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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『中南米』






『郵便事情はよくならず』

〜パラグアイ(ピラポ移住地)〜
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子

 『きずな』も四谷の中央協議会内の事務局から始まって、100号を発行されるそうでおめでとうございます。心からお喜びを申し上げます。
この25年間、送ってくださいましてありがとうございました。この度の小川神父様の巻頭言にありましたように、私も『きずな』の記事を読むたびに、大いに励ましをいただいております。世界各地に広がって、活躍されておられる宣教者たちに連帯感を持っと共に、第三世界に働く者にとって共通した苦労も身に弛みて感じます。
 今年1月10日に援助申請をいたしました、ピラポ聖霊幼稚園ならびに小学校の教育補助金を出してくださることに決定したニュースも、『きずな』99号で初めてわかりとてもうれしく思いました。
 パラグアイの郵便事情は芳しくなく、コロニアに住む私の所には着いたり、着かなかったりで、この度の『きずなJも首都のアスンシオンに住んでいるシスター山田から回していただきました。書留郵便も確実とはいえません。
 こちらは未だ政治が安定しておらず、学校の先生たちが先週から、給料アップを要求してストライキに入り、公立学校はもう10日も授業が行われていません。文部大臣は辞職し、臨時に別の方が文部大臣になりました。私たちは私立ですので授業を続けております。キリスト教の学校ですので、先生方も安い給料、それも遅れがちで支給されますが、奉仕的に子供たちのために働いてくださっています。私もリーファをしたり、バザーをしたり、食券を売ったりして、お手伝いをしています。
 この国では、大きな土地を持っている人々と貧しい労働者、学校にもろくに行けないインディアンの子供たちがいます。私たち宣教者はこれらの人々のどちらにも奉仕しています。お金持ちの子供が愛情不足のために麻薬に奔ったり、非行少年になったりしています。有名校であるカトリックの学校の子弟たちが同級生に暴行を加えている場面をテレビが放映したり、金持ちの子供を誘拐して、何万ドルを要求した事件もありました。
 皆様のご健康と今後のお働きの上に神様のゆたかな祝福がありますよう、お祈り申し上げます。

聖霊降臨のミサで合唱する幼稚園の子供たち
聖霊降臨のミサで合唱する幼稚園の子供たち






『ご支援ありがとう』

〜ボリビア(コチャパンパ)〜
宮崎カリタス修道女会 立石 順子

 コチャバンパ県は3000m近い高山地域なので、朝夕、時には零下にまで気温が下がります。しかし、日中はお日さまに近いため暖かくなり、この温度差が美しい花を咲かせるので、当県はお花の産地です。おかげさまで、神様の暖かいまなざしの中、多くの人に支えられ,支え合って修道院の姉妹、修練者、センターの子供たち一同、元気に暮らしております。
 さて、このたびも私たちの願いをお聞き入れくださり、共同体一同感謝しております。濾過浄水器設置工事費の援助決定のうれしい知らせが届き、感謝と喜びで――老齢のため飛び跳ねることはかないませんが――踊る心地でございます。本当にありがとうございました。早速、業者との契約、交渉に取りかかります。工事についてはまたご報告させていただきますが、スムーズに工事が進みますようお祈りくださいませ。
 水は命の源であり、命を保ち、清める、大切なものです。私たちがお世話させていただいている子供たちの健康と活力が保たれ、また、かかわっております家庭や地域社会への奉仕ともつながっていくことと信じております。取り急ぎお礼まで。






