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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

たより


『宗教教育のための教材費のご支援を』

〜ボリビア(サンタクルス)〜
サレジアン・シスターズ 小濱 静子
  いつも私たちの宣教に対するご理解とご協力、本当に心から感謝申上げます。今年は四旬節の 初めに、ここサンファンの信者さんのために西沢神父様に黙想会をお願いしましたが、大雨が 降るとサクラダコラソンの村を出ることができないので、天気と相談ということになりました。 信者さんにその旨を伝え、日時を決めて、お祈りいたしました。神様はその祈りを聞き入れて くださり、その1週間は雨が降らず、黙想会を無事に終えました。平日でしたが、30名の方 が参加してくれました。
  ボリビアは昨年と同じく、今年も雨が多くて、被害で多くの人々が苦しんでいます。オキナワ・ コロニアもリオグランデ河が氾濫し、大きな被害を受けました。サンファンの信者さんは、サ クラダコラソンの村(西沢神父様のミッション)のために多くの寄付をして、四旬節の愛の業に も努めました。復活祭の後、貧しい僻地の学校を訪問したいと思っていますが、今はこのよう な増水のため道が壊れて、自動車が通れません。
  さて、今回は学校の宗教教育のための教村費を補助していただきたく、援助申請書を送らせていただきます。サンファンの日系人の学校は以前、JICAの援助がありましたが、宗教教材などは援助の対象としてはならず、また日本ボリビア会長もカトリックではありません。幸いにして、ボリビアは一応カトリック国なので、宗教は必修の科目となっており、私も毎週8時間教えに行きます。 しかし、宗教教材は皆無に等しいのです。また、時々近隣のボリビア人の村や僻地の教会学校へと、他の修道会のシスターだちと出かけます。そこでは普通教科の教材さえ事欠くほどで、ましてや宗教教材は皆無です。 ノートや学用品などは、サンファンの信者さんや友達にお願いして、卵などを寄付していただき、それをサンタクルスの文房具屋さんに学用品と交換してもらっています。 しかし、宗教教材はまとめて買いたいものがあります。そうできれば、サンファンの日系人にもボリビア人の子供たちにも有効に使えます。どうぞよろしくお願いいたします。
巡礼



4月12日は「こどもの日」

〜ボリビア(サンタクルス)〜
宮崎カリタス修道女会 川下 ゆかり
     こちらはここ数日、南から冷たい風が吹き、寒い日が続いております。 ここオガールファ ティマ乳幼児院では、寒さのせいで子供たちの中には風邪を引いたり、持病の喘息が悪化した りして、特に赤ちゃんは抵抗力といいますか、免疫力が低く、重症化しますので油断禁物です。 現在、6か月未満の赤ちゃんは15名、1歳未満は11名、2歳児は8名、3歳児は15名、4 〜5歳児は22名です。神様と支援してくださる方々のおかけで、計71名の子供だちととも ににぎやかに暮らしております。
  4月12日はボリビア国では「こどもの日」に当たり、数組の恩人方が協力して、オガール の子供たちのために、ピエロや音楽、お菓子、ケーキなどを準備して、パーティーを開き、大い に楽しませてくれました。
  ご存知かと思いますが、今、ボリビアの政府とサンタクルス州との間で、新憲法と州自治 権をめぐる問題を抱えています。また、経済状態も悪化の一途をたどり、日々物価は上昇、市 民の生活に大きな影響を及ぼしており、ここオガールでも政府からの食品の補助の増加がない ため、小さく弱いものが真っ先に犠牲になることに対して憤りを感じています。 これが、ここ ボリビア国の現状ですが、すべてをいつくしまれる父なる神に信頼し、皆様の支援に励まされ、 私たちに託された人々と共に神の国のために力を尽くしていきたいと思っております。
  さてこの度、私どもの願いを聞き入れてくださり、コンピューター購入のための援助をいた だき、感謝申し上げます。毎日のように官庁関係から子供の状況報告などの書類の催促がきて おり、ベテランのソーシャルワーカーのミルタさんは、残業して提出書類を用意しています。コ ンピューターのおかけで、彼女や事務員の仕事もはかどることと思います。本当にありがとう ございました。感謝の気持ちとともに皆様のご健康とご活躍をオガールファティマ共同体一 同、心よりお祈り申し上げます。
こどもの日
楽しい一日でした


