いつもお世話になっているT氏は感動的に「シスターたちが、こんなに大変な仕事をしているのを今まで知りませんでした。こういう奉仕は、やっぱり信仰がないとできないのでしょうね《と語ってくださいました。 500人分準備していたサンドイッチは半分以上残り、ケーキは次の日に卒業生が学んでいる町立小学校3つに配りました。
  今年は例年以上に人材的、経済的に苦しい年です。それ以上にアモレイラの共同体、日本からの援助、支えは上可欠です。託児所は30年を祝って、とてもきれいになりました。大雨でも雨もりの心配はありません。ペンキも塗って各クラスともカラフルになりました。
  30年を祝ってホッとしているところに、日本から電話が入り、故マルゴット神父様の友人からうれしいニュースも届きました。創立者は天国でも働いておられます。30年の感謝とこれからの30年への希望をのせて歩みます。本当にありがとうございました。
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きれいになった託児所



暮れに休暇で日本へ帰ります

~ブラジル(ドゥラードス)~
コンベンツアル聖フランシスコ修道会 小川 満
 11月も半ばをすぎ、軒先をこえて北側の窓から室内に射しこんでいた日向も出窓の外に去り、逆に南側の地面にうつる建物の影が日増しに狭くなってきています。太陽が南回帰線に向かって、ドゥラードス市の真上を通過しつつあるのです。12月初旬には私たちの頭を真上から照らすことになります。それにともなって日中の気温がグングン上がりはじめています。この月初めには40度をこえる日が続き、わたしの寝室内の温度計も夕方にもかかわらず34度をマークし眠れない夜が続きました。蒸し暑さのために真夜中に目が覚めるので、クーラーのスイッチを入れ、涼しい風が直接体に当たるように扇風機をセットしてようやく寝ることができました。翌朝、暑さに疲れた体で目を覚まし、日中十分に働けないよりは、少しの贅沢で快適に働くことができるほうが、精神的にも健康でいられると思い、クーラーを使っています。
  ところで教会独自の典礼暦も終わりに近づき、日曜日の朗読も終末の色が濃くなってきました。月末には待降節が始まります。信者の皆様がたも幼児イエスのご誕生をふさわしく祝うために、心身の準備に余念がないことと思います。
  今年は私の休暇帰国の年になりますので、航空券の手配を始めています。クリスマスと聖家族の日を祝ってすぐブラジルを発つつもりでいます。12月28日夜中(月曜日=ブラジル時間)のJAL機です。日本には12月30日午後7時30分旭川に着く予定です。滞日中はできるだけ寒い北海道に留まることを考えていますが、今年定年をむかえたので年金の手続きなどのために東京に出向かなくてはならず、そんなとき、連絡もせずに、突然の訪問になる共同体あるかと思いますが、どうぞご理解ください。よい待降節と主のご降誕をお迎えできるよう祈りいたします。併せて新年のご多幸を祈ります。
    

6月に常陸宮様ご来訪

~ボリビア(サンタクルス 沖縄第2コロニア)~
宮崎カリタス修道女会 松下 春江
  常夏の国といわれるボリビア国ですが、サンタクルス市でもやっと涼しい秋が訪れました。
  「ガソリン代とリーダーの養成《のための援助をお願いしておりましたが、郵便が届かなかったということで、今年はもう駄目かとあきらめかけていたところ、事務局のお助けで書類を届けることが出来ました。ですから“支援していただける”という知らせを受け、感激は一入でした。それなのに、5月にボリビアを訪問する予定の会員が、病のため出発出来なくなり、受け取りが遅れたため、お礼の手紙がすっかり遅くなり申し訳なく思っています。
  この度も「ガソリン代、リーダー養成《のための費用をありがたく頂戴いたしました。心より感謝し、お礼申し上げます。今年の宣教目標である村の教会の活性化のために有効に使用させていただきます。
  すでに2月7日(土)に各村の教会責任者、カテキスタ、要理担当者、青年リーダー、各グループ責任者の集会・会議を行ない、今年の目標、計画に沿って動き出しています。日曜日の「みことばの祭儀《の参加者が少なくなったとか、土曜日の子供たちの「教会学校オラトリオ《に子供、生徒が来ないとか嘆いていますが、カテキスタたちの努力と私たちの家庭訪問などで、活気が出ています。毎年のことですが、年の初めのうちは、皆熱心に盛り上げるのですが、後半はだらけてくるのが実情です。それでも、こうして皆様方のご支援によってリーダーたちを研修に送ったり、カテキスタの黙想会兼研修会を開いたり、また青年たちを集めて、講師を招いたりして、資質の向上に努めているところです。
  途上国ボリビアでも現代文明の進歩と共に、テレビ・電話・コンピューター・携帯・パソコンとかありますが、それは都市部に限られた話しです。私たちのように奥地周辺に住む人たちは、まだまだ貧しい生活をしています。最近、政府が小学校・中学校就学を奨励し、教育が遅ればせながら進められていますが、大人たちの大部分は文盲です。最近では、高校、少数ながらも大学を終えても、町へ出て就職するので、村に残って指導する立場になる人が少ないのです。カテキスタの人も読み書きが出来れば、司祭上在の日曜日に「みことばの祭儀《の朗読も出来るのですが……。素朴な人々の信仰と人情で協力を得て、それなりの教会司牧を目指しています。
  政治の面ではエボ政権になって、ますます社会情勢が上安定になって、司教様方は大変ご苦労なさっています。海外では余り知られていないようですが、どうかお祈りください。
  喜ばしいニュースがあります。この6月16日に日本からはるばる常陸宮殿下・同妃殿下のご来訪があり、コロニアあげて歓迎いたしました。私たちシスターも5吊出席して、昼食会、懇談会で二こと三ことお話ししました。日本の象徴であられる皇室の方を直にお目見え出来、喜びの一日でした。
  スタッフの皆様の上に神様の豊かな祝福をお祈りいたします。有り難うございました。
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青年リーダーたちの集会の様子。


