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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES



写真提供:フォトジャーナリスト 桃井 和馬
写真提供:フォトジャーナリスト 桃井 和馬





『創立25周年によせて』

那覇教区司教 ベラルド押川 壽夫



 日本の教会は、「NICE(第1回福音宣教推進全国大会)」のうねりと共に動き始めて、20年の歳月が流れました。今年の定例司教会議でも、「NICE」の評価と見直しの仕方について審議が行われました。今後、「NICE」の“振り返り”のためのアンケート調査が、全国的に実施されるはずです。ともに喜びをもって生きる教会をめざして、「生活から信仰を、社会の現実から福音宣教を見直しつつ、現代社会でキリストの福音を待つ人々にこたえていくことができる「開かれた教会Jを実現」するよう、また新たな歩みを始めます。
 日本カトリック海外宣教者を支援する会も、今年の9月で創立25周年、『きずな』も100号を迎えます。この間、多くの宣教師たちが日本の教会から海外へ「漕ぎ出して」行き、彼らを支援する人々の輪も広がっていきました。
 福音宣教こそ教会の本質的な使命であり、その意味で、これら宣教師たちを支援する会員の皆様は、教会の本質的使命を果たしているといえます。
 19世紀の後半より始まった、日本のカトリック教会復活の歴史と戦後60年の歩みのなかで、外国人宣教師の働きと恩恵は甚大です。宣教師の姿は生きたキリストの写しです。宣教師を派遣する教会は、教会の本来の姿を現しています。
 私は、宣教師たちのなかで育ち、彼らから司祭の召命を受けて養成され、司祭になりました。また、司祭になってからも、彼らと共に働き、彼らの信仰と福音宣教に対する情熱を肌で感じ、多くを学ばせてもらいました。その間、何回となく宣教師たちの母国の教会や、派遣元の修道会・宣教会を訪ねる機会があり、宣教師を支援する多くの人々に接することができました。そこに、教会の隠れた大きな力を見せつけられた思いがしました。宣教師たちの働きには、彼らを霊的、物的(経済的)に支援する大きな教会共同体があり、その数限りない恩恵を私たち日本の教会は受けてきました。その現実を、今のわたしたちはあまり意識していないかも知れません。
 Fr.○○MB(○○神父ミッション・バンド)、××MA(××ミッション・アソシエション)、Missio等、いろいろな名称の支援団体があり、教会でバザーを開き、募金活動を行ない宣教地・日本への物心両面にわたる援助活動を展開しているのです。
 彼らの存在と働きなくして、今日の日本の教会はあり得えない。その恩恵をわたしたちは決して忘れてはいけないでしょう。
 それに比べるなら、私たち日本の教会の海外宣教への取り組み方は「九牛の一毛だにもなし」の感がします。
 しかし、四半世紀前から私たち日本の信者たちも、「日本カトリック海外宣教者を支援する会」を発足させ、教会の使命である福音宣教に協力している会員の皆様がいることは、私たち教会の成長の証しであり、神の民の広がりを自ら実感して、宣教する教会を示しています。これからも皆様の働きの輪がさらに広がり、教会の本質的使命が福音宣教であり、宣教師たちを支援するのは教会の大切な務めであるとの意識が深まることを祈ります。
 日本カトリック海外宣教者を支援する会に惜しみないご協力ご支援を寄せてくださっている方々に、こころからの感謝と主の祝福を祈ります。(当会顧問司教)






『第25回運営委員会議事録』

日時:2007年6月19日(火)18:00〜20:00
場所:四谷SJハウス会議室
議事:
I.新運営委員の紹介
今年度からSr.片岡玉江(ヌヴェール愛徳修道会)が運営委員に加わることになり、紹介された。
II.2006年度の活動
 事務局の八幡さんより資料をもとに活動報告が行われた。

[広報活動]
@広報活動:宣教地からのレポートと国内会員の声などを掲載した広報誌『きずな』を年4回(6,9,12,3月)発行し、国内会員と海外で働く宣教者に送付し、相互の交流と宣教者の現地活動を、日本の多くの人に伝える役割を果している。
A勉強会:一時帰国宣教者を迎えて下記のとおり開催。
 ★7月20日 於 四谷SJハウス会議室
 一時帰国中の北島泰治神父(神言会)を迎えてアルゼンチンのミシオネス州の司牧について、また、日系人の司牧について話を聞く運営委員の勉強会を開いた。
 ★10月17日 於 四谷SJハウス会議室
 ペルーから帰国中のSr.川俣恭子(礼拝会)と、Sr.小森雅子(ショファイユの幼きイエズス修道会)を迎えて、お話を聞く会を開いた。
Bホームページは各方面からアクセスされ、カトリック関係者以外からも宣教者に関する問い合わせがあり、情報提供に協力した。