30年前からのお世話に感謝

〜ブラジル(ドゥラードス)〜
フランシスコ会 小川 満
      2月になると、屋根のひさしを越えて、少しずつ北側の窓を通して午後の日差しが部屋に差 し込み、太陽が南回帰線から回帰して、ドゥラードス市の上空を通過し、北に向かっていきます。 1年に2度、12月上旬と1月上旬に太陽が頭上を通過、そんな時期の正午には、まっすぐ伸 びたやしの木や電柱の影が地面からなくなります。赤道と南回帰線にはさまれた南国に生活し ていることを本当に実感する瞬間ですが、日中の気温が40度を超えるのにはあいかわらず閉 口しています。
  灰の水曜日は大斎、小斎、加えてこの暑さ。午後4時の病人のためのミサ、午後7時と8時 には2つのチャペルでのミサ、いずれも教会は300人以上の信者で超満員でした。そして灰の 式。7時のミサの途中では、夕方にもかかわらず日中から続く残暑と脱水症状で、失神しそう になりました。自分の年と身体の限界を感じ、それを認めなければならない時期に来ているの でしょう。それにやはり私には出身地(北海道)の零下の気温の世界が向いているようです。
  さて、「きずな]101号ありがとうございました。例によって、初めのページから、なめる ように読み進んでいくうちに、ふと気が付きました。私か宣教に送り出されてから今年で30 年。30年前に四谷の中央協議会で私たちの宣教出発を喜んで準備してくださった方々がい ました。今でも懐かしい梶川神父様、ローシャイター神父様、濱尾枢機卿、八幡さん、樋口さ ん、その他の方々(名前を忘れてしまいました。本当にごめんなさい)が出発に必要ないろんな 手続きを教えてくださったり、海外で必要なものを揃えてくださったり、講習会を開いて宣教 師としての海外での心構えなどを教えてくださいました。出発後にも新品の書籍やカレンダー、 「カトリック生活」、「あけぼの]、「聖母の騎士」などを送ってくださいました。
 「支援する会]が創立25周年なら、それより5年前のあの方々はいったい何だったのだろう。 そんな疑問を抱きながら読み進んでいくうちに、運営委員の樋口百合子さんが書かれた、「濱尾 枢機卿追悼」の辞を読んでその疑問が解けました。移住協議会の一環として理事長の濱尾司教 様のもとで働いておられた方々だったのを知りました。
  当時のスタッフの働きを思い出してみると、不安と希望の入り混じった複雑な気持ちで出発 を準備していた私たち宣教者を、自分たち自身もいろんな試行錯誤を繰り返しながら、宣教師たちに勇気と自信を与えながら、送り出してくださった方々でした。現在の「支援する会」が創立されるために本当に骨身を惜しまず、土台を準備してくださった方々だったのですね。
  25周年という節目にあたり、「支援する会」の皆さまに心からの感謝をお送りするとともに、30年、いやそのもっと以前から宣教師派遣に奉仕されている方々にお礼の心を表わしたいと 思います。ブラジルでは感謝の気持ちを伝えこのに男女に関係なくがっちりと抱擁し、頬と頬をしっかりとつけ合いますます。日本ではその習慣がないので、ことばだけの表現になりますが、私の気持ちとしては、当時のお一人おひとりをしっかりと抱擁して、感謝したい気持ちでいっぱいです。どうぞ「気色悪ーい」 とおっしやらずに、お受けください。今後ともご支援をお願いいたします。



