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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

たより


『新学期の子供たちへの援助に感謝』

〜カメルーン〜
シャルトルの聖バウロ女子修道会 末吉 美津子
 先日83km離れた町のポストに行きましたら、皆様方からの援助決定のお知らせを手にすることができ、神様に感謝いたしました。皆様、本当にありがとうございました。
 9月から始まった新学期、子供たちへ教科書、文具類を手渡すことができること、また寄宿生のための食費と職員たちへの給料を支払うことができることは、私にとって大きな、大きな喜びてあり、慰めであります。
 アフリカは大家族です。給料を支払えないと、一家族が飢えてしまいます。体力のない赤ちゃん、子供は天国へと旅立っていきます。先日も5人の子持ちの母親が、女の子を連れて診療所へやって来ました。原因は栄養失調でした。診療所を去って、約1か月後にこの女の子は天国に召されました。この子のお母さんは、私たちの小学校で教えていたので、まあまあの給料を手にしていたのですが、親戚の人々も彼女を当てにしているため、本当の自分の子供のためばかりに心を留めていられなかったようです。気の毒でした。
 そんなわけで、私が預かっているピグミの寄宿生のためにはできるだけ栄養面を考えて、食糧品の購入にあたっています。買い物のためにも車を使用しますので、ガソリン代も必要になってきます。とにかく、経済的に工夫しながら生活しております。
 この手紙もいつ皆様の手元に届くかわかりませんが、支援金の領収証を一緒に添えて発送いたします。感謝のうちに、皆様方のため私の小さな祈りをおささけいたします。



『国内の教区で一斉に叙階式』

〜チャド(ンジャメナ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 有薗 順子
 「海外宣教者を支援する会」創立25周年と『きずな』100号発行のお喜びを申し上げます。この25年間、どれだけ多くの宣教者が霊的、物的な援助に支えられて来たことでしょう。私もその一人で、当初から計り知れないご支援をいただいて現在に至っています。どのようにお礼申し上げてよいか分かりません。今日こうして宣教を続けられるのもローシャイタ神父様をはじめとして、海外宣教者を支援してくださる方々と神様のお恵みによるものと確信しています。今後もさらに末永くこの会が存続しますように。
 さて、私もチャドで23年になりますが、チャド国は外面的には発展しているように見えるかも知れませんが、政治、社会状態は悪化するばかりです。石油は発掘されても、首都でさえ昼問は停電続き、学生たちは奨学金が貰えず、学年末に続いて新学期の現在でもストが続き、結局2007年度は白紙というところです。
 ご存じのようにスーダンとチャドの国境近辺では戦いが絶えず、難民は増えるばかりです。2・3日前もフランス人が身寄りのない3歳から9歳までの子供たち103名を、何の手続きもせずにフランスに連行しようとしているのをアベシエの空港で止められ、問題になっています。詳しいことは知りませんが、いつも犠牲になるのは小さな者たちです。
これに対し、チャドの教会は毎年信徒数も増え、11月24日にはチャドの各教区で一斉に叙階式が行われます。ンジャメナ大司教区では、私たちの小教区で3名の司祭が誕生します。そして、12月16日、日曜日は私たちの修道会がンジャメナに支部を開いて20年になりますので、小教区で記念の感謝のミサを予定しています。これらもすべて神の恵みと、皆々様のご支援によるものです。重ねてお礼申し上げます。皆様の上にいつも平和がありますように。
チャド・ライ大教区の広報写真
チャド・ライ大教区の広報写真



