2010年7月号 No.443 2010.7.17
1 | あなたの居場所が、わたしの居場所 |
晴佐久 昌英 神父 |
2 | 分かち合い2 『主とともに』 | シスター 林 恵 |
3 | 初聖体の感想 | |
4 | 多摩教会信徒の皆様へのお願い | 広報部 |
5 | 教会へ車で来られる方にお願い | 多摩教会司牧評議会 |
あなたの居場所が、わたしの居場所
主任司祭 晴佐久 昌英神父
辞書で「居場所」と引いても、たった一行「いるところ。いどころ」としか書いてありません。意味を説明すればそうなんでしょうが、実際にこの言葉を使っているわたしたちの実感としては、「居場所」は、単なる「いるところ」というだけではありません。もっと本質的でかけがえのない、人が生きていく上で欠かすことの出来ない特別な場所です。
そこに自分がいていいところ。
そこに自分がいてほしいと願われているところ。
そこに自分がいることが自分の喜びでありみんなの喜びであるところ。
手元の辞書では、居場所の用例としてひとつだけ「居場所がない」が載っていますが、もしも居場所がそのように他者から受け入れられるところであるならば、居場所がないということは絶望的に悲しい状況だということになります。それは、だれからもいてほしいと願われていないということになるのですから。
東京教区の司祭の黙想会に参加してきました。「年の黙想」と呼ばれるもので、毎年約一週間行われるものです。今年の講師は、さいたま教区の岡神父様でした。岡神父様は、長年にわたり非行少年の世話をしてきた方で、現在も自分の教会にさまざまな問題を抱えた青年たちを住まわせ、彼らの更生に力を注いでいます。黙想会の講話の大半は、その青年たち本人が語る体験談で、毎日さまざまな青年たちが講師となって熱心に話してくれました。
暴力団の家に生まれ、中学時代から暴力に明け暮れ、刑務所で8年間刑期を過ごして、出所後教会の友達を知り、回心して洗礼を受けた青年の話。
非行に走り、少年院に送られる寸前に岡神父のところに預けられ、マザーテレサの所を始め数々の海外ボランティア体験によって立ち直った青年の話。
薬物に手を染めて薬物依存症となり、入退院を繰り返した末に、薬物依存症当事者の自助グループ「ダルク」と出会って、そこの仲間に救われた青年の話、などなど。
彼らの話を聞いていて、ある共通点に気がつきました。
彼らはもともと、とてもいい青年です。それこそ、神さまから尊い恵みをたくさん頂いて生まれてきたすばらしい神の子です。しかしその恵みは、悪い家庭環境や困難な社会環境、不運な偶発的環境によって閉じ込められています。ところが、ひとたび教会の友達や、ボランティアグループ、自助グループの仲間などの「良い環境」を与えるならば、それこそイエスのたとえ話にある「良い土地に落ちた種」のように、もとより備わっていた恵みが息を吹き返し、百倍の実を結ぶ。その良い環境のことを、彼らは口を揃えておおよそこんなふうに表現するのです。
「あの仲間たちに出会えなかったら、今の自分はありません。それまで自分はみんなに嫌われ、だれからも愛されていないと思っていたけれど、彼らはこんなわたしを忍耐強く受け入れてくれました。彼らこそが、ついに見つけた自分の居場所でした。」
今の若者たちは共通して「自分の居場所がない」という実感を持っています。ネットカフェ難民などはその象徴でしょう。でもそれは、大人も高齢者も同じかもしれません。家庭にも学校にも、職場にも社会にも、どこにも自分がいていい場所がない。現代社会は、居場所を失った放浪者たちの漂流社会と化しているのです。
荒れ野のオアシスである教会は、まさに居場所を持てなかった、あるいは失った人たちの居場所であるべきです。居場所がないのは本人のせいではありません。なぜなら、他者から受け入れられる居場所を自分で作り出すことは出来ないからです。そんなこの世界にイエスが作り出してくださった究極の居場所こそが、教会なのです。