敷地内がきれいに整備されて

〜ブラジル(サンパウロ)〜
宮崎カリタス修道女会 浜崎 和子
    この度は、私どもラール・サント・アントニオからの願いをお聞き入れくださり、当セン ターの敷地を囲む金網の費用をご支援くださったことに深くお礼申し上げます。他からのご寄 付を併せて、このたび写真のように敷地囲いと、鉄製自動門、敷地照明を完成させることが出来 ました。これで敷地内への無法侵入や暗がりの問題が解決いたしました。
  年末までにプロジェクトの子供たちの中からも、この企画に廃品回収などで積極的に協力してくれました。地域の民間からも古着バザーで支援するなど、多くの方々の篤いお心でラールの敷 地内をきれいに整備することができました。日本の皆様からのご支援に応えるために、地元の 人々も動き出し、廃品回収の収益の積み立てが始まったのです。この体験が確実に新しい力を 生み出していくことになるでしょう。善意は善意を呼ぶものですね。
  3月になって新学期が始まり、プロジェクトの子供たち150名を迎えることができました。 ラールの敷地周回が見違えるほどきれいに出来上がり、明るい照明、開閉する鉄製自動門を珍 しがって、出たり入ったりして喜んでいる子供たちもいました。これで夜間は暗やみだったラー ルが昼間のように明るくなり、今度は電灯の節約を子供たちと考えるほどになりました。
  幼い時から麻薬の運び屋、暴力、薬害者、殺しなどの暗い現場で育つためでしょうか、子供 たちの心はひどくすさんでいたり、あだ返しや復讐などが日常生活の中に頻繁に出てきたりしま す。プロジェクトの中で年齢に応じたカテケーゼ、学校の宿題の手ほどき、心理療法、健康指 導、PC教室、音楽指導、廃品を利用した手芸、絵画、工作、調理、ダンス、スポーツ等と各先 生によって生活指導が進められ、一人ひとりが大切に慈しまれています。何よりもこの施設プ ロジェクトで、昼食を安心して充分にいただけることが、子供たちを落ち着かせるのではないで しょうか。毎年、学年末になると、それぞれに生活の中に大切なものがあることを理解して行 くようです。
  社会の底辺に押し出され、過酷な生活の中で惨めさにまみれた少年少女たちに喜びや希望の きざしが見えるとき、私たちにとっても喜びが幾重にも大きく広がり、キリストの希望を眼前 にいたします。子供たちが暗い環境のもたらす陰に負けず、幸せに向かって強く生きることを学 びとり、成長して行くことを心から願っています。感謝をこめて。
フェンス
囲いのフェンス


サントアントニオ養護施設

〜ブラジル(サンパウロ)〜
宮崎カリタス修道女会 浜辺 春子
     ブラジル・サンパウロは夏から秋へと季節が移り変り、今年は異状なほど雨が降っています。 夕方には2日続けて3時間以上の大雨が降り続き、ラールの家の中も雨漏りどころか、バケツを ひっくり返したような水が天井から流れて、毎日拭き掃除に大変です。こんな自然力のすごさ に驚きながらも、一生懸命自分にできることを元気にさせていただいています。
  先日は、日本のマリアさまの御絵つきカレンダーと壁掛カレンダー2つをお送りくださりあ りがとうございました。いつも私たち一人ひとり、また、事業のために心配りくださって本当 に感謝しています。
  今年はカールナバルが早かったので、2月の終わりからプロジェクトの事業が始まりました。 子供たちは首を長くして待っています。子供たちがラールの庭を占領し、思いっきり勉強、遊 びにと有意義に過ごしていますが、私たちは、150人の子供たちを収容するには小さくなった 食堂の建物を拡大する建築作業に取り組んでいます。あいにくの大雨で始業に間に合うかと心 配もありますが、無事終えることを願っています。
  今年、ブラジルの四旬節の兄弟愛運動では、「命について」隣近所の信者の方と私たちの生 活の中にあるいろんな問題を出し合いながら、祈り合い、命を大切にすることを学んでいます。 そして、現代社会に生きる私たちへの神様のメッセージを受け取ろうとしています。神様の 恵みをみんなが大切にして、喜んで生きていけますように。


日本へ留学する人も

〜パラグアイ(ピラポ)〜
聖霊捧侍布教修道女会 林 静子
    今年は幸いに天候にも恵まれ、ただ今大豆が5年ぶりの豊作で、皆一生懸命に収穫していま す。最近は輸出向けに胡麻やひまわりも栽培されております。
  1月15日に発送してくださったカレンダーを、ようやく3月半ばに受け取りました。あり がとうございました。子供の絵のカレンダーは幼稚園の教室に飾り、美しい日本画のものは寝 たきりの信者のご病人に差し上げましたところ、とても喜んでくださいました。日本で生まれた 一世の方たちには、日本のものは特別に郷愁を覚えると思います。パラグアイで日本人一世の ために働くシスターたちも少なくなりました。クルッカ神父様も2月初めにアスンシオンの大 神学校に転任されました。一世のスペイン語の分からないお年寄りの方たちに必要なので、ア ルゼンチンのミシオネスにいらっしやる神言会の北島泰治神父様にお願いして、4月から1〜 2か月に1回くらい、ピラポ移住地に応援に来てくださるようお願いしました。
  50年余り前に移住した一世の日本人は、生活も厳しく、スペイン語の習得もままならず、 スペイン語のごミサに与っても、説教もよく理解できません。 日常生活に必要な税金とか商取 引などは殆ど二世の息子さんたちに任せております。最近は回覧板も日本語とスペイン語の両 方で書いて回すようになりました。
  日本人子弟は学校で日本語も習い、能力試験なども受けており、日本から奨学金をいただい て、喜んで日本に勉強に出かけております。3月14日に私の教え子の1人が、4月から東大 の農学部の栄養科に入ることになり、東京へ発ちました。 こちらの高校を卒業したばかりの若 いお嬢さんで、おばあ様が日本まで付いていかれました。 日本に行ってからも教会を訪れるの を忘れないようにとハ言っておきました。この国では、聖週間は木・金・土と学校もお休みで、 テレビ番組もキリスト様のご死去やご復活について放映いたします。
  昨年、こちらから日本に帰ったシスター宮人は、現在、愛知・豊田の聖霊会支部に転任になり、そこで滞日外国人のお世話をしていると伺いました。やはり日本の社会の現実は厳しく、外国 から行った人たちは苦労しているのでしょうか。
  ご復活の主イエズス様が皆様のお働きの上に豊かな祝福をくださいますよう、お祈り申し上 げます。
ピラポ