『本当にありがたい援助金』

〜ペルー(リマ)〜
礼拝会 川俣 恭子

 この度は、また貧しい女性を社会的に支援のための資金をいただきまして、心から感謝申し上げます。いつも暖かいご支援に支えられていて、とても力が湧いてきます。
 いただいた援助金は、宣しい地区から「聖マリアミカエラの家」まで通ってくるバス代の一部負担、毎日4時半に短い話とお祈りの後で出すおやつの代金(今は寒いので、熱いお茶とマーガリンのついたパン)、それに手術や診療、薬を買うお金がない場合の緊急医療援助費として、使わせていただいています。いずれも、ほんとうに必要なもので、みんなとても感謝しております。
 今年も「聖マリアミカエラの家」には、約40人の貧しい女性たちが通って来ております。いずれも、生活のためにつらい仕事に追い込まれている人たちです。今年は、かなり出席率がよいのが特徴ですが、それでも、途中から釆なくなった“チカス”も数人います。何人かは仕事が見つかったからという理由ですが、「ミカエラの家」に来るためには午前中しか働けないので、仕事と両立が難しいのが現実のようです。
 家の掃除をさせてもらったり、ジーパンなど手洗いのやっかいな洗濯物を引き受けたり、公衆食堂の昼食準備を手伝ったり、そんな小さな仕事しかありません。ほんの小銭をもらいます。夜は売春以外の仕事はまず見つかりません。
 何人かは時々売春を続けています。私たちはそれを知っていても黙って見逃しています。仕方がないのです。彼女たちが早くやめたいと思っているのを知っているからです。私はそういう“チカス”にとくに近づいて話しかけることにしています。そして、彼女たちの心がまだ堕ちていないのを知るのは私の喜びと慰めです。
 4月の始め頃、「ミカエラの家」の第1期生で現在は掃除と台所を手伝っているロシオが、「メリーが借金を返せなくて売春宿から出られない」と知らせてくれました。メリーは19歳の未婚の母ですが、昨年、1歳の赤ん坊を抱えて、貧困の中で頑張りながらミシンを習いに来ていましたが、12月に卒業してからは連絡が途絶えていました。
 私は、一体どの位の借金かしら? 日本からいただいているお金で支払うことができるかしら?と、とても心配しました。ロシオに調べさせると、たった800ソレス(260ドル)だと分かったので、すぐに援助することにしました。「あそこはシスターの行く所じゃないから、私が支払って彼女を引き取ります」というロシオを信頼してお金を持たせ、無事に救い出すことができました。宿の主人は担保として取り上げていたメリーの身分証明書を返そうとしなかったそうですが、ロシオが警察を呼ぶからというとやっと返してくれたそうです。危ないところでした。
 メリーは子供が病気になった時お金がなかったので、この主人から利子付きで200ソレスを借りたのですが、きっとはめられたのでしょう。返しても、返しても、返しされなくて、結局800ソレスに増えてしまい、売春宿から出られず一日中働かされていました。
 翌日、坊やを抱いて私に会いに来ました。涙をいっぱい浮かべて「シスター、ありがとう」といって抱きついて泣きました。私もしっかりと抱いてやりました。「大丈夫ヨ。これから頑張るのヨ」というと大きくうなずいていました。それから、ロシオといっしょに小さな部屋を探して、わずかな家具も買ってやりました。また、すぐに仕事を探させました。メリーはあまり才能がある方ではなかったので、初めは縫製工場の見習いとして雇ってもらい、2週間無給同然に働いた後、やっと、正雇用にこぎつけました。
 今では、メリーの顔つきもはんとうに変わりました。明るい希望に満ちた目をしています。このメリーのように、これからも、緊急に援助の必要な女性たちが次々に現れることでしょう。私は日本の皆様からいただいたお金を、彼女たちに立ち直りのチャンスを与えるためにも使いたいと思っております。もし、皆様がリマまで来られるなら、命の恩人として、彼女たちの感謝の言葉と強いアブラソ(抱擁)を受けるでしょう!感謝のお祈りのうちに。





『石川裕之神父様の思い出』

〜ブラジル(プラナウチナ)〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 浅沼 みどり

 いつも『きずな』とクリスマスカード、新年には美しいカレンダーをありがとうございます。毎号の『きずな』でとても力づけられて楽しみにしていますのに、ご無沙汰しっぱなしで、お許しください。
 石川神父様の帰天のことは、日本に帰省中のシスター高橋からの口伝で、信じられない思いです。神父様が私たちの所にいらしてくださり、短い滞在でしたが、よい思い出を残してくださったので、お知らせしたいと思います。