[援助活動]
 世界各地の宣教者から申請のあった援助について、申請書類を基にして実績や内容について検討し、緊急性および必要性の高いものから援助を決定し、実行している。2006年度の援助は22件、9,174,804円となった。

[その他]
@会員数は、法人・団体会員:1,986 個人会員:462 賛助会員:66 総計2,514
A3月に事務所が移転した。〒106−0032東京都港区六本木4−2−39
B目黒教会、成城教会のバザーに、帰国宣教者の協力もあり出店した。
C一時帰国の宣教者の来訪もあり、宣教地の様子を聞くことも多い。宣教者と国内会員相互交流のため、クリスマスカードの発送、手紙の交換も従来どおり行なった。


III.2006年度会計報告 2006.4.1〜2007.3.31

収入
会費・寄付金15,057,525
基金取り崩し0
雑収入6,920
預け金利子6,237
前年度剰余金3,686,027
合計18,756,709


支出
援助金9,174,804
研修費61,672
運営経費4,416,502
基金繰り入れ2,500,000
次年度剰余金2,603,731
18,756,709


IV.2007年度活動計画・予算の審議
[広報活動]
 創立25周年と『きずな』100号記念をふまえて
@『きずな』年4回発行 3800部 9月1日発行の100号は記念号とする
A講演会・勉強会
 一時帰国中の宣教者を中心に講師を依頼、記念講演会も開催予定。
B創立25周年記念感謝のミサを9月1日に行なう。
C25周年を記念して、9月第1過のカトリック新聞に広告を掲載することになった。
[援助活動]
 申請に応じ運営委員会で検討の上、実施する。
[その他]
 会のPRもかねて、教会のバザーなどへ出店させていただくなど、従来どおりの活動をする。
 ●以上審議の結果、すべて承認された。


V.きずな100号について
@当会の顧問司教である押川壽夫司教に巻頭言をお願いする。
A記念号として表紙に写真を使うことになり、井上信一さんから知り合いのプロカメラマン桃井和馬氏に相談してもらうことになった。
B原稿締め切りは7月31日、発行は9月1日、発送作業は9月6日(木)に行なう。


VI.援助申請の審議
@ブルキナファソのSr.黒田小夜子(マリアの宣教者フランシスコ修道会)から、農業用小型トラックを購入するための費用80万円の申請があった。これまで3回同額の援助をしていて、今回が最後とのことだが、緊急を要するものではないと判断し、次回に延期することになった。
Aケニア・ナイロビのSr.野間順子(マリアの御心会)から、修練者のための資料作りや教会での要理や歌の資料作りに必要なコピー機を購入するための費用、1318ユーロの申請があり、援助を決定した。
Bボリビア・コチャバンパのSr,立石順子(宮崎カリタス修道女会)から、コチャバンパ子供支援センターの、100名分の飲料水の浄化装置を取り替える費用として5000ドルの申請があり、これは急を要するので支援を決定した。
Cボリビア・サンタクルスのSr.秋永みすえ(宮崎カリタス修道女会)から、*カリタス学園校舎内の3か所の階段の取り替え費用6000ドル *高校建築設計料で必要な教材である「水準儀」購入の費用2000ドルの申請があった。検討の結果、今回は後者の教材購入費用として2000ドルの援助を決定した。
Dペルー・リマのSr.川俣恭子(礼拝会)から、「マリアミカエラの家」に通う貧しい女性30名分のバス代の半分9000ソレス、おやつ代6000ソレスで、計約5000ドル、それに緊急の医療費として1000ドル、合計6000ドルの申請があった。長く続いている援助であるので、今回も援助を決定した。
Eフィリピン・ケソンのFr.佐藤宝倉(フランシスコ会)から、「クライスト ザ キング カレッジ」の構内に、ろう学校の小学部を開設するための費用:学習机、事務机、ベッドなどの購入費として約70万円の申請があった。検討の結果、今回は40万円の援助を決定した。


VII.その他
@移転に伴い住所が変わったので、会の案内パンフレット、および封筒などに訂正のシール貼りをすることになり、作業日を決めて行なうことになった。
A会費を銀行から送金すると、当会にはカタカナ書きの名前だけが通知されるので、銀行を利用した場合は住所を何らかの形で事務局に知らせてほしい、と担当者から要望があった。
B次回の委員会は、9月11日(火)、四谷のSJハウスで行なう予定。