7年目にして手にした「きずな」

〜チ リ(ロス・ラゴス)〜
聖霊奉侍布教修道女会 伊藤 晶
   「きずな」を送っていただきありがとうございました。 2001年にメキシコに派遣されたの をあわせると、海外生活7年目にして初めて受け取りました。 しかもシンガポールからの郵便 でしたので、何かなと開けてみると久しぶりに見る「きずな」、うれしく読ませていただきま した。
  現在、私はチリ南部のロス・ラゴス州のフレシアという町にある、本会の学校で働いていま す。幼稚園から高校まで1000人近い生徒を抱えたこの地域では大きい学校です。
  チリは比較的治安もよく、経済的にも安定しているとはいえ、フレシアのように大都市から 離れたこの地域では仕事も少なく、かなりの人々が貧困の状態にあります。本校も国内外の 援助に頼るところが大きいです。初めて「きずな」送っていただいて、早速で厚かましいかと も思いますが、援助申請の方法を教えていただけたらと思います。
  来週の日曜日は召命祈願日ですね。働き手を送ってくださるよう、心を合わせてお祈りして います。 。



一時は外出できない状態に

〜ハ イ チ(カパイシアン)〜
レデンプトリスチン修道会 飯村 美紀子
  事務局の皆様、お元気にお過ごしでいらっしやいますか? 先日は、「きずな」および「カ トリック生活」誌などをお送りくださいまして、心から感謝いたしております。
  こちらハイチは、物価の上昇に伴って人々は更に困難な生活を強いられておりまして、3月 末から4月にかけて、ついに人々は暴徒化し、町は一時外出できない状態になりました。多く の商店も放火や投石などに遭い、大変な被害を蒙りました。唯一の国道も閉鎖されて物資が入 荷しなくなり、私共の住んでおります町でも、ちょっとパニック状態に陥りました。幸い現在 は落ち着いてほっとしております。世界中を駆け回るこの物価上昇が、一日も早く落ち着きま すことを願っております。貧しい方たちは、毎日修道院に助けを求めてやってきています。
  間もなく聖母マリア様の月を迎えます。聖母マリア様の御保護が事務局の皆様の上に豊かに 御座いますようにお祈り申上げております。心からの感謝をこめて。


四旬節のできごと

〜シエラレオネ(ルンサ)〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
  復活祭の前の40日間は生活を改め、悔い改める期間でもありますが、司教様はこの期間中 運動会やピクニックなど楽しい行事は控えるよう勧めておられます。そこで四旬節が来ないう ちにと、いろいろな行事が重なりました。その1つ、1月19日に私たちの学校史上初めて職 員旅行として1日ピクニックをいたしました。
  土地の先生は生まれてこの方、学校のある町以外どこにも出たことがなく、多くの人が海を見 たこともありませんし、ダムを見たこともありません。社会科の先生がダムを見たことがなく て、どうして生徒に教えられましょうか? そこで今年は病院のマイクロバスを無料でお借り して、先生20人を連れてブンブウナという所へ、滝見物と建設中のダム見学に行きました。
  ルンサから2時間の道のりですが、大半の先生は初めてのピクニックに大興奮。何しろ快適 なバスで、ノンストップでスピードを上げて走る旅に大満足で、神様ありがとうの連発でした。 先生たちは毎月少しずつ貯めたお金で昼食を作り、朝は大きな丸いパンに缶詰の魚を入れたサ ンドイッチ、子どものようにうれしそうでした。今回の費用はガソリン代1万5千円くらいでしたが、この喜びには変えられないと思いました。
  1月26日は幼稚園の運動会。その日私はボー市(ルンサから6時間)で行なわれた司祭教階 式に参加しました。途中車が事故を起こし、顔や胸を打ち、もういけないかなと思いましたが、 神様は私たちを護ってくださり、軽症ですみました。本当に神に感謝です。
  四旬節に入り、犠牲心の少ない私などには神様がちゃんと準備してくださるようで、交通事 故の打撲症のあと、風邪を引いて咳こんこん、そしてマラリアで高熱と下痢。やっと峠をすぎ たら薬の副作用でしょうか、手足がかゆくてぼりぼり、まるであざだらけになったようでした。
  さらにホンダ三輪車のバッテリが下がり動かなくなりました。では久しぶりに自転車に乗 りましょうと挑戦。 ところがハンドルの低い、サドルの高い自転車だったので、乗ったのはい いのですがコントロール出来ず、すってんころりん! 放課後だったので、数人の職員が危な そうな私を見ていて、びっくりして飛んできてくれました。私は膝から血が出たことより恥ず かしさでいっぱいでした。皆に起こされ、もう年なのだということをしっかり自覚しなければ ならないと、足を引きずりながら家に戻りました。 ご復活にはきっと元気になれるでしょう。
  お礼が最後になりましたが、いつもご支援いただき、本当にありがとうございます。