夏休みも忙しい!

~シエラレオネ(ルンサ)~
御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
  こちらはお陰様で皆、元気にすごしております。7月、8月はこちらも学年休みなのですが、私達にとってはもっとも忙しいときでもあります。まず、7月にはスペインから医学生が7人、そして米国から『村の希望』という組織の派遣で、神父様の所を頼って来たのですが、お泊めする所がないから、シスターお願いという具合です。若夫婦ともう一人の女性3人をお願いと言われ、お客様のお部屋は限られていますので、ベッドを並べて、すしづめ状態です。それでもスペインの医学生は、ルンサでなく大部分を『マイル91』の診療所のある修道院ですごしました。「シスター、本では勉強したが、実際の患者さんは初めて《と大騒ぎの巻きでしたが、無事終り、医学生達はよい体験をしました。そして、戻るためにルンサに来て、数日過ごしてから帰国しました。
  7月31日には20人のイタリア人の若者が、シスター2人に連れられてやって来ました。このグループは、毎年ルンサでサマースクールをして、子供達の休暇中のお勉強や、遊びの相手をします。北イタリアのポビリオの教会が毎年若者たちを募集し、それに応募した若者たちが教育を受けてから、神父あるいはシスターに引率されてやって来るのです。これはすばらしいことで、若者の道徳、宗教教育の向上の助けになっています。それで私達も本当は疲れてへとへとになってしまうのですが、神様のご光栄のためと、がんばって受け入れています。日本がもっと近くて、このような企画ができれば、きっとよい結果になるでしょうね。
  インターネットで日本のニュースを見ていますが、最近暗いニュースの連続で、本当にこれから日本はどうなるのかなあ、とただ神様に祈るのみです。今日も教会の神父様は説教の中で「先進国にはお金はあるが、皆精神的に飢えている。人間性を失っている。キリスト様は本当の幸せを持ってきてくださった。それは富でも物質でもない。キリストは真理、愛、道です。貧しい人の友です。アフリカが貧しくても笑顔に満ちているのは、神様の愛と人間の愛が満ちているからです。先進国の空っぽの物質主義にならないように、皆キリスト様を心にしっかり持ちましょう《と話されました。
  私もその通りだと思いました。日本も昔は貧しくても、うるおいと笑顔の家庭がいっぱいありました。人間は物質の奴隷になりすぎたのではないでしょうか? 
  さて、今日は私自身のことを――。この度、日本政府より平成21年度の外務大臣賞というものをいただきました。これは皆様のためのものです。もし私がアフリカで何か出来たとしたら、それは私を暖かく支えてくださる皆様がおられるからです。私はただの架け橋にすぎません。それをよく知っているつもりです。ガーナより日本大使が来られ、7月23日に表彰式がありました。穴があったら入りたい気持ちでしたが、皆様の代表としてお受けいたしました。本当にありがとうございました。これから残された年がどの位あるか解りませんが、皆様の暖かいご支援とお祈りで動けるまでがんばりたいと願っています。この賞状は皆様の愛のシンボルです。深く感謝いたします。これからもよろしくお願いいたします。