『2006年度援助費』










『日本の宣教者』

カトリック新聞編集長 メリノール宣教会司祭 W・グリム

 「日本」という単語と「宣教」という単語を一つにまとめると、通常、ヨーロッパやアメリカ出身の司祭とかシスターが頭に浮かぶ。数多くの宣教者たちが外国から日本へ来ていることは事実である。だが、「日本の宣教者」という言葉には、もう一つの考え方がある。
 自分たちは宣教者だという信念のために、外国に住み、宣教に従事している350人を越える日本人がいる。その中には司祭あり、シスターあり、ブラザーあり、信徒ありで、彼らはアフリカ、アジア、北米・中米・南米を含む米州や、オセアニア(大洋州)で宣教活動をしている。日本人宣教者は、南極大陸を除いたすべての大陸にいるのだ! 私の故国、アメリカ合衆国の教会に所属するそれと同じ割合の信者たちが宣教に加わるとしたら、宣教者として国外に在住する5万人以上のアメリカ人力トリック信者がいることになるのだ。ところが、現実には僅か6400人ほどにすぎない。
 日本はまだ海外からの宣教者を必要としているが、この国のカトリック教会は、福音のための宣教者派遣を分担することにかけては、世界でもっとも寛容なのではないだろうか。
 その心の寛さは、単に全教会で男女が宣教に参加していることだけではない。「日本カトリック海外宣教者を支援する会」を通じて、日本のカトリック信者たちがそれら宣教者たちの活動を支えているのだ。「きずな」や「カトリック新聞」、その他の出版物によって、宣教者たちの働きについて知ることが肝要である。祈り、文通、帰国した宣教者たちの歓待も援助の方法である。できるときには宣教者たちを訪ねることも彼らにとって大切な励ましとなる。
 一番重要な援助の手段は、ここ日本で信仰を生きることである。教会は宣教のために存在する。格言にあるように「教会に宣教があるのではない。宣教が教会を成り立たせているのである」。だから、教会のあるところではどこでも、信者が宣教者でなければならない。信者全員が宣教者である。その一人ひとりが宣教者である。
 よその国々で奉仕している日本の宣教者たちが、小教区や教区を福音宣教の場にすることの意欲をかき立てるとしたら、それは海外にいる宣教者たちの励ましになることだろう。いや、それだけではない。世界に対して行なっている日本の教会の支援活動を続けて行こうとしている男女を奮い立たせるにちがいない。







『25年間に99回も「きずな」を送っていただいて』

マリアの宣教者フランシスコ修道会 コンゴ・キンシャサ管区 中村 寛子

 「日本カトリック海外宣教者を支援する会」の創立25周年、おめでとうございます。
 25周年と 『きずな』100号の発行のお祝いを心からお喜び申し上げます。この25年間99回も私に『きずな』を送ってくださり、それを読んで励まされ、生かされ続けてまいりました。何と素晴らしいことかと喜び、感謝を申し上げます。振り返りますと、私の宣教生活は『きずな』とは切っても切れないご縁と恩恵をいただいていたと感慨を深くいたしました。
 1977年、ちょうど30年前に私は海外宣教に出発し、1982年に初めての休暇でアフリカ・アンゴラから日本へ帰りました。その頃、千代田区六番町にあった移住協議会にご挨拶に伺い、そこで梶川神父様と八幡とも子さんに素晴らしいやさしいほほえみで歓迎されたことが、忘れられない一コマとして私の心に焼き付けられています。その時梶川神父様が、日本のカトリック教会から海外に派遣されている宣教者を支援する会を創立されることをお話しくださいました。初めてのアフリカのアンゴラでの生活、ことばや習慣の違い、どこを見ても貧困な人々、共産主義政府の圧力、そして内戦中などの環境の中で、たった一人の日本人として心細く、自信がなく、おどおどしていた時だったので、それがどんなに心強い励ましになったことか。心の中にしっかりした大きな碇を持ったと感じたその日のことが、今でもはっきりと思い出せます。
 その後アンゴラで反政府軍のゲリラの捕虜になり、人質生活をジャングルでするという体験をした時も支援する会の関係者の方々にどれだけご心配をかけたことか。解放後も報告会や本の発行など、いろいろお世話いただきました。
 その後、コンゴ民主共和国(旧ザイール)に派遣され、現在に至るまで宣教師として続けてこられたのも、ひとえに経済的に、精神的に支えてくださる会員の方々や、ずっと変わらず親身にお世話くださるローシャイタ神父様はじめ関係者の方々のおかげと、この機会を通して心から感謝申し上げます。いつも共にいてくださってありがとうございます。福音宣教のためにこれからも支援する会の益々の発展と豊かな祝福を神に祈りつつ。