「共に生きる」ことへの挑戦

〜東ティモール(ディリ)〜
日本カトリック信徒宣教者会 佐藤 邦子
  いつも「きずな」を東ティモールの首都ディリで受け取ります。そして、海外で宣教されて いらっしやる方がたのレポートを読んでは、励まされています。
  東ティモールに派遣されてから早や、2年4か月が経とうとしています。信徒宣教者会の研 修時代にいろいろなことを学んだ中で「共に生きる」とはどういうことなのか、そしてどのよ うに実践できるのか、というのを常に心に思ってきました。 しかし、いざ現地においてさまざ まな生活習慣の違い、不安定な治安状況、そしてなにより東ティモールの人だちと自分との感 覚の違いなどに毎日ぶち当たっていくうちに「共に生きる」ということがわからなくなって しまったこともありました。
  私は東ティモール医療友の会(AFMET)のコーディネーターとして派遣され、東ティモー ルのローカルスタッフとティモールの人たちのために医療活動をしてきました。しかし、この 事業を通して一見うまくいったかな、成果が少し現れたかな、と思ったとたん、ローカルスタッ フとのトラブル、治安の悪化による行動規制などが起き、一歩前進して二歩さがって、と私自 身の課題もそのような気持ちでした。しかし、こうしてふと振り返ってみると、まだまだ私は 何もわかっていないのではないか、という思いでいっぱいです。
  たった2年4か月で何かわかるのですか? と、「きずな」に掲載されている方々には思われるかもしれません。自分なりに日々の出来事を通して、どれだけ神様にお任せし、そして私は なにもできません、と祈りの中で叫んだとき、思いもよらない力がわきあがる、という経験を してきました。それは必ずしも活動が成功した、ということではありません。それより、私が携 わる人々と心が通い合う瞬間があったとき、より鮮明にこの派遣は神様がらの贈り物だった、と思うことができるのです。
 3年目を迎えたこの東ティモールの派遣にともなって、さらに私はなにもできません、と神 様にすがることができますようにそして、心からティモールの人だちと共に生きる、という ことを見出すことができますように、この大自然の中で祈りたいと思います。
東ティモール



