2009年12月号 No.436 2009.12.19
1 | 神に触れられて |
晴佐久 昌英 神父 |
2 | 米国(?)雑感 | 高橋 英海 |
3 | 「信仰と光」のミサ | 加藤 幸子 |
神に触れられて
主任司祭 晴佐久 昌英
私は姉と弟の三人兄弟の真ん中ですが、実はその下に、生後80日で亡くなった弟がいました。私はすでに中学生でしたので、その誕生と死を良く覚えています。それはそれは小さくて、かわいくて、かわいそうな命でした。
かわいそうというのは、単に短い命だったからというだけではありません。この弟は、一度も母親に抱かれることがなかったのです。当時母は結核を患っていたため、母子感染を防ぐ必要があり、生まれてすぐに母親と引き離されてしまったからです。
結局、弟はわが家では育てることはできず、母が完治するまで近くの乳児院に預けることになりました。学校帰りに会いに行っては抱かせてもらったりして、早く大きくなれよという気持ちでしたが、ある日突然、亡くなったという連絡が来たのです。乳児にはよくある突然死だという説明でしたが、私は今でも心の奥ではこう思っているのです。「弟は、さみしくて死んだ」と。
今でこそ乳児の健康と成長にスキンシップが重要な役割を果たしていることは常識ですが、40年前の乳児院では、赤ん坊はミルクを与えて寝かせておけばいいという感じで、特に抱いたりあやしたりする様子ではありませんでした。数名の職員が忙しそうにしているばかりで、泣いてもすぐに対応してくれるわけではなく、泣き続けている赤ん坊もいたりしたのですが、そんなものかなと思っていたのです。
しかし赤ん坊にとって抱かれることや、あやされることは、自らの存在意義に関る大問題です。とりわけ、母親の優しい笑顔に見守られ、母親の暖かい声に語りかけられ、母親の柔らかな胸で眠ることは、人はまさにそのために生まれてきたというような重要なことであるはずであり、それが与えられないことこそが究極のストレスなのではないでしょうか。弟にとっては、きっとさみしい80日だったのではないかと思うと、もう少しなんとかできなかったものかと、今でも胸が痛みます。
母は入院先で息子の死を知りました。突然何かを告げに来た父の苦渋の表情を見ただけで、ああ、息子がだめだったんだと分かったそうです。その時の母の胸のうちを考えるといっそう心が痛みますが、思えばその母も今は天国にいるわけで、ようやくわが子を思い切り抱きしめていることでしょう。わが子に触れること、それは親という存在の究極の願いであり、母親に触れられること、それは子という存在の絶対の原点なのです。
神と人の関係も同じように、いや、人間の親子関係以上に、そのような究極の願いと絶対の原点で成立しています。神は人に触れたいし、人は神に触れられたい。神は人に触れるために人を生んだのだし、人は神に触れられて初めて生きるものとなり、自分自身になれる。神に触れてもらえないことは、人間にとって死を意味するのです。
だから、神は人に触れました。それが、クリスマスです。
イエスとは神の指先であり、イエスがこの世界内に誕生したということは、神がこの世界に触れたということに他なりません。神に触れられて、この世界は生きるものとなりました。この世界は、その根本の意味において死を克服したのです。人間はもはや「さみしくて死ぬ」ことはありません。神の手に触れられていることを信じるならば。
このたび、わたしの新刊書「福音宣言」が発刊されました。今までも何冊も本を出版してきましたが、今回の本には特別の思いがあります。それは、自分の信仰の原点を明確に示した、ある意味で信仰宣言のような内容だからです。
その原点とは、私は神というまことの親に語りかけられ、触れてもらった存在だという原点です。その喜びと安心の中で、私たちもまた誰かに神の愛を宣言し、苦しむ人々に触れようではないかと呼びかけています。いつかはそのようなことをきちんとまとめて書きたいと願っていたので、今回無事に発行されて、なんだかほっとしています。大げさでなく、遺書を書き上げたような気分です。教会ショップ「アンジェラ」で販売していますので、ぜひ手にとってごらんください。