『来年6月の国際聖体大会の準備』

〜カナダ(モントリオール)〜
師イエズス修道女会 原田 昌子
 ロザリオの聖母の祝日おめでとうございます。暑い夏も終わり、ようやく木々の紅葉が始まったここモントリオール、これから短かいですが美しい秋で街並みが彩られます。
 すてきな『きずな』100号記念号をお送りくださいましてありがとうございました。折らずに大判のまま送られた美しい表紙を見て、皆様が私たちを配慮してくださるお心が封筒からそのまま飛び出して伝わって来ました。“25周年によせて”の樋口百合子さんの記事の中で、旧四谷時代の梶川神父様のお話を読み、懐かしく思いました。
 私も1982年1月にカナダに渡って、一時休暇をも含めてて25年。長いようで短く、短いようで長い日々の経過の中に、“主のみ手のはからいは限りなく…”と唱う詩編のことばを実感しています。
 こちらは2008年6月、ケベック市で予定されている第49回国際聖体大会に向けて、3年前から1000日間の祈り、その他の行事などで準備が進められています。この9月、それに参加される司教様方全員のミトラ、祭服とストラの注文を実行委員会から受け、聖体大会一色になりました。これは聖体と司祭職、典礼に奉仕する使徒職を持つ私たちの修道会にとって主に感謝することで、どうぞよりよく奉仕できますようお祈りください。
 写真は聖体大会準備の一環として、修院のごミサに参加する信者さん方に配布したもので、モントリオール北部修道院聖堂での聖体礼拝と1000日間の祈りです。
 なお、船便で送ってくださったカトリックの月刊誌も無事に受け取りました。モントリオールのカトリック・グループの年次総会(9月)に持参して、図書室に置くようにいたしました。皆に読んでいただくことは私にとってとても嬉しいことです。変わらぬお心づかいに、そしていつも私たちのためにお祈りしてくださいますことに心らか感謝いたします。
このカードの裏に1000日間の祈りがある
このカードの裏に1000日間の祈りがある



『天高く、ラバル市の紅葉は始まって』

〜カナダ(ラバル)〜
クリスト・ロア宣教修道女会 佐野 好子
 支援する会創立25周年、『きずな』100号発刊、おめでとうございます。記念誌をお送りいただき、ありがとうございました。世界の宣教事情がよく分かり、本文の白黒写真もとてもきれいで、見ていて安らぎます。口で25年というのはやさしいですが、関係する皆さまの4分の1世紀にわたるご丹精や、たいへんな状況の中で寸暇を借しんで寄稿なさった宣教者の方々のご苦労に脱帽です。あらためて感謝申し上げます。
 ここケベック州のラバル市はモントリオール市の北に位置し、気の早いかえではもう紅葉を始めています。今週に入り、天高く、空気の澄みわたる秋の日々を楽しんでいます。
 モントリオールにある私たちの「聖パウロ茨木カトリックミッション」は、ごくごく小さい信仰共同体ですが、キリスト教の他宗派や仏教の信徒の方々の中で、巻頭言で押川司教さまがおっしゃるように、「現代社会でキリストの福音を待つ人々にこたえていくことが出来る『開かれた教会』を実現したい」と努力しています。どうぞお祈りください。



『日本人移住地での活動を模索中』

〜ボリビア(サンファン)〜
サレジアン・シスターズ 竹山 敏枝
 海外宣教者を支援する会の銀祝と『きずな』100号の“バンザイ”を、南米ボリビアの地より心からの感謝をこめてお届けいたします。貴会のこれまでのご苦労を宣教者の主に委ね、大いなる祝福で充たしてくださるようにとお祈り申し上げます。
 先日は99号をお送りいただきありがとうございました。新派遣者として紹介してくださり感動でいっぱいです。はじめて手にする『きずな』にどんなに大きな力をいただいたか知れません。しばらくは、ベッドや車の中でいつも『きずな』は私と一緒にありました。『きずな』によって、多くの親しい友を得たというよろこびに励まされています。
 私はこの春、アメリカ・アトランタ、ブラジル・サンパウロ、パラグアイ・アスンシオンを経て、目的地ボリビアに赴任してから早5か月が過ぎました。広大な牧草地を車窓から眺めているうちに、本当に未知の世界に舞い降りてしまったのだという実感を抱いて、熱くなったことを思い出しています。
 私の宣教の場は、戦争直後に日本から入植し、ジャングルを切り関いて生まれた、ボリビア大陸の日本村といわれるサンファンという所です。ボリビア国はカトリック国ですから、教会自体は大きな存在力をもっていますが、貧しさ故に倫理面で非常に疑問を感じさせられます。最近は土地、金銭、貿易などの不満が原因でよくストライキが起こっています。こちらのストライキは道路を封鎖して、座り込むというやり方ですから、流通関係が閉ざされ大混乱になり、暴動に発展することがあります。そんな中でこのサンファン村には、長崎の素朴なカトリック信仰が息づいているのを感じます。
 このサンファンの地で私は具体的にどんな福音活動をなすべきかを、スペイン語の習得に専念する傍ら、主の導きを祈りながら模索する日々を送っています。難問の一つは、とにかく日本の3倍という広大な地を、徒歩で駆けめぐることは不可能であるという現実です。例えば、郵便物を投函するにも車で3時問かけて郵便局まで行かなければなりません。ですから支援する会からの交通費援助が、私たちの宣教の足を支える大きな力となっています。改めて心からお礼申し上げます。



