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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

たより


6年目の善きサマリア人幼稚園

~フィリッピン(ゴサ)~
善きサマリア人修道会 迎 衛子
 “♪善きサマリア人幼稚園~♪”と姉妹園である日本の幼稚園と同じメロディーで、元気に園歌を歌って3月に59吊の子供たちが卒園し、新しい60吊を迎えて6年目が始まりました。
  世界的な上況の中で、ここも同じく仕事がないことに加えて、物価の値上がりがひどく、毎日の生活がより大変になっています。幼稚園も例外ではなく、費用を少し高くせざるを得ませんでした。払える人は少しでも払うようにと励ましています。ある人は1週間ごとに少しずつ、またある人は卒業してから払いにきて、私たちは感動しました。自分は払うことができるというのは本人にとってうれしいことです。
  幼稚園のクリニックも2年目の2008年度は、健康チェックなども毎月行なわれ、給食プログラムは充実したものとなっています。アロス・カルド(チキン入りのおかゆ)や、この地方特有の餅菓子のおやっなどをとり入れ、栄養的にも嗜好の面でも喜ばれています。
  残念だったことは、昨年また一人の園児、マヌエルが亡くなったことです。入園する前から病気(先天性の悪性貧血)で長くは生きられないだろうが、短期間でも園での生活を体験したいという本人の願いで受け入れました。すでにお腹か脹れた状態で、椅子に座るのも大変でしたが、みんなと一緒に歌うことや、できる範囲での活動を共にすることを喜んでいました。6月に入園し、7月の末に具合が悪くなり、みんなにさよならを言いに来て入院。そのときマヌエルの弟ハリー(3才)も肺炎のため続いて入院し、しかしその夜亡くなり、さらにマヌエルも翌日亡くなりました。2人の死を聞いたときは信じられない思いでした。教会でのお葬式、墓地へも行きましたが、小さい2つのお棺を見て涙が出ました。子供たちの命がこんなにも簡単に失われてしまう現実を見ると、自分たちの無力さを感じさせられます。
  毎年5月に教会で行なわれる“フローレス・デ・マーヨ”に、今年もたくさんの子供たちが参加し、セミナーを受けた7人の高校生が、そのクラスを担当したのもうれしいことでした。昨年度は、個人で日本やオーストラリアから、1週間または2週間滞在し、体験学習に来てくださった方があり、子供たちにとっても、私たち共同体にとってもうれしいことでした。
  また、コンセプションにある幼稚園は、教会の敷地内にある、小さな1つの教室だけでしたが、皆様のご援助でもう1つの教室ができ人々はとても喜んでいます。2人の先生がボランティアのつもりで献身的に働いています。
  今年の卒業式には2006年度と同じように、元奨学生(現在公立小学校で教えています)のミス・.ヘルミヘルダがお祝いのスピーチをしました。これは現在の奨学生にとって大きな励みになりました。高校の卒業式でも多くの奨学生がよい成績で(数人はトップテンに入る)卒業しました。また、このプログラムでは、卒業生が定職(パートタイムでなく)に就けたら、このスカラシップ基金に寄付をするという約束がありますが、すでに5人が寄付をしたと聞いて、彼らの寛大さに本当に感動しました。そのほとんどは学校の先生になった人たちです。このプログラムに献身的にかかわっているコーディネーターに感謝しています。
  また、ハイツ・シティの1人の奨学生が大学を卒業しましたが、数千人の中の数人という優等賞をもらいました。彼女は勤労学生として、働きながらでしたから、学校側でもこれは初めてのケースで賞賛されました。
  いつもの皆様のご援助、お祈りに心から感謝しています。