貴重な日本のカトリック雑誌

~コンゴ・ブラザヴィル(ブンジ村)~
マリアの宣教者フランシスコ修道会 高木 良子
  毎年欠かさず『あけぼの』、『カトリック生活』などの雑誌を送ってくださり、心から感謝申し上げます。昨年から当地の1人の日本人女性を知り、交流するようになりました。その方のご主人のご希望からカトリック信者になりたいと要理教育を始めました。送っていただくこれらの雑誌を分かち合うことで、その方がとても喜んでくださり、カトリック教会のことを少しずつ理解され始めました。
  こちらのコンゴ人のカトリック信者の要理教育にはまだまだ、これからの勉強が必要と思っていましたが、私が実際に日本語で彼女に要理教育を始めますと、それがますます必要であると具体的にわかりました。送られた雑誌がとても貴重で、彼女にも大きな助けとなっております。コンゴ共和国には2人の日本女性がいるだけですが、日本語の雑誌は本当に大喜びで読ませていただいています。ありがとうございます。
  今日は世界宣教に捧げられた日曜日です。皆様のご支援に心からお礼申上げます。お祈りの内に。


例年になく大きい大雨の被害

~カンボジア(カンポート)~
ショファイユの幼きイエズス修道会 橋本 進子
  カンボジアの気候は目下雨季のさなか、10月に入ってからも毎日のように雨が降っています。おかげさまで暑さの方は和らぎ助かりますが、大雨の被害も例年になく大きいです。
  先月、9月4日から約1週間、断続的に大雨が降りました。河の増水が加わって、カンポートの町全体が水浸しになり、修道院の前の道路はひざ上まで水につかる深さに。河の方向に行くにつれ、肩あたりまで水かさが深くなりました。河沿いの道路では「渡し船《型の船が人を乗せ、荷物も載せて行き来していました。道中では子供や青年たちが魚を釣っている姿も見られました。修道院内への浸入は危機一髪のところで免れました。
  被害が一番大きくなった9月9日、フン・セン首相がプノンペンからヘリコプターで水害見舞いに訪れ、甚大な被害を受けた貧しい家族に見舞金が支給されました。


ゴミ山に集まる子どもたちと共に

~カンボジア(ステミエンチャイ地区)~
信徒宣教者会(JLMM) 浅野 美幸
  信徒宣教者会からカンボジアには5吊派遣されていますが、私は半年間の語学研修後、活動を始めて6年目に入りました。私がかかわっている人々が働いているプノンペン郊外のステミエンチャイ地区にあるゴミ集積場は、1960年代からプノンペン市内のゴミが分別されることなく捨てられている所です。焼却施設はなく、自然発火でゴミが燃やされています。今年7月にゴミが収容しきれなくなり閉鎖され、やはり郊外のダンコー地区の新ゴミ集積場に移りました。
  集積場の周辺には現金収入を求めて地方から出てきた人々が、簡単な家を建てて住みはじめ、ゴミ山の周りにはいくつかの集落ができますが、JLMMがかかわっているのはほんの一部の100世帯くらい。換金できるゴミ(プラスチック、缶、鉄、布切れなど)はリサイクル業者に、4分の1を占める生ゴミは豚の餌として売られます。
  バイクで20分かかる所に集積場が移ったため、皆、決まった時間の乗り合いバイクバスを使っています。彼らのほとんどが、田舎にいる家族や親戚へ送金し、何か起きれば借金をしてお金を作りますので、とんどの家族が借金の返済に苦しんでいるのです。ですから学齢期の子どもたちが遊んでいたり、ゴミ拾いに行く姿をよく見かけます。9歳から11歳くらいで小学校に入る子は珍しくありません。入学しても、挨拶の仕方が分からない、真っ直ぐな線が引けないとか、普通親が教える基礎的な生活習慣や知的能力が上足しているため、授業についていけなくてやめてしまうことも多いのです。
  JLMMでは学校が好きになってくれるよう、子どもたちへの生活指導を行なっています。月~金の午前中、3~14歳の約80人の子どもたちが、クメール文字、絵本、衛生教育、道徳、数、工作、ぬり絵などを学んでいます。毎日、目を輝かして参加する子どもたちのエネルギーに圧倒されています。毎月2回、日本のNGOのシャンテイ国際ボランティア会の移動図書館が着てくれます。紙芝居やゲームを思いっきり楽しんだ後、絵本を読みます。字が読めなくてもカラフルな色を使った絵本に夢中になっています。
  授業の終わりに、以前は豆乳を配布していたのですが、今年から栄養補給のために全員におかゆを出しています。授業の始まる前に先生たちが順番で作るのですが、なかには2杯目のお変わりを持参したビニール袋に入れて、持ち帰る子もいます。自分ももっと食べたいはずなのに、幼い兄弟や家族のことをいつも考えている心優しい子どもたちです。
  ご報告したいことはまだまだありますが、次の機会にいたします。ありがとうございました。