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 石川神父様が旅行中ニューヨークでご帰天になられたと伺い、驚いています。一昨年8月、ブラジリアで行われていた「ブラジル語と文化の研修コース」に日本から参加しておられた時のある週末、30キロほど離れたプラナウテナの町にある私たちの共同体にお招きしました。ちょうど、ブラジリアの大司教ドン・ジョアンが司牧訪問中で、まだ教会も集会所もない小共同休のミサを、日曜日に一信者の家の庭でお捧げになることになったので、石川神父様をお誘いしました。神父様はブラジル到着後1か月はどなので、まだ研修会の中でしかブラジル語のミサはなさったことがないと言われましたが、私は神父様のためにトニカとストラをこっそり持って行きました。
 ジョアン大司教様は、小教区の主任司祭アグスチニョ神父様を伴って来られ、石川神父様を紹介すると、直ぐに共同司式に参加するよう招かれました。こういうことになるだろうとの私の予感は適中、石川神父様は私の持参したものをお召しになり、三人の共同司式となりました。
 ミサの始まる前、一人のご婦人がマリア様のメダイを祝福していただきたいのだけれど、誰にお願いしたらよいのかと私に尋ねてきました。
「ここには大司教様とパドレ・アグスチニョと日本から来られたパドレ・ヒロ(神父様は研修コースでこう呼ばれていました)もいらっしゃるから、誰でも好きな方を選べば?」と私が言うと、彼女は「考えましょう」とのこと。少し経って、そのご婦人が石川神父様にメダイを祝福していただいているのが見えました。
 ミサの間、大司教様は典礼文の読むべき箇所を石川神父様に指で指し、ご自分で典礼書を支えてあげておられました。石川神父様はゆっくり、堂々とその箇所を読まれました。
 ミサが終わり、皆がくつろいでお茶を飲んでいる時、神父様を探すと、人々がざわめいている庭の片隅のペンチに一人の青年と並んで腰掛け、告解を聞いておられました。後で神父様は「彼の話すことは何もわからなかったけど、神様は全部おわかりになるからいいでしょう。僕も早くことばを覚えなくては」と大きな心意気を示しておられました。
 私たちの家には土曜一晩だけのお泊まりで、翌日月曜の朝の授業に遅れないようにと、日曜の夕方ブラジリアにお戻りになりました。研修コースが11月初めに終わった時、もう一度私たちのところにお招きしたのですが、パラナへの出発日時が決まっていて、残念ながらもう来ていただけませんでした。それで、私が石川神父様にお会いしたのは、それが最初で、最後になりました。
 石川神父様は私と同じ横浜教区出身でもあり、お会いできたことをとてもうれしく思っています。神父様は早くブラジル語を覚えて、ミッションの必要に応えたいと言われていましたが、すでに、いつでも求められる必要に応え、人々に愛されておられたことが、私にはたった一回の出会いでよくわかりました。
 今、石川神父様は神様のみもとでご自分が派遣され、命を賭けて情熱を燃やしておられたブラジルの人々のため、必ず取り次ぎの祈りをして、そのミッションを続けておられると私は信じています。