そもそも、ペトロもパウロも、フランシスコもマザーテレサも、みんなイエスに招かれ、イエスに受け入れられて初めて自らの居場所を見つけた人たちでした。だからこそ彼らは、自らもまたイエスのようにみんなの居場所になっていったのです。わたしたちも教会という真の居場所を見つけることのできた恵まれた者として、多摩教会をみんなの居場所としていかなければなりません。
みんなの居場所にするためには、自分にとって居心地がいい場所である以前に、どうしたらみんなにとって居心地のいい場所になるかを考えなくてはなりません。みんなが何を求めているかを知り、自分の時間と場所を削らなくてはなりません。でもそんな犠牲こそが、自分を生かすことにもなり、本当の喜びを味わわせてくれることになるのです。実は、だれかの居場所となれたときこそ、そこが自分にとっての真の居場所になるからです。
「わたしの居場所はあなたの居場所」であり、「あなたの居場所がわたしの居場所」なのです。
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第5回
《分かち合い(その2)−『主とともに』》
シスター 林 恵
話は福音宣教から離れてしまいましたね。私たち2人を神様がこの1週間どのように用いられたかのお話を始めましょう。
神様は早速、私たちを部落中の人々を主の食卓に招くために遣わされました。そう、聖なる3日間の典礼に呼び集めるためでした。私たちは汗吹きタオルを1枚首にかけ、カテキスタのマリアさんの娘マガリさんの道案内で部落の隅から隅まで歩きました。一軒一軒、戸を叩いて挨拶をし、「聖なる3日間の典礼が行われます。聖木曜日には神父様がいらしてミサが捧げられます。どうぞいらしてください。」と言いながら、家庭訪問をしました。部落の一番奥の家まで、約1時間半はかかりました。その家は放牧をしていて門から家屋まで15分ほど牛の居住地を通らなければなりませんでした。「子牛を連れている母牛には気をつけてね。子供を守るためにとっても過敏になっているから。」と言われ、注意深く歩きました。もともと虫と動物には好かれやすいので、あまり怖くはありませんでしたが、人間の方が牛の居住地に入り「失礼します。」と言いながら静かに通ったことは初めてでしたから、不思議な気持ちでした。人間界では人間様がデカイ顔をして威張っているけれど、ここでは牛の方が『我が天下』のような顔をして、こちらを向いていました。ただ違うのは、牛は無意味に人間を襲うことが無いということです。実は人間が一番残酷なことをしているのではないか、とその時ふと思いました。
家屋にはおばあちゃんと5歳の男の子がいました。お父さんは裏山に仕事に出かけていました。相棒のマリアンナさんとマガリさんは、おばあちゃんと何やら話していました。私が男の子に話しかけると次から次に自分のおもちゃを見せ始めました。彼にとって大切その宝物はとても質素で、日本で捨てられているおもちゃの方が立派なくらいのものです。おもちゃを使って遊んでいるうちに打ち解けてきたのか、彼はおしゃべりをするようになっていました。それを見たおばあちゃんは不思議そうにして言いました。「この子のお母さんが家出してから、今迄こんなに楽しそうに話しているのを見た事が無い」と。マガリさんはお母さんを知っていたようでした。まだ若かったようで、こんな田舎では暮らしていけないとこの部落を出て行ったそうです。映画『マルセリーノとパンと葡萄酒』の主人公の瞳にそっくりな彼の眼を見ていると、主がいつかお母さんと合わせてくれるだろう、と思いました。
ある日の帰り道、通り雨に会いました。木の下で雨宿りをしていると、それを見ていた近くのおばさんが家に招いてくれました。中に通されるとそこには2家族が一緒になって住んでいました。お母さん同志は姉妹でした。話を聞くと、ご主人たちはアメリカに出稼ぎに行って7年ぐらいになり、仕送りをしてもらうお金で子供たちは勉強をしていました。その部落では3分の1ほどの男の人たちが、アメリカに出稼ぎに行っていました。それも正当な経路ではなく、陸続き経由の裏道案内人の組織を伝(つ)手(て)に命懸けで行くのだそうです。あるひとは、出かけた切り音信不通になっていると言いました。こんなにしてまで、家族のために職探しをするのかと頭が下がる思いでした。雨が降っている間、米粉で作ったパン菓子をごちそうになりました。ここでは、聖木曜日に家族が集まってパン菓子をたべる習慣があるとのことでした。早く家族みんなで食べられる日が来るといいなと願いながらその家を後にしました。