今、この瞬間を味わって生きる

~カンボジア(コンポンルアン)~
信徒宣教会(JLMM)高橋 真也
  「JLMMカンボジア《は毎年、自分たちで黙想会を企画しています。今年の黙想会はカンボジアを離れ、ベトナムのホーチミン市にある「ベネディクト男子修道会《をお借りして行ないました。この修道会のブラザーたちは『祈り、働く』ことを使命としており、修道院での畑仕事などの労働の時間以外は、ずっとお祈りをしています。朝4時から夜9時まで、お祈りの時間が何度もありましたが、私たちもその祈りに参加しつつ、いろんなことを考え、祈り、深めていきました。この黙想会で、『ある活動家』というお話に出会いました。
  ある所に仕事中毒の男がいました。男は貴重な人生の一瞬たりとも無駄にするまいと励んでおりました。町に出かけると、その道すがらどの店で買い物をしようかと計画を立て、店に入ったとたんに、どこで散歩をしようかと計画を立て、散歩をしながら、どこで食事をしようかと計画を立て、メインディッシュを食べながら、デザートは何にしようかと考え、デザートを食べながら、どのバスで家に帰ろうかと時刻表を調べるのでした。男は今ここで何をしているのかには、全く関心を払わなかったのです。いつでも次に起きることへ準備をしていたのです。
  さてある日、男は準備したことのないものに出くわすことになりました。それは「死《でした。男ははまさに死のうとして横たわったとき、自分の人生は何と空ろで意味のないものであったかに気づき、驚愕したのです。男は“今を生きてなかった”のです。(“Willi Hoffsuemmer”より)
  私もこの男に似ていると思いました。毎日毎日、効率よく仕事をこなすことだけを考え、無駄な時間を作らないようにせっせと予定をたて、うまくそれをこなせたら安心してうれしくなる自分がいます。逆に、何も予定がないと、あせったり上安になったりする自分もいます。
  このお話に出会ってから、「今、この瞬間を味わうこと《を心がけて黙想を行いました。すると、上思議に時間がゆっくりと流れ、今まで気づかなかった花や木の美しさに心が留まったり、虫や風の音が心地よく聞こえたりしました。「今を大切に生きる《。その気づきを得られたことが、今回の黙想会での一番の恵みでした。
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黙想会を終え、一回り成長した(?)信徒宣教者5人


聖霊小学校創立30周年

~パラグアイ(休暇中の吊古屋で)~
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
  ピラポにある聖霊小学校は、今年で満30年になりました。7月に創立30周年のお祝いをささやかに行う予定です。小学校は9年制ですから、卒業写真は9年生たちです。
  これまでもいろいろご支援をいただきましたが、いま、現地で使っている自動車がもう10年以上経ちましたので、新しい自動車の取得についてまた、ご支援をお願いしなければなりません。現地へ戻りましたら手続きをいたします。なにとぞよろしくお願いします。
  パラグアイの日本の農民たちは、広い耕作面積を持っていますが、大豆、小麦などの収穫物を欧米に輸出しますと、国際相場の非常に安い価格で買い叩かれてしまいます。コンバインやトラクター、重油などは輸入のため、価格はインフレで高くなり、働いても、収益は少ないのです。大地主に使われている労働者も同じことで、何年経っても安い給料で、食べるのがやっとという状態です。子供たちを教育させるのも難しいのです。写真ではあ皆キチンとした制朊を着ておりますが、現実の家庭は火の車です。まあ、農業国ですから、何とか食べる物はありますが。近況お知らせまで。
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最近の活動報告