水上村での厳しい現実

〜カンボジア(コンポンルアン)〜
日本カトリック信徒宣教者会 高橋 真也
  今回は、水上村の人たちを取り巻く環境の厳しさについて書きます。私の活動するコンポン ルアン水上村の住民の多くはベトナム人で、何世代も前にベトナムから移り住んできたという 人々が少なくありません。彼らの中には、ベトナムにもカンボジアにも住む土地を持たず、国 籍も持っていないという人たちがいます。カンボジアとベトナムのどちらからも受け入れられ ない、弱く危うい立場に置かれた人々だといえます。
  そんなことを痛感した出来事がありました。ある日、HIVに感染した夫婦に付き添って、離れた都市の病院へ行きました。病人の多くは、水上を離れて生活したことがないため、都市の地 理、病院のしくみなどがよく分からず、カンボジア語を理解できなかったり、お金がなかった りで、いろんな不安を抱えています。無事に診察を終えて、水上村の船着場までバイクで送り ました。何か困ったことがあったら電話を、と電話番号を渡しておきました。すると5分ち経 たないうちにその夫婦から電話があり、「さっき、まさやから貰ったお金を、警察に取られた」 とのこと。あわてて引き返すと、しょんぼりした夫婦の顔がありました。明日また診察に行く ための交通費5ドルを、“国籍を持たないから”という理由で警察にとられたようです。
  カンボジア国籍を持たないベトナム人たちは、自由な移動を制限されていて、水上村に留まっ ていれば問題ありませんが、陸地に上がると、たちまち捕まってしまい、罰金を取られるので す。水上村へと向かう船着場には警察が常駐しており、毎日、船着場を出入りするベトナム人 に目を光らせているのです。
  同じカンボジアで生まれているのにカンボジア人(カンボジア国籍を持つ人々)の家庭に 生まれたら国籍があり、ベトナム人(カンボジア国籍を持だない人々)の家庭に生まれたら国 籍がなく、違法の民になる。これって、かなり変だと思います。何世代も前から往み着いてい る人たちで、生まれてくる子供たちは国籍を選んで生まれてくることなどできないし…。貴重 なタンパク源である魚を取って、カンボジアの経済に貢献する漁業を営む人たち、そんな人た ちに対する仕打ちを見ていると、頭で考える理屈(違法であるということ)などを通り越して、 体が怒り、悲しみ、“正しい法律”に対して違和感を覚えるのです。
  かつて、海外長期研修でタイに行ったときに出会った山岳民族(少数民族)のことを思い出 しました。彼らの多くが同じような状況に置かれていたようです。その中で、ミャンマーから 逃れてきたカレン族の人たちは、今ではIDカードを持ち、タイ人と同じ権利を持っているそう です。これはタイの教会が50年にもわたって政府と交渉を続け、カレン族と一緒に勝ち取っ たものだとも聞きました。こんな状況を打開する術があるのだなと、希望を持つと同時に 自 分にはそのような働きかけをする力量も根性もないなと、失望してしまったり。でも、水上村 のベトナム人たちは、こんな無力な日本人の私を、兄弟のように実の子どものように受け入 れてくれています。そんな交流の中で、みんなは私にとって無視出来ない存在となり、グイグイと私の心の中に入り込んでくるのです。そして、でかいトンカチやつるはしで、心の中の壁 にヒビを入れていってくれています。私と水上村のベトナム人の間にある壁は、徐々に崩れつつあります。
タイの少数民族



おかげさまで工事が完成

〜フィリピン(ボホール島)〜
クリスト・ロア宣教修道女会 高島 紀美
  フィリピン・ボホール島バガカイに建てた「祈りの家」の土台崩れを止めるための工事が完了 しましたので、ご報告いたします。   2007年9月25日に今回の土台土砂崩れ修理工事の援助金を工面していただきましたこと により、その他の援助機関からも不足金をいただくことができました。一番犬切な場所の土砂 崩れ部分を補修するのにずいぶん長い期日がかかりましたが、今のところ完全に崩れを止め ることができました。これも一重に海外宣教者を支援する会、並びに会を支える方々のお働き によるものと、私たち関係者一同、感謝申し上げます。  必要な工事の収支の書類と、写真をお送りします。感謝を込めて。
 
工事完了



講演会の要旨

《日本人移住百周年と中村長八神父列福運動》


日伯司牧協会会長(マリア会) 青木 勲 神父

  去る4月22日(火)午後、上智大学内SJハウス会議室において、一時帰国中の青木神父様の講演会が開催された。「今年ブラジルでは日本人移民百周年を祝う行事が行われているが、この1年を有意義に過ごすためにも、日系人としてもう一度そのルーツを、また、初期の宣教師たちがどのように福音宣教に取り組み、信仰を培ったか、その歴史を顧みることによって、これからの新しい百年を迎える準備をしたい」との熱い思いで青木神父は語った。