『早速水準器を購入』

〜ボリビア(サンタクルス)〜
宮崎カリタス修道女会 秋永 みすえ
 日本ぱ残暑厳しい夏と聞いておりますが、こちらはここ数日、南からの冷たい風が吹き、例年にない寒さを感じております。お隣のペルーも寒波が襲っていると耳にし、地震の被災者の方々が、この寒さの中どんなに苦境に立っているのかと思うと心が痛みます。
 またボリビアでは、政治・経済への不安は、日に日に募るばかり。昨年この国を襲った大水害の影響が、今も庶民の生活に及んでおり、この国の治世者、教会の指導者が、私たちを導き、神のみ旨が行われるよき国づくりができますようにと、慈しみ深い父に心からの祈りを捧げ、日々の奉仕に励んでいる次第です。
 さて、このたびもカリタス学園の高校専門コース・建築の部の教材・水準器の購入のためのご援助をありがとうございました。まずは、中古ですが、水準器を1台購入しました。カリタス学園は、高校での専門コースを続けるために、教材の確保、管理、維持に頭を悩ませてきました。必要な機器は高価ですし、その維持管理がさらに困難です。たった1つの部品を海外から取り寄せるために何か月も待たなければならなかったり、それを修理する専門家に限界があったり、さらに高価なために数少ない機器を大勢の生徒で共有するため、実習が全員に当たらないこともあり、残念に思うことがたびたびあります。
 こうして支援する会の皆様が私たちの困難をご理解くださり、ご支援してくださることは、このボリビアの将来を担う子供たちの全人的な教育・養成につながっていることと確信しております。継続した温かなご支援に心からの感謝を捧げつつ、皆様のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。
高校4年生(建築科)さっそくの実習
高校4年生(建築科)さっそくの実習



『司教館にも盗難防止のベル設置』

〜パラグアイ(エンカルナシオン)〜
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
 最近こちらでは泥棒が多くなり、教会関係にも被害が出て、ついこの間もピラポとエレディダの司祭館とシスターの家が被害にあいました。それで、ミサの時間は司祭館やシスターの家が空き家になるので、盗難を防止するためのベルを設置することにしました。3人の電気屋さんが2日がかりで働いてくれました。このたび送金していただいた援助金は、盗難事件の後に受け取りましたので、直ぐ銀行に預けることができました。本当にありがとうございました。
 盗難が多くなった原因の一つは、若者に仕事がないということです。ブラジルやスペイン、日本などに出稼ぎにゆく人も増えております。けれども家族が別れ別れに住むことも問題で、父親、または母親が不在の場合は、子供たちはさびしいだけでなく、学校の宿題などもみてもらえないのです。
 来年、大統領選挙があります。この国を長い間支配していたのは赤党(Colorado)で、共産党とは違いますが、政治の乱れで一般の貧しい人々はますます貧しくなり、病院や教育の方も落ち込んでおります。フェルナンド・ルーゴ司教様は、この国の改革を目的として司教職を辞して、現在大統領候補として活躍しております。国民の支持率も大きいのですが、どうなるかはっきり分かりません。
 また、先日は「カトリック生活」を沢山お送りくださり、ありがとうございました。東京ミッドタウン郵便局の消印は7月7日になっているので、船便ではるばる3か月かかって着いたことになります。このような雑誌は、50〜60代以上の一世の日系人が喜んで読みます。日本て高校を終了して来た大人たちです。ここで育った子供たちはビデオとか漫画は見ますが、ゆっくり座って読書することが少ないのです。日本語能力試験などもありまして、日本に留学を希望する子弟は日本語を勉強しますが、一般にはスペイン語が通用する時代となりました。先日若い日本人二世カップルの結婚式がありましたが、本人たちはスペイン語だけの式を望みました。やはり時代が移り変わっていることを感じました。
 日本人がカトリックに改宗するのは時間がかかります。私たちの小学校、中学校に入ってくる日系人の50%以上は洗礼を受けておりません。ところが、結婚式はカトリック教会で行なうのが普通です。
 皆様のお働きの上に神様の祝福がゆたかにございますように祈りつつ。



