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作者はキリストの死と復活を、一つの同じ動きの中に表現しようとしています。
両腕は勝利のVの字を描いています。曲げられた膝はあたかも天国に向かって自ら飛翔するために、イエスがその踵で地獄を蹴ったように思えます。
神の力である右腕は、すこし長めで、復活を表わしています。頭を傾けている左の腕は、少し短く、すべての人間が神の栄光に入るまでの神の痛みと苦しみを表わしています。
天に向けられたお顔は、いと高きところの真実を見つめるようにと、私たちに呼びかけています。(作者の言葉より)
十字架の前方やや上部にあるキリスト像は、キリストの死と復活をシンボリックに表現しています。
十字架の背後の石はタテに埋込まれ、天に昇られるキリストのイメージを生み出しています。
照明を受けた像はその影が十字架を支えているように見えます。ぜひご覧下さい。
両手を挙げて祈る像は、カタコンベなどに、すでに描かれており、とても古い題材です。
神の母の胎に位置するメダイは、その宿った方の神性で満ち、彼は、両手で、自ら創った被造物を祝福しています。
人差し指と中指は神性と人性、後の三本で、父・子・聖霊を表わしています。
乙女は仲介者、贖いの協力者として、私たちの願い、賛美などを両手をひろげて、父なる神と、子なる神に取次いでいます。
この聖像画は、一言で表わすなら、イザヤ書7-14と9-5〜6を、見える形にしたものです。(作者の言葉より)
それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる、 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。 |
イザヤ書 7-14 |
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。 権威が彼の肩にある。その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。 ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。 王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。 万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。 |
イザヤ書 9−5〜6 |
小佐野哲二作
個々の画像をクリックすると大きく見ることができます
第1留 イエス、死刑の宣告を 受ける |
第2留 イエス、十字架を担う |
第3留 イエス、はじめて倒れる |
第4留 イエス、聖母マリアに会う |
第5留 イエス、キレネのシモン の助けを受ける |
第6留 イエス、おん顔を、布に 写させる |
第7留 イエス、二度、倒れる |
第8留 イエス、エルサレムの 婦人たちを慰める |
第9留 イエス、三度、倒れる |
第10留 イエス、衣をはがれる |
第11留 イエス、十字架に釘づけ にされる |
第12留 イエス、十字架上で死去 される |
第13留 イエス、十字架よりおろ される |
第14留 イエス、墓に葬られる |
第15留 イエス、よみがえる |
15枚の作品に「十字架の道行き」が描かれています。これらは、5mm程の色目のそろったきれいな小さな石を敷きつめて、画像を描き出し、それをセメントで固めたものです。
「十字架の道行き」は福音書と言い伝えに基づいて、キリストが裁判に掛けられてから、十字架を担わされ、十字架に架けられ、復活されるまでを物語るものです。その一つ一つの前で黙想することによって、常にキリストの受難を心に呼び起こすのです。