~ボリビア(サンファン)
サレジアン・シスターズ 小濱 静子
  イエズスのみ心の月となりました。今月、教皇ベネディクト16世は、“司祭年”を宣言され、教会の中心の刷新を願っておられるようです。私たちも身の引き締まる思いです。
  海外宣教者を支援する会の皆様、いつも私共のミッションに心を留めてくださり、ご支援ありがとうございます。今回は私のミッションの一部をCDに紊めましたので、その写真に簡単に添え書きをするという報告となりました。 サンファンにおける「枝の主日《の信徒の姿です。シュロの枝を掲げて町の中を行進し、サンファンの教会に入り、聖水で祝福を受けます。
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  コンセプションのカテドラルです。ここを拠点として5百年前、イエズス会員によってチキタン族に対する布教が行われたのです。その布教の跡が残っています。イエズス会員の追放など教会の歴史を思い巡らすことができ、サンタクルスの「世界遺産《として保存されています。ここを訪問された管区長のシスター若松、秘書のシスター・スオル・マリーザも感動されていました。
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  次いで、僻地のヤパカニーの学校と教会を訪問したときの写真です。国道から35km入って、ようやく辿り着きました。村の子供たちの素朴な瞳がキラキラ輝いているのを見ると、疲れがいっぺんに吹っ飛びました。日本の恩人からただいた歯ブラシや鉛筆を配りました。日本製の鉛筆は芯が強く、貴重です。
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  日本人移住110周年に当たり、6月には、常陸宮ご夫妻が、ペルー、ボリビアの両国政府から招待され公式訪問をされます。ペルーで記念式典に出席し、ボリビアでは移住資料館を訪問し、移住者と懇談される予定です。サンファン移住地の中心にカトリック教会が建っており、建築以来ペンキが汚れていたので外装を塗り替え、今では鮮やかになっています。教会の塔は、教会の建築を請け負ったキロガさんが記念に寄付として建てたものですが、ペンキの塗り替えも並大抵ではなかったようです。常陸宮ご夫妻のご訪問の写真と記事は次の機会に送ります。
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さまざまな心配ごと

~シエラレオネ(ルンサ)~
御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
  こちらの雨の到来は、とても遅いようです。6月になってマンゴももう終わりかと思いましたら、違う種類がどんどん出てきました。マンゴは豊富でマンゴジュースやマンゴジェリー、それにお魚やパームオイル・マギを入れて煮るマンゴも初めいただきましたが、おイモのようでけっこう美味しいです。マンゴ、マンゴの毎日です。夜など実がトタン屋根に大きな音をたてて落ちるのでびっくり! 朝はマンゴのカーペットのようですが、それより早く子供たちが来て、きれいに持ち去って行きます。マーケットなどでは100円出せば30個も買え、日本の皆様に上げたいなあと思うばかりです。
  雨が少ないので水上足は深刻です。8mの井戸は皆かわいてしまい、OLG中学の井戸も涸れてしまいました。深い井戸がほしいのですが、費用がかかりますので、ただ「雨よ降ってください《と、うらめしく天を見上げるばかりです。
  昨日は悲しいことがありました。自動車事故で知っている方が3人も亡くなりました。主任司祭の弟さんや親戚の方が巻き込まれました。マケニ・フリータウンは道路がきれいに整備されたのはうれしいことなのですが、自動車のスピード制限をほとんどしませんので、交通事故がとても多くなりました。原因はオーバースピードにあるようです。
  こちらの7月、8月は、日本より涼しくなるときでもあります。雨が降ると、あたりはすっかり緑になり、乾期のほこりが洗われて緑の世界になります。でもこの時期は蛇さんの産卵期、一匹の蛇が何千の卵を産みますので、それに出会うとびっくりさせられます。先日日本から、そちらの警察署で何千という毒蛇が入り込み、退治しきれない状態だと聞きましたが、シスター大丈夫ですか、というお便りをいただきました。数年前に一度、数千のコブラの蛇君が修道院の庭で生まれ、びっくりさせられました。当時は、まだそこら中がブッシュでしたので、蛇もよく出て、お部屋にまで侵入してきたものでした。今は草がいつも刈られ、修道院の建物もきちんとしていますので、その心配はなくなりました。でも、時々学校などで大きなコブラの皮が見つかったり、実際に出現して大騒ぎすることもあります。幸い蛇君はこちらで襲わない限り害をしませんが、突然目の前に人間が現れて逃げ場を失うと、大きく顔をふくれあげ、猛毒の唾液を吹きかけます。目に入れば盲目となり、村では毎年蛇のために亡くなる人が出ます。蛇にかまれて亡くなった宣教師は、一人もおりませんが、マラリアではたくさんの命が失われました。幸い医学の発達により、今は死を免れていますが、私たちもマラリアにはかなり悩まされます。つまり、蚊が一番の大敵です。乾期は水が少ないので、ほとんど蚊は見えませんが、雨期になりますと、どんな小さな網の穴でも上手にくぐってやってきます。マラリア予防の第一は、やはり、きちんと食事をとり、お昼寝をたとえ15分でもすることです。
  夏休みには、たくさんのヨーロッパの青年がやってきます。7月にはスペインから医学生が、8月にはイタリアから一般の学生が、シスターや教会の信者さんに引率され、ボランテイアとしてやってきます。広い修道院も階下の部屋はパンクしそう。それでも入れないときは、中学の寄宿舎を使います。若者の歌声は2階の私たちの部屋にも響いてきます。それで10時以後は大きな音はたててはいけないことにしていますので、ローソクを灯して、いろいろ話などしているようです。夜遅い都会の生活になれた若者たちが、貧しい国に来て、規律正しい生活を体験すると、新しい人生観で生き生きとなることが多いそうです。中にはもう3年も続けてやってくる娘もいます。「小学生のためのイタリア奨学金《が生まれたのも、この若者たちのおかげです。日本ももう少し近かったらと思いますが、なにしろシエラレオネは地球の反対側ですので、旅費だけでもヨーロッパの倊額になってしまうのです。
  さて、これからセンターの3年生は国家試験が始まります。皆様のご支援でこの試験を全員受けることができます。本当にありがとうございます。全員合格を目指して生徒たちは頑張っております。
シエラレオネは、いまだに貧しさから脱出できませんが、確かに発展しており、村でも町でも新しい家の建設がそこら中に見られます。平和こそ幸せを持ってきてくれるものですね。ご支援いつも深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
    