『父の日』

〜ブラジル(アモレイラ)〜
長崎純心聖母会 堂園 みつ子
 一日としてゆっくり過ぎる日がないくらいかけ足で時が経っていきます。10月の第5回春祭りに向かって準備に入りました。今年の目的は遊具です。
 さて、ブラジルの8月は召命の月、日曜日ごとに司祭の日、父の日、修道者の日、カテキスタの日と続きます。アモレイラの純心幼稚園でも、父の日のプレゼントを準備しました。母の日は各家庭に一つずつのプレゼントですが、父の日は子供たち一人ひとりがプレゼントを持って帰りました。
 5才のLくんは、養母のことを“ぼくのお父さんの奥さん”と呼びます。小学1年生になったRくんは、先生から1レアル(50円)持ってくるように言われました。
  「お父さんにプレゼントあげたの?]
  「ううん、お金を持っていかなかったから」
  「お母さんに言わなかったのでしょう?」
 すると母親が「あんな父親には50円ももったいない]
 彼の父親は日曜日のミサを欠かしません。でも子供たちには何も援助していませんし、もちろん一緒に住んでいません。彼らに父親はいないのです。養母を代えていく父親たち、養父を代えていく母親たち、このような両親に子供たちはどういうイメージを持っているのでしょうか。こういう世界では自分だけが頼りです。広い心でいつも共にいてくださる神様のイメージが届くには、あまりにもカベが固くて厚すぎます。情緒不安定、暴力的、依存的、利益主義がまん延し、神様のメッセージは教室に入る段階でストップしています。  先日、6歳の男の子が入園してきました。教室に入りません。シャワーも浴びないし、食事もしません。「お願だからぼくの好きなようにさせて、自由にあそばせて、誰にも迷惑かけないから」
 赤い大地の地平線がはるかかなたに見え隠れしています。暗い世界だからこそキリストの先はもっと強く輝くのかもしれません。先に向かって共に歩いていきましょう。



『大地震、その後』

〜ペルー(リマ)〜
ネL拝会 川 俣 恭 子
 ご存知のように、8月15日午後6時40分、私たちは大地震に見舞われました。震源地はリマの南東160キロの海岸沖でしたが、マグニチュード7.5の揺れが3分間も続いたので、震源地に近いイカ州、チンチャ郡、ビスコ郡、カニェテ郡の街々はほとんど壊滅しました。 540人を超える死者と多くのけが人、そして無数の人々が住む家もなく冬の寒空の下に着の身着のままで放り出されました。その後も、震度5〜6の余震が10回以上も続いていて、未だに人々は怖さにビクビクしています。
 首都リマの北と南の海岸沿いに、エクアドルからチリまで続く幹線道路(パンアメリカン・ハイウェー)が通っていますが、地震で崩れたり、亀裂が入ったりして、渋滞が続いていて、私用車の通行が制限されていました。また、市内でも幹線道路で、物資の強奪や盗難が起こり、治安は最悪でした。また、チンチャの刑務所が崩壊し、凶悪犯罪者を含む約600人の受刑者が逃走したことも治安を悪くしています。しばらくはお見舞いにも行ける状態ではありません。
 リマからハイウェーを4時間行くとピスコ市、5時間でイカ市に着きますが、この辺りはナスカの地上絵やバジェスタス島などの観光地への宿場となっているので、旅行者が多く、その日も満員のホテルが崩れ落ちて、多数の死傷者が出ました。
 また、イカのカテドラルではちょうど夕方のミサの時間で200人ほどの信者が熱心に祈っているところでしたが、鐘楼が崩れ、聖堂の屋根が崩れ落ちて、逃げ遅れた40人近い人々が亡くなりました。
 この辺りの街並みは古くて、それもアドベという泥土の日干し煉瓦を積み上げただけの建築ですから、ひとたまりもなく崩れ落ちたのです。イカ、ピスコ、チンチャ、カニェテなどの街はほとんどがアドベの古い建物で、街は90%崩れ落ちて、また崩れなかったとしても亀裂が入り、とても危険で住める状態ではありません。被災地は全面的に街を建て直す必要があります。
 半月経った現在では、テントやプレハブの小屋が建てられて、人々はやっとなんとか住める状態になってきたところです。地震の直後から、国内はもちろん、隣国をはじめ世界各国から多量の援助物資が送られてきたので、被災他の人々は当座の生活を配給物資でしのいでいます。ても、政府の緊急対策は遅れがちで、支援物資の配給の方法や管理なども秩序が無いので、混乱の中でいろいろな悪用が行なわれています。 リマ市内の支援キャンペーンも溢れるほどの物資が一般市民によって持ち込まれましたが、被災者までちゃんと届けられているのか疑問です。だから「支援金などはもう少し落ち着いてから直接届ける方がいいよ]という人もいます。 とにかく、貧しい国でぱ“モラルは低く誰も信用できない”といわれるのは残念ながら事実です。
 でも、街の復興はいつ頃になるのか − 政府は動き始めていますが − 遅々とした動きです。2か月の非常事態宣言では何もできないでしょう。過去にも大地震に見舞われている地方だというのに、災害対策は無きに等しいというのは呆れてしまいます。
 今年は例年になく寒さが厳しくて、伝染病は発生しませんが、被災者の皆さんは毛布に包まって耐え忍んでいます。風邪や肺炎がはやっているようで、毎日テレビで見ていますが、本当に可愛そうです。
 当日は、リマ市内でも3分間位(相当長い間でした)かなり大きく揺れて、聖堂で夕の祈りが終わった直後でしたので、私たち4人のシスターは慌てて家の外の道路に飛び出して、鎮まるのを待ちました。幸い、私の家は何も壊れず、停電になって水が止まったくらいで、被害はまったくありませんでした。神に感謝!
 翌日、「ミカエラの家」にやって来たチカたちに聞いてみると、何人かの家は危険な状態になっていて、住めないので、友人や親戚の家に避難しているということでした。彼女たちをどこまで援助してやれるのか分かりませんが、何とかしなければと思っています。翌日から始まった救援キャンペーンに、私たちも近くのスタジアムまで古着や毛布、飲料水などを持って行きました。各テレビ局前の広場や、市内のあちこちでも救援物資を集めていました。芸能人やフットボールの人気選手などの被災地慰問もあって、リマ市民は一体となって救援に協力したのは素晴らしいことでした。でも現在は、嵐は過ぎ去ったと言うか、まったく以前と変わらない毎日になっています。
 以上、やっと少し落ち着いてきていろいろな情報も入ってきたので、ひとまず、当地の様子をお知らせいたしました。どうぞ引き続き被災者のためにお祈りください。