石川神父様とプラナウチナ共同体のシスターたち、神父様の隣りがシスター浅沼
石川神父様とプラナウチナ共同体のシスターたち、神父様の隣りがシスター浅沼






『ヨーロッパ』






『アフリカからロシアへ』

〜ロシア(サンクトぺテルブルグ)〜
フランシスコ会 根本 昭雄

 私は2005年10月11日、ロシアのサンクトペテルプルグに移りました。何故アフリカらロシアへ?、といろいろな方から聞かれるのですが、私はこう答えています。
 エイズの問題はもうアフリカだけに絞ることはできなくなってきました。患者感染者の数は大きく世界に広がろうとしているからです。国連エイズの調べではご承知のようにアフリカ、東南アジアはもとより、中国、東ヨーロッパへの拡大が懸念されています。私は毎日、南アでエイズ患者の死と向き合って生活し、何をすべきなのか、何をしてはいけないのかを、毎日亡くなる患者を前にし、考えさせられてきました。医療対策も進みよい薬も出てきました。元気になる人々が出てきたことも事実です。しかし、これらの恩恵を受けられない人々があまりにも多く、毎日、死んでいく人の数は増えるばかりで、この勢いを未だにくい止められずにいます。
 昨日まで笑い、歌い、ダンスをし、また静かに聖堂で祈っていた少女も子供たちも、今日は力を失い、倒れ、死んでいくのです。
 エイズはその破壊的な規模と対応の難しさから“比類のない課題”と言われています。完治する治療薬やワクチンは開発されておらず、様々な努力にも拘らず、流行の勢いは一向に衰えていません。2004年1年間に世界で新たに490万人がHIVに感染し、310万人がエイズにより死亡しています。これは、2004年のインド洋の津波が、はば毎月、しかも、毎年繰り返し起こる規模に匹敵します。津波と異なり被害が表面化しにくく、それ故“サイレント津波”と表現されています。
 どうにも救いのようのないこの現実に出会い、私は、祈りました。神様、教えてください、どうしたらよいのでしょうか、、、と。
 薬でも、医療施設の完備でも、スタッフの充足でも患者は救われません。だとすると、もう患者には救いを与えられないのでしょうか。そんな筈はありません。そうです、イエス様のみ声が聞こえてきます。”小さい人々の中にキリストがおられる”のです。小さい人々、それは患者自身なのです。患者たちの中にキリストはおられるのです。患者は誰よりもエイズの苦しみを知っています。まだ、歩行が可能で、しかも、語ることができる状態の患者なら、病床にある患者を訪問し、痛みを分かち合い、祈り励ますことができます。お互いに、死と向き合う短い命であっても、患者の中にお住みになるキリストが語り、互いを慰めあうことができるのです。これに勝る薬、適切な医療行為は他に考えられません。
 これは、アフリカだけでなく世界中の人々が国境を越え、互いに兄弟姉妹となり、励まし合うことができる癒しと慰めであり、キリストの平和を与える力強い方法なのです。私は、ロシアからアフリカへ、アフリカからロシアへと患者たちが、何らかの方法で交流し励ましあうなら、小さい人々の伝えるキリストの愛と平和の輪は大きく広がると確信しています。タイからアフリカへ、中国からロシア、ロシアからアメリカへ、連帯の輪が広がるなら素晴らしいことです。もうすでに、アメリカのエイズセンターにはコンピュータールームが設けられ、Eメールを発信し合って、患者同志が励ましあっています。宣しいアフリカではこの方法は無理でしょうが、患者自身が動きだし、行動するならEメールよりも、もっと効果的です。そのため世界中の兄弟姉妹が、この視点からの支援と協力を展開するなら、貧しい人々に対する、そしてエイズに苦しむ人々のために、大きな力となるでしょう。
 ロシアではストリート・チルドレンが増えています。こうした、悲惨な社会現象がエイズ拡大への引き金にもなっているのです。大国とはいえ、その影に隠しきれない貧しさが横たわっているからです。就職難、家庭内の争い、両親のアルコール中毒、離婚等々は、子供たちの登校拒否、家出、シンナー遊び、暴力、犯罪の道を作っていきます。お祈りください,この地で力一杯、神様のみ国の発展のために働くことができますように、、、。






『アフリカ』






『国の試験にコンピューターが必修』

〜シエラレオネ(ルンサ)〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子

 今年も発電機のご支援を本当にありがとうございました。これがどれほど助かりますか知れないのです。最近のセンターは洋裁も調理科も皆、国で定めた試験を受けるのにコンピューターが必修なのです。未だほとんどの所で電気もないのに、どうしてこのような馬鹿なことを考えるのかと思うのですが。結局、国家試験を受ける学校は限られているのでこうなるようです。
 それで発電機は毎日回さなければなりません。
 生徒はガソリン代など全く出せませんから、「これは日本からのご支援であなたたちは学べるのですよ」といつも言っております。
 今、日本は夏休みでしょうね。私の子供時代はいつも夏休みになると、祖母の家に大喜びですぐとんで行きました。休暇いっぱい遊び、最後にたまった宿題を済ませるのに、父母に「毎日やりなさい」とちゃんと言ったでしょうにと、叱られながらやりました。本当に夏休みはすばらしい思い出です。畑でとれたおいしいスイカを、冷たい裏の井戸の水で冷やしていただくのは格別なおいしさ。夕方にはとうもろこしを焼いたり、浴衣を着て村の鎮守様の盆踊りに連れて行ってもらったり、今は本当に昔なっかしい楽しい思い出として昨日のことのように思い出します。すでに優しい祖父母も叔父も皆、今は天国ですが、子供時代の楽しい思い出は、私たちの一生を力づけ、励ましてくれますね。
 今はすべて都市化してしまい、素朴な田舎の生宿を味わえない子供たちは気の毒だなと、思いますのは私だけでしょうか? こちらルンサは一年中暑いので、むしろ雨季に入った7月は涼しく感じます。今年の雨季はかなり遅く到着しました。雨が降りますと、道ほまさに泥んことなり、これは道かしらと思うほどです。川底のようなでこぼこ道、そこらじゆうに深い水溜り、毎日、ホンダ三輪オートで通う私もひやひや、懸命です。一度はみごと泥沼に入り、すべって転倒。まさに真っ黒泥んこシスターになりました。この失敗はもうしませんようにと、今は道を少しかえて通っていますが、その道も決してよいとはいえません。
 現在、OLG校もMIV校も建築が行われています。生徒の増加に教室が間に合わないためです。最近、円安とドル安が続いていますので、かなり予算が狂って四苦八苦しています。でもやさしい神様は、いつも善意の人々を通して助けてくださっています。不思議です。神に感謝、そして善意の皆様に感謝です。ありがとうございます。MIVは今年初めて国で定めた国家試験に挑戦しました。その結果、生徒は以前よりもっと力をいれて勉強出来ました。
 生徒は皆休暇に入りました。今年の卒業式は10月末に予定しています。卒業式は半年、ひどい時は10か月も遅れでしたが、今年は3か月遅れですから、大きな進歩と思っています。そして9月にはたくさんの中学生が今年は入学してくる予定です。私も老体にむちをうって、“婆さん校長”がんばります。皆様のお祈りがあってこそ続けることができます。皆様の暖かい支えを本当に感じています。これからもよろしくお願い申し上げます。