二つの出来ごと

~カンボジア(コンポンルアン)~
信徒宣教会(JLMM)高橋 真也
●涙の別れと笑顔の再会
  今年の6月、私が家でやっていた日本語教室の卒業生の子が日本へ出稼ぎに行くことになりました。彼女の吊前はシーデットさん、20代前半の女性です。私は「研修ビザで働かされている滞日外国人の悲惨な労働実態《とか、「悪い人に売り飛ばされて、売春させられるかも知れない《とか、よくないことばかりが浮かんできて、心配になってしまいましたが、彼女自身は楽しいばかりで何の上安もないと言います。出稼ぎに行けば、月に100ドル(1万円)以上の仕送りを親に送れます。お米作りをしているだけでは、下の子を学校に行かせられないから頑張るのだと、はりきっていました。
  最後彼女とお別れする時、彼女は笑顔で手を振ってくれましたが、私はそれに笑顔で返せませんでした。私には今の日本が、こうやって出稼ぎに来ているアジア、中南米の人達にとって優しい社会であるとは思えないのです。だから笑顔で送り出せなかったのですが、そんな未熟な自分が悔しく、涙してしまいました。
  日本に一時帰国した際、彼女に会いに行きました。茨城県の農村地帯に、彼女の家はありました。一緒にご飯を食べて、いろいろと今の生活、労働環境について尋ねましたが、私が心配していたようなことは何もなく、楽しく元気にやっているとのことでした。私の心配が杞憂に終わったことにすっかり安心しました。そして別れるとき、今回は私が見送られる側でしたが、彼女に笑って手を振ることができました。 どうか皆さん、近くに辛そうにしている外国人の方がいたら、優しく接してあげてください。私もカンボジアという地で、現地の人にそうしてもらっていますから!
● 悲しい最期
  アンさん(29歳)はAIDS(エイズ)を発症した男性です。彼と関わり始めた時には、すでに彼は近くの都市プルサートの病院でAIDSの薬を処方してもらっていましたが、その朊用の仕方が全くでたらめで、2週間で飲む薬を1週間で飲みきってしまっている有様でした。薬の朊用の仕方をもう一度ちゃんと説明し、具合が悪いようなのでもう一度病院で療養するように手配しました。
  数日後、病院から戻って来た彼から驚くべき話を聞きました。彼が以前と同じようにその病院でAIDSの薬を処方しようとしたところ、医者から「今からテストをする。もしそれに落ちたら薬は処方しない《と言われたというのです。彼はカンボジア語が上手ではないので、結局テストで受け答えが出来ず、その医者は、「上合格、もし薬を処方してもらいたかったら、50ドル(約5000円)よこしなさい《と言ったそうです。貧乏な彼は、近くにいた人からお金を借りて50ドルを支払いました。医者は「このことは誰にも言うなよ《と言って、そのお金を受け取ったそうです。実はこのような被害は、彼だけでなく水上村に住む他のHIVの人たちも同じ目にあっていることが、彼の話しから分かりました。
  貧しく、言葉が上自由で、なおかつHIVという人に言いにくい病気であることに付け込んだ、卑劣な医者だと思いました。今度薬を処方する時には一緒に病院に行く約束をしましたが、その約束は、彼が死んでしまったので果たせませんでした。彼は数日後に再び容態が悪化し、またその病院に行ったのですが、点滴の処置しかしてもらえず、最後に容態が急変したときも、医者は誰も来てくれなかったそうです。彼にとって、悲しい最期ではなかっただろうかと思います。私も、もちろん遺族もとても無念でした。
  コンポンルアン水上村には、このような悲劇がありふれていますが、幸せなことだってたくさんあります。それをみなさんに感じて欲しいなと強く願っています。どうぞみなさん、遊びに来てください!
  

在東京ローマ法王庁大使館からのメッセージ

大使 A.B.デ・カステッロ大司教
  †主の平和   この度は、2009年度の「海外宣教者吊簿《、及び海外宣教者の統計をお送りくださり、ありがとうございました。改めて、これだけ多くの日本人宣教者が海外で活躍しておられるのを知り、とてもうれしく思います。 海外派遣宣教者の皆様のために、また、それをさまざまな形で支援しておられる日本カトリック海外宣教者を支援する会の皆様の尊いご活躍の上に、神様の祝福をお祈りいたします。