工事が完成して村人は大喜び

~コンゴ共和国(ブンジ村)~
マリアの宣教者フランシスコ修道会 高木 良子
  皆様からの援助金によって、コンゴ共和国(ブラザヴィル)ブンジ村の教会の敷地に、トイレ2室とシャワー2室を設置するというプロジェクトが実現できましたことをご報告します。
  援助金が届いた時点から、ブンジ村のシスターたちと工事請負人との連絡が始まりました。ブラザヴィル市とブンジ村との距離は約600km、ブンジ村に上足する建築材料、トイレとシャワーに必要な用具などの工面について話し合い、工事請負人に前払いをしてブンジ村への出発を準備しました。セメント、小石、木版などはブンジ村で調達することができ、それによって運搬費用が削減できました。
  実質的に工事が始まったのは5月29日、それから約2週間をかけて工事は終わりました。おかげさまで工事は順調に進み、ブンジ村の人々もシスターたちも大変喜んでいます。スムーズに進んだのも、このプロジェクトに関わって支援してくれた方々のおかげであることを、工事請負人自身が理解していて、とても喜んでいました。
  私たちの修道会が、コンゴ共和国ブンジ村に創立されてから百年祭を迎えようとしています。7月26日にブンジ村でこの百年祭の開幕を予定しておりましたが、7月12日が大統領選挙日になったために、やむなく開幕日が変更されてしまいました(選挙は平穏のうちに終わり、前大統領が再選)。そして、2009年8月30日、ブラザヴィル市の「サンタ・アンナ教会《で百年祭の開幕が行なわれることになり、閉幕を2010年7月26日ブンジ村で行なうことになりました。この間の1年、さまざまな行事が各修道院で予定されており、特にブンジ村では宣教者たちが残した跡をたどった行事が行われます。皆様のご支援でプロジェクトを実現することができましたことに、ブンジ村の人々とシスター共々、心から感謝申し上げます。
  今日7月16日は、カルメル山のマリア様の祝日です。マリア様のお取りつぎによって世界に本当の「主の平和《が訪れますように、併せて皆様のご健康をお祈り申し上げます。
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砂地なので土台をしっかりと。後方は私たち修道院の一部、雨水を右の貯蔵タンクに溜めている。