青木神父
 
○日伯司牧百年の略史
  20世紀に入ってから綿花やコーヒー栽培のための農業労働力が不足し、多くの日本人が夢を抱いて、ブラジルに入植した。その移民の姿はNHKのドラマ『ハルとナツ』で紹介されたが、現実はずっと厳しいものであった。最初はほとんど奴隷に近い扱いで、借金を重ねるばかりで、失望し帰国した人も。しかし苦境の中でも厳しい現実に適応して、自立できた人もいた。
  この移民の中には多くのカトしトノクの信徒がいた。それは福岡、佐賀、長崎出身の人たちで、昔の殉教者の末裔であり、しっかりした信仰を持ち、苦境にあっても信仰を守ろうと必死だった。何とか日本語で司牧とミサを、との願いは日本の司教団にも伝わり、すでに58歳になっていた中村長八神父が、ブラジル行きを申し出て、1923年の8月に到着した。
 その後、イエズス会やフランシスコ会の神父たちが渡り、徐々に日本語で福音宣教を行うグループができ上がり、サンパウロに「聖フランシスコ学園」も設立された。
  中村神父は亡くなる2年前に教皇ピオ11世から「グレゴリオ犬褒賞」を授けられ、山本信次郎海軍少将によって手渡された。この山本氏は日本国民の回心のために『暁の星なる聖母マリアに対する祈り』を提議した信徒である。そして1953年に 日系2世への宣教司牧を働きかけるため、「暁の星カトリック・サークル」を結成。このグループの動きは、司教、教区司祭、修道女の支援を受けて、次々と他の都市へと広まり、一時は120を超える組織となった。現在残っているのは35位であるが、この会のOBたちが各方面で活躍している。
  宣教司牧を各修道会や司祭が、それぞれ独自に活動していたが、1976年に「日伯司牧協会(PANIB)」を設立、日系信徒のために日本語で福音宣教を行ない、その子弟の教育を行なう目的で、統一した活動方針を立てることにした。昨年は PANIB 設立40周年に当たり、記念の行事を行った。その後、神父、シスター方の数も減り、サンパウロ州の内陸では私1人になり、今では活動範囲も直径500キロを超えることになる。
  現実には、日本語だけという人はもう85歳以上であり、2世、3世はポルトガル語しか話さない。 日系人も4世、5世の時代に入っており、私は普段の会合では日本語をほとんど使わない。その意味で PANIB の役割は失われつつあるが、もし存続するのであれば、今後は日本の文化、教育など価値観をどのようにブラジルの文化に供給していけるのか、新しい意味での文化共存という面に方向転換しなければならない。
 
○ 百年祭記念行事予定
@ 中村長八神父命日:3月9日
  命日は3月14日であるが、今年は聖週間に当たるのでこの日に行事を行った。百年祭と列福調査を兼ねて、長崎の高見大司教にご足労を願い、アルヴァレス・マシャードで記念ミサが行われた。全ブラジル向けテレビ放送のインタビューの中で大司教は「中村神父は日本の教会にとっても大きな誉れであり、彼には16世紀の日本の殉教者と同じように、神への愛と信仰に対する情熱の血が脈々と流れている」と述べられた。日本が単に経済大国でないことが認識される良い機会であった。
A 百年祭記念日本巡礼:3月27日〜4月9日
  私が団長となって日系人20名(うち男性6名)で日本を訪問。各地で暖かい歓迎を受けると共に至る所で満開の桜に出会え、その美しさに皆が感動した。京都、広島の原爆記念館、山口、そして津和野と巡礼を続け、長崎ではイエズス会の6聖人の教会を訪ね、さらに福江、久賀島へと渡った。島原にも行き、宣教と迫害の歴史を辿り、昔の人々の信仰の強さと共にそのような信仰を培った宣教師の力に感嘆の声を上げていた。
B 移民祭公式行事:6月18日
    最初の移民船が神戸港を出航した4月28日を記念して、神戸メリケン波止場で谷司教が司式ミサを捧げた。6月18日にブラジル到着を記念して、東京ではカテドラルで東京駐在の外交団、および関係者が参加して、またサンパウロでも10時から、日本から押川司教を迎えてミサが捧げられる。午後には日系の全宗教団体が大きな広場に集まり、次の3つの大きなテーマでそれぞれ7〜8分くらい、独白の装束で祈りを捧げる。第一には、日本人を受け入れてくれた寛大なブラジルに対する感謝の意を表明すること。第二には、今の世界の政治情勢にかんがみ、権力や武力によることなく、人間同士の話し合いにより全世界の平和を進めて行くこと。第三には、地球温暖化など自然の環境問題への取り組みについて。 C 宣教師大会:7月14日〜17日
  2年に1回、日本の宣教師の会合を開催しているが、日本から移民と難民司牧の専門家である谷司教とサレジオ会の比嘉神父を招く。ブラジル司教団からもこの問題の専門家が参加予定。日本では出稼ぎの人たちの問題― 一つは家族の離散や離婚、それに伴う子供の問題で、もう一つは日本の刑務所に入る人が増えていること。今回3人の服役者と会ってきた。これらの問題は教会にとって重要課題である。
D アパレシーダ日伯司牧大巡礼ミサ:8月3日
  ブラジルの全共同体が、マリアの巡礼地として有名なアパレシーダに集まるのである(2年 こ1度行なっている行事)。アパレシーダはサンパウロの東120キ口位のところにあり、前回は約3千5百人の日系人が集まった。それにブラジル人も3千人近く参加するので、6千人以上の巡礼者が集まるという大行事である。巡礼ミサの司式には谷司教、PANIBのブラジル代表司教、マメーヂ司教が参加される。
E ゴンザロ教会の自然環境回復:11月   プロミツソンの近くのゴンザロ教会で自然環境回復の行事が予定されている。この教会は福 岡の大刀洗にある「今村教会」と全く同じ設計図で建てられたもので、日本人が建てた唯一の教会である。この教会の自然景観を50年前建てられた時代に回復させ、そこに3キロのアクセス舗装道路を進る計画で、この道路が引き込まれると、移民百年祭を契機にブラジルの教会史の中に新しいページが開かれる。
FPANIBの機関誌ホリゾン特集号
  PANIBの機関誌に移民百年史を掲載することを企画している。ブラジルにおける日本人宣教の歴史、それに移民以前の日本における教会の歴史をまとめた総合的なものを考え、修道会にも原稿を依頼している。