『物心両面からのご支援に感謝』

礼拝会リマ修道院 川俣 恭子

 創立25周年と 『きずな』100号の発行、おめでとうございます。この長い年月の間、数え切れないはどの宣教者たちを、物質的にまた精神的に支えてくださいました皆様の寛大な暖かいご支援に、そしてスタッフの皆様の献身的なお働きに心から感謝申し上げます。
 私たちは現在、ペルー国リマ市で、貧しさの故に売春するしか生きる手立てのなかった女性たちが、まともな仕事を得て、少しでも幸福な生活を送ることができるように、無料の職業訓練所を提供しておりますが、運営費はすべて外国からの支援でまかなっております。『支援する会」から毎年贈られる援助費もそのうちの大切な部分です。このご援助のおかげで生徒数は年毎に増えてきております。貧しい女性たちに代わって、心から御礼申し上げます。
 思い起こしますと、『会』との初めての出会いは1955年8月の暑い日でした。「これから沢山お世話になるのだから、ご挨拶に行ってきなさい」と言われ、東京潮見の『移住協議会』の事務所をお訪ねしました。まだ私は宣教者の実感もなかったので、少し恥かしかったのですが、ニコニコ顔の梶川神父様と、初めてお会いする八幡さんのやさしい笑顔に迎えられて、とても安心したのを憶えています。
 おいしいお茶をご馳走になって、写真を撮っていただいた後、帰り際に「それでは、頑張って行ってきます!」とご挨拶したら、梶川神父様が少し真顔になって、「シスター、頑張っちゃダメだヨ。頑張ったら続かないヨ。お任せするんだヨ、神様に。」と言われました。「はい、それでは頑張りません!神様の御手におゆだねいたします。」「ウン、そう。それでいいんだヨ。」 今は亡き神父様のこのお言葉は倣慢な私の心を砕き、それから私はずっとこのお約束を守って来ました。あれからもう12年が経ちましたが、今もこのお言葉は私の心に響いております。宣教者はその土地で人々に受け入れられて、頑張りながらではなく、素直に、単純に、喜んで奉献生活を生きていくこと、私はこれしかしてまいりませんでしたし、これしかできません。
 毎年、『会』からの援助金が届くと、私は梶川神父様のお写真に向かって、「神父様ありがとう。また1年間天国から見守っていてくださいネ」と祈ります。小さな宣教者の私を育て、支えてくださった「支援する会」にどれほど感謝申し上げてよいか分かりません。どうぞこれからも多くの宣教者たちを励まし、支えてくださいますよう、『会』のいっそうのご発展をお祈りいたします。






『こうして支援する会は誕生した!』

運営委員 樋口百合子

 時は1982年9月1日(水)18:30〜21:00、場所は四谷の六番町、番町小学校の隣にあったカトリック中央協議会会議室。当時、司教団の国際協力委員会秘書であり、(財)日本カトリック移住協議会専務理事で、マリア会の梶川宏神父の呼びかけで集まったのが、「海外宣教者を支援する会(案)の設立を考える会」の初会合でした。お互いがはとんど知らない同士なので、梶川神父の司会でまず出席者の紹介と、今日までの経過報告を聞きました。
 発端は「世界に生きる(海外で働く宣教者よりの手紙)」が出版され、これを読んで精神的物的な援助など、何か手伝いたいとの申し出があったこと、さらに、以前から日本の教会として、宣教者の働きを知り、人々に伝える継続的グループがあったら、と望んでいて、理事長の石神忠真郎司教もそのような会の結成を呼びかけられていること、などでした。
 それに続く質疑応答では、「趣旨はよいが、今までは教会の援助活動は時間がかかり、なかなか進まないが、早く進めるにはどうしたらよいか」、「会の活動を広げるには司教会議の承認は得ているので、各教会の主任司祭、学校、団体にパンフレットで呼びかけ、カトリック新聞でのPRも必要ではないか」、「法的裏づけは、財団法人の日本カトリック移住協議会がバックアップするので問題はないと思う」等々、率直に話し合いました。
 そのあと、会の設立についての採決を行ない、全員の賛同をえて、会は誕生したのです。同時に、各部門の担当を決め、会長:服部比左治、広報関係:八巻信生、吉岡晋也、海外派遣者関係:大森茂、女子修道会関係:シスター斉藤、事務局:梶川 宏神父、高田佳子、吉岡道子、樋口百合子として、実務がスタートしました。
 早速9月21日には、かつらぎ会館ホールで、帰国した神父様、シスター方の話を聞く会を開きました。次いで10月18日の第2回の会合では、「設立趣意書」が成文化されて承認、11月29日には、広報誌rきずなJが創刊され、動き出しました。
 事務局は、梶川神父の指導のもと、全てが初めての素人たちが、手探りでのスタートでした。当時、移住協の事務局で梶川神父の秘書でもあった八幡とも子さんには、忙しい中、さまざまなことで助けていただきました。
 今、手元にある創立当時の手書きの議事録を見ながら、世界のさまざまな地域で現地の人々と共に生きる宣教者の皆さんと、多くの国内の会員、協力者、みんなのきずなが強く結ばれ、現在こんなに大きな集いに成長して25周年を迎えることができたことは、感慨ひとしおで、ただ、ただ感謝の気持ちでいっぱいです。