『ボランティアとの心の交流』

〜カンボジア(コンボンルアン)〜
日本カトリック信徒宣教者会 高橋 真也
 私たちJLMMの「体験ボランティア」という企画に、3名の女性ボランティアが水上村に来てくださいました。長年幼稚園の先生だった80歳近いおばあちゃんシスター、小学校の音楽の先生であるシスター、若い小学校の音楽の先生、この女性3名が3日間、私たちの活動をお手伝いしてくださいました。
 水上村教会の識字教室には、午前と午後あわせて80名近くの生徒がやってきます。その子供たちのために、先生方はいろいろ準備をして、折り紙や絵の具を使ってのお絵かき、歌や楽器のおけいこなどを、子供たちの心をつかんで上手に授業をしてくださいました。子供たちは普段と違う特別授業の雰囲気、今まで習ったことのない新しい学びの体験に、終始盛り上がっていました。
 最終日、識字教室のカンボジア人先生が、「すばらしい授業を見せていただいて、子供だちにとっても私にとってもよい勉強になりました。感謝しています。ただ、もう先生方が帰ってしまうのがとても残念です」と涙ながらにお礼を述べました。その言葉にみんな目をウルウルさせていました。日本人と現地の先生、どちらも別れが惜しくなるほどの人間関係を短時間で築き上げたのです。それぞれ言葉という障害を乗り越え、自分が持っている個性、経験などの宝物を生かし、それを現地の人と交換し合うことで心の交流をなさいました。この心の交流は、お互いの心に想い出としてずっと残っていくことでしょう。
 初めての企画だった「体験ボランティア」ですが、それぞれが実り多い体験でした。ぜひ、これからも続けられることを願っています。 “80歳近いおばあちゃんシスター”と失礼な書き方をさせていただいたのは、年齢に関係なくだれでも参加できるのですよ、とお伝えしたかったからです。皆様も心の交流をしに水上村にいらしてください!
 人間が人間に贈ることのできる最善の贈り物、それはいい想い出です。(ガブリェル・マルセル)
出来上がった作品にみんな大満足!
出来上がった作品にみんな大満足!