  以上が百年祭の行事の概略であるが、この計画を進めるに当たり、青木神父は次の4つのことを基本として日系人に話している。まず第一には皆が学んできた日本人としての教育、家庭における「しつけ]関する価値を決してなくさないように。第二には、日本人を受け入れる環境を作ってくれたことに感謝し、私たちも誰でも受け入れ、皆と共同して行動できる広い心を持つこと。第三には、自然県境の問題について、しっかりしたものの見方、判断力を身につけること。第四には日本人のすばらしいところは、プランニングができる、計画性があるということを忘れないでほしい。そして、それはどう行動するかの「ヴィジョン」を持ち、生き甲斐というべき「パッション」を持ち、それがあればそこに「ミッション]というものがある。この3つを持ち続けること。日系人が、信仰の面でもさらにこのヴィジョン、パッション、ミッションを自覚したなら、ブラジルにとって本当に貴重な、新しい人材となるだろう。

○中村長八神父列福運動
  中村長八神父がブラジルに来られて60年目の1983年に、神父の遺徳を偲ぶため、本拠地であったアルヴァレス・マシャードでサンパウロ、クルチバ、リオデジャネイロなどから600人を超える日系人が集まった。それはまた、新しい世代の人たちによる信徒のコミュニティを作るための集まりでもあった。これが契機となり、長谷川神父を中心に中村神父に開する資料をまず収集しようという調査委員会が立ち上げられた。これまで分散していた資料を集めることから始め、その資料の一部が保管されていたバストス市営博物館の協力、日本からは野下千年神父、島本要大司教、佐藤敬一司教、ローシャイタ神父などから多くの面で支援と協力をいただいた。
  1991年、マシャードに中村長八神父の歴史記念館の竣工式が執り行われ、99年には記念館が完成。そして1996年、現地に来られた佐藤司教とローシャイタ神父から、中村神父列福の準備の提案をいただいき、列福の理由を判定する作業を行う組織が動き出した。1999年ボツカツ大司教区の全司教の賛同を得て、列福調査委員会が発足、調査開始のための書類を作成。、2002年にローマに送った。これからは列福kの申請を具体的に行うため、中村神父と直接話をしたことのある人から証言、および証拠となるものを全部集めることにし、すでに100を超える証拠文書が登記を終えている。日本側は高見大司教と担当の野下神父、ブラジル側はプルデンテのジョゼ・マリア司教と担当のルーベンス神父が申請者となる。
  なお、1943年に斎藤先生が中村神父について小さな本を書かれたが、次のような記述がある。「中村神父が帰天された日に、プルデンテの隣のアチスという町の司教からマシャードの司教に次のような指示があった。それは、今日亡くなった神父様はとても高い霊性のある、優れた教育者であり、社会にすごい貢献をした方であるので、何十年か先に必ずやその墓を開くことになる。その時神父様の身体が痛んでいないよう、町の一番良い場所に神父様のために煉瓦造りのお墓を準備して欲しい」。
  中村神父は殉教者でなく、証聖者である。どれほど生きた模範を示し、信仰の証しを残されたかを証明しなければならない。どうしても奇跡が必要となる。神父のために祈るときには、はっきりその意向を正して、中村神父の取り次ぎによってこの祈りをお願いしますといって欲しい。そして、何か起こったら、ぜひ委員会へ連絡して欲しい。もし、私たちの中村神父がそのすばらしい生き方によって列福されるなら、本当に全世界に誇れる聖人になると思う。だから皆様、ぜひ祈っていただきたいと思う。