この本が、神がイエスの誕生においてこの世界に直接触れてくださったという、比類なき愛の出来事クリスマスに連なるものとなりますように。
この本の誕生もまた、私にとってはクリスマスなのです。
米国(?)雑感
高橋 英海
今年の4月から9月まで、勤務先の大学からの出張という形で米国東海岸のイェール大学に滞在させていただきました。そもそもアメリカには興味はありませんし、基本的には自分のフラットとオフィスと図書館の三ヶ所を行き来して、半年間テレビも新聞もほとん
ど見ない生活をしていたので、あまりアメリカを見て来たとは言えませんが、さすがに半年いる間にあの国を多少は垣間見させてもらいました。ここでは、アメリカにいる間に印象に残ったことを、三つばかり、写真とともに紹介させていただきます。
―つ目の写真はニューヨークから。マリア様の両脇に漢字が書いてありますが、ニューヨークです。実はアメリカ滞在中にもっとも印象に残ったことの―つは中国の存在です。― これはほぼ毎日のようにオフィスのすぐ近くの中華料理屋にお世話になっていたせい
でもありますが。― アメリカのエリート校には中国からの留学生が数多くいます。アメリカの目も日本などよりはずっと中国の方を向いています。当たり前ですし、それでよいと思います。どう考えてもこれから世界の中で重要になるのは中国ですから。そして、ニ
ューヨークの中華街「チャイナタウン」は膨張中です。となりのイタリア人街「リトル・イタリー」を完全に飲み込みつつあります。リトル・イタリーの教会(たしか「御血」教会)に行ったときのことです。ナポリの聖人、聖ヤヌアリオ(ジェナロ)の像が安置され
た「イタリアン・ナショナル・シュライン」がある、リトル・イタリーの象徴的な教会です。中に入ってみると中国語の貼紙があり、聖堂でロザリオの祈りをしていたのは中国人のグループでした。― ただし、この写真はずるをしています。リトル・イタリーの教会では写真を撮りませんでした。このマリア様の像があったのはチャイナタウンの近くの別のカトリック教会です。(「主の変容」教会だったような気がします)。
二つ目は南部から。ノースカロライナ州ダーラムの聖十字架カトリック教会です。白黒の写真ではわかりにくいですが、黒人の教会です。オバマが大統領になろうと、米国というのは人種差別の国です。「白人」と「黒人」とでは生活圏が違います。滞在したイェール大学でも黒人の職員はいましたが、黒人の教員、学生には会いませんでした。住んでいる場所も違います。イェール大学のあるニューへイプンでも黒人の住んでいる地区の方が明らかに貧しく、犯罪率も高いです。そして、通う教会も違います。― この写真はミサ
が始まる前に撮ったものなのであまり人がいませんが、この後いっぱいになりました。黒人独特の香水の匂いと聖堂に響き渡った黒人聖歌が印象に残ります。
最後は実は米国ではありません。カナダです。モントリオールにいる友人を訪ねて、そこからケベック州の古都ケベック・シティーとサンタンヌ・ド・ボープレまで足を延ばしました。ケベックのよいところは英語圈ではなく、フランス語圈であることです。米国で
も様々な言語を耳にはしますが、歩いていて目に入るのは英語ばかりで、面白くありません。街にフランス語が書いてあった方がおしゃれに見えます。そして、フランス語圏ということはカトリック圈ということでもあります。モントリオールやケベック・シティーはそこいら中に(新大陸にしては)古いカトリック教会があります。基本的に観光というのは巡礼であると考えている(本当です)私にとってはうれしいかぎりです。モントリオールでは旧市街の聖母教会(バシリク・ノートルダム)から中央駅脇の聖母教会(カテドラ