『アジア』






『帰国中の体験から』

〜カンボジア(コンボンルアン)〜
日本カトリック信徒宣教者会 高橋 真也

 私はこの6月の1か月間、日本へ一時帰国しました。その間、コンポンルアンの活動を支えてくださっている方々にお会いして、報告会をさせていただき、また、高校生にお話しさせていただく機会がありました。偉い人としてタメになる話しをするのだと意気込むのではなく、現地の人から学んだ休験を伝えるメッセンジャーなのだと自覚し、話すように心がけました。でも、人の前に立っとガチガチになってしまい、果たして現地の人から得た「実り」をどれだけ分かち合うことができたのでしょうか? 反省したらキリがありませんが、とにかく様々な所でお話しをさせていただけたのはよい経験になりました。
 そんな各地での体験報告の中で、私が特に力を入れて準備したのは、「仙台聖ウルスラ美智学院高等学校」の宗教科での授業です。なぜなら昔からあこがれていた教壇に立って話ができるから(しかも生徒の大多数が女子)、ただそれだけの理由でした。
 この学校には、JLMMパラオに派遣されたOGである吉井恭子さんが教員として働いていらっしゃるので、彼女が担当する宗教科の授業2コマで体験の分かち合いをさせていただきました。ワクワクして望んだ授業でしたが、案の定緊張してしまい、私が思い描いていた理想の授業(金八先生の授業のような)とはかけ離れたものになってしまいました。生徒の皆さんも、聞いているのか、伝わっているのか、今ひとつ反応が薄かったのです。
 授業が終わってから吉井さんがフォローしてくださって、おっしゃることには、「水上村の生活が、あまりにみんなが体験している現実とかけ離れていて、ショックを受けている子が多かった」とのことでした。下を向いていた子も、そんなショックがあったからだと。授業の終わりに書いてもらった感想文を見ると、優等生的な答えではない感想、ショックを素直に書いてくれている感想など、なるほどみんなちゃんと聞いてくれていたのだな、と分かりました。「水上生活は少し楽しそうだなと思いました」なんていう感想もありました。「“かわいそう”と思ってはいけないかもしれないけど、かわいそうでした」という感想もありました。どちらも素直な感想で、私はうれしくなりました。
 私はこの仙台の学校で、ちょっと恥ずかしいけれど、伝えておきたかったことがありました。それは、私は大学受験の時、この仙台で東北大学の試験を受けに来て、“落ちた”ということです。私は仙台での受験に失敗したからこそ、新潟の大学に入り、新潟での様々な人との大切な出会いを経て、JLMMという道に導かれました。人生に「もしも」はないのかも知れませんが、きっと私は新潟に行っていなければ、カンボジアには来ていなかったと思います。
 そんな私自身の体験を含め、水上村のみんなの生活の様子、私が学んだ体験を、ミッションスクールであっても、大多数がキリスト教徒ではない人たちに対して話しをする機会をいただけたことは、私にとっても貴重な体験となりました。茶髪にピアスで、肌が黒い変なお兄ちゃんの45分の話の中で、私からではなく、貧しくされた人たちから学ぶことの大切さを感じてくれたのなら、とても光栄に思います。
 人生の中には、「神様どうして?」って思うこともあるでしょうが、それがあなたに与えられた使命を実現するための大切なプロセスかも知れません。ですから、どうかウルスラ高校の生徒の皆さんが、大学受験のためにがんばり過ぎませんように。優しくてきれいな吉井先生の話を居眠りせずに聞いて、生きるために大切な価値観を学ぶことが出来ますように。そして将来、水上村を訪れてくれますように、祈っております!