『宣教者を支援するということ』

〜ローシャイタ会長に聞く〜

  • 会の代表となられてから、これまでのこと

 1986年ごろだったと思いますが、この会の創立者、梶川 宏神父様の後をついで事務局長になりました。この会は当時、移住協議会の下部組織の一つとして発足したからです。その後2001年に司教協議会の公認団体として独立したのを機に会長となり、事務所も中央協議会から移転しました。活動そのものは独立後も変わりなく続いています。
 実は、私は若いときから海外宣教に大変興味を持っていたのです。ブラジルでは初めに教区の神学校に入っていたのですが、フランシスコ・ザビエルの伝記やさまざまな本を読んだりしているうちに、ますます海外宣教への思いが強くなり、司教様と何度も話し説明して、イエズス会の神学校に移りました。ですから、この会とかかわることになったとき、本当にうれしかったし、一生懸命やろうと思いました。


  • 海外宣教ということ

 宣教するということは決して個人の考えでするものでなく、イエス様が弟子を宣教のため派遣したことを、福音書の4人の記者が書いています。例えばマタイは「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼をさずけ、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。28章19、20」  マルコは「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受 けるものは救われるが、信じないものは滅びの宣告を受ける。16章15、16」というように。
 だからこの宣教の仕事はイエス様が望んでおられることで、私たちもしなければならないことです。最近出されたパパ様のメッセージ(世界宣教の日のための)も、すべての教会はすべての世界に行くように、というのがテーマです。私たちの活動もこの国だけという限定でなく、どこの国でも世界中の国へ、という考えが基本にあると思います。


  • 海外ではこの会の活動をどのように見ているのでしょうか

 私はいくつかの国に行きましたが、どこでもこの活動に関心を持っていて、よく助けてくださっていると、みんな喜んでいますし感謝されましたね。少ししか援助できなかったところでも、どうして全額援助してくれなかったのかというような不満を聞いたことは一つもなかった。ある所では、一人ぼっちで活動している人が、日本からの手紙や『きずな』が送られてくるのが待ち遠しい、日本からの情報はとても力になるといっていました。
 『きずな』によって自分の置かれた状態がわかり、意外に近くに連絡を取れる人がいたり、訪ねたりできることもありますね。苦しいときや落ち込んでいるときに、『きずな』が届くと、日本では自分のことを忘れてはいない、祈ってくれている人がいるということを実感でき、力がわいてくるという。そういう意味からも私たちが日本にいて、祈りながら援助をしていくということはとても意義があり、大切なことと思います。


  • これからの活動について

 これまでどおりの活動を続けていったらよいと思いますね。何か問題が出てきたら、そのときはみんなで考えたらいい。会としてできるだけの援助をするのが原則で、できないときは半分でも3分の1でも援助しましょう。最近は『きずな』などによって、宣教者がお互いの状況がわかるので、申請書にも“私たちよりもっと大変なところがあったら、そちらを優先させてください”と書いてあったりして、事務局の八幡さんは感動するといっています。十分でなくても、いただいた援助に満足して、あとは神様にお任せするという姿勢はすばらしい。
 それから、ここ何年かはもう、物品は送れないんですね。現地の宣教者の手に到達しないことが多いのです。でも現地では必要としているわけですから、今後、何かいい方法を考えなくてはなりません。
 また、運営委員会では、これまでと同じく現地からの申請書をきちんと読み取って、連絡を取り合って援助の検討をしていきたいと思います。現地では人々や教会との関係があり、場合によっては日本から援助があった、ということに意義のあることもあるようです。そういうことも考えて援助を決定していきたいです。
 国内の会員の皆様には、会費のことだけでなく、霊的な支え、つまり祈ることが大切です。いろいろ困難を抱えて会費を納入できなくなった人もいるでしょう。でも自分の苦しみを神様に捧げて祈ることはできると思います。どうかこれからも、この会のためにお祈りとご支援をお願い申し上げます。