ル・マリー・レーヌ・デュ・モンド、ローマのサンピエトロ聖堂の縮小版です)まで雨の中をずぷ濡れになりながら教会巡りをしました。と言いながら、カナダヘの旅行で印象に残ったのは、実はその雄大な自然であり、ケベック・シティー近郊のモンモランシーの滝
やケベック・シティーから見下ろす夕暮れのセント・ローレンス河であったりするのですが、これは『カトリック・ニューズ』なので、ここには北米随一の巡礼地サンタンヌ・ド・ボープレのバシリカの写真を掲載しておきます。
「信仰と光」のミサ
加藤 幸子
10月31日(土)「信仰と光」共同体のミサが晴佐久神父様の司式のもと多摩教会聖堂で行われました。
「信仰と光」をご存じない方もいらっしやると思いますので、少し説明させていただきます。
「信仰と光」はフランスの教会で、知的ハンディを持つ人と、その両親、友人たちが、ルルド巡礼のために、小さな共同体をつくったのが始まりです。共に祈り、祝い、分かち合う共同体は、その後各地に広がり、1971年の復活祭にルルドに集まったメンバーは12,000人にもなりました。
この巡礼で親たちは、自分の子供が平和と喜びの源になりうるという発見をし、ハンディをもつ人は自分が多<の人に喜びをもたらしていることを知り、かかわった友人たちは、してあげたことよりも彼らから多くのものを受け取っていることを悟ることができました。
その後、ラルシュ共同体の創設者として知られるジャン・バニエの呼びかけに応えて、これらの小さな共同体は、エキュメニカルな「信仰と光」共同体として、世界に広がっていきました。現在70ヵ国に1400余りの共同体があり、日本には関西と関東に10の共同体、東京では、浅草教会、多摩教会で活動しています。
さて、当日のミサには、近隣の共同体のメンバーなど40人ほどが集まりました。信仰と光のミサと言っても、通常のミサと特別な違いがあるわけではありません。特色と言えば、福音の朗読箇所を、寸劇のような形で味わうと言う点にあります。これは、言葉による理解が困難な人たちにとってだけではなく、ふだん聖書を文字で追っているわたし達にとっても、思いがけない気づきが与えられ、新鮮な福音体験となります。
今回のミサは、翌日の主日の福音箇所である、山上の垂訓の場面が選ばれました。Y君がイエス役、弟子にはNさん、残りは全員(神父様も)が群衆役です。
さて、群衆は様々な重荷を背負い、救いを求めてイエスのもとに集まります。悲しむ人、泣く人、病気の人達が、イエスの後に付き従って、ガリラヤ見立てた聖堂の中を歩きます。やがて、イエスは小さな山に登り、腰を下ろし口を開きます。
「さいわい、心の貧しい人……」
するとあらかじめ決められていた「心の貧しい人」役のMさんがイエスさまのところに呼ぱれ、祝福を受けます。イエス役のY君は、頭を下げたMさんの頭をゴシゴシとこすり、とびきりの祝福を与えます。
次は「悲しむ人」役のO君の頭をゴシゴシ。最後に「義のために迫害される人」がゴシゴシされると、残りの群衆達もひとり、ひとり、イエスさまから祝福を受け、神父様も恵みのゴシゴシを受けました。
この日のY君はイエスさまとして、皆のために一生懸命奉仕してくれましたが、皆Y君から大きなものをいただきました。
知的ハンディをもつ人たちは、ふだん人の助けを借りることが多いのですが「信仰と光」では、逆に彼らから、大切なものをいただく、という思いで集っています。
私自身も、彼らとの交わりを通して、余計なものを何も持たない彼らが、人々の間にある壁を取り除き、人の心を解放させる力を持っていることに気づかされてきました。彼らを通して、人と人が互いに神の似姿として受け入れ合うことの喜びを、学ばせてもらっています。
「信仰と光」はとても小さな存在ですが、この世にあって神の国の宴を垣間見ることのできる場のように感じています。とは言っても、毎回試行錯誤の中、バタバタやっていますが、新しい方との出会いが、皆、何よりの喜びです。
どうぞ一度顔を出してみてください。
毎月 第3土曜日14:00〜 信徒館1F.(8月はお休みです)