聖木曜日、午後4時ごろから子供たちが集まってきました。マリアンナさんが青年たちと、子供たちのカテケイシスを始めました。その間、私は大人の人々に話しかけて、12人の弟子になる人を募っていました。洗足式の準備です。それがなかなか首を縦には振ってくれませんでした。口をそろえてこう言い訳をするのです「私は罪人ですから、そのような者に値しません」と。その時私もそう思い、心が曇ってきました。「私も罪人。だけど…主の招きに応え、その恵みに感謝して生きることが大事なんだ。だからこうして主が遣わされる」。思い直して、弟子集めはカテキスタのマリアさんに頼み、ミサの準備に取り掛かりました。そうこうしているうちに、部落の人々が集まってきました。ほとんど顔見知りの人たちです。私は嬉しくなりました。こうして主の招きに応えて集まってくれることが、こんなに喜ばしいことだとは思いませんでした。神父様も2人の侍者を連れて到着し、聖木曜日の典礼は荘厳、かつ清貧のうちに行われました。聖体拝領の前にベッドの横の安置しておいたご聖体の入ったチボリウムを聖堂内に持って行きながら、家庭訪問をした各家族を思い出し、それぞれの心配事、問題などをすべて主に委ねて祈りを捧げました。
聖金曜日の典礼は、午後3時から部落にある小・中学校が出発地点となって十字架の道行が行われました。そこから聖堂までの道中に祭壇が13箇所作られていました。なんて素敵なんでしょう。その祭壇はそれぞれに工夫が凝らしてあり、また野草できれいに飾られていました。曇り空の下、昨夜と変わらないぐらいの人数の人々が集まってきました。男の人たちは交代で木の十字架を担って歩きました。その敬虔さに胸を打たれ、また、途中水分補給をしながら歩くその普通さに笑みがこぼれました。3時間の道のりでしたから、主の渇きを共にしていたことでしょう。聖堂に近づくと子供たちは、一足早く走っていき聖堂で行列の到着を待っていました。みことばの祭儀の時は、子供たちはもう安らかに寝ていました。
聖土曜日の典礼は夜の7時から始まりました。午前中はマリアさんの家で、夜のためのごちそう作りをしました。普段は乾燥したトウモロコシで作る主食のトルティーヤを、ご復活の時だけ採り立てのトウモロコシを使って作ります。出来上がりは乾燥したものより白く、とても美味でした。それとトウモロコシ粉を練って味付けしたものと鶏肉をバナナの葉で包んで蒸す、タマーレスという食べ物を作りました。夕食作りも終わり、聖堂に行って夜の典礼の準備をしました。「今夜で最後」。そう思うとこの1週間が長かったような短かったような…、たくさんの思い出がよみがえりました。アリの大群に足をかまれたこと。おやつをもらった時先客でそれにくっついていたアリに唇をかまれたこと。野生のフクロウを見て興奮したことや、怒らせると胸を“ドッ!ドッ!”とならせる七面鳥をわざと怒らせて楽しんだことなど。またそれとは別に、多くの人々との関わりの中で、その苦しみや悲しみ、喜びと希望に触れたこと。この人たちは本当の神様を知っているかも?と思いました。
夜は昨日より少なめの人数でしたが、子供や青年たちが多く集まっていました。復活徹夜際の典礼はみことばの祭儀でしたが、皆で心を合わせて神様のみことばに耳を傾けました。夜空の光る星空の下でローソクに火を灯し入堂した光景は、神様からの恵みに包まれた出来事でした。「私はあなた方を愛している」。このことばがこだましているような夜でした。
復活の主日、私たちは1週間の宣教を終え、再び村に呼び集められました。主の復活を村の中心の教会で行うためでした。朝の6時頃お迎えが来ました。特にお世話になったホルヘさんの家族、マリアさんの家族には深くお礼を言い感謝しました。そして、この部落の人々の信仰生活の助けを続けて下さるようお願いしました。そして、私のベッドの横に安置されていたご聖体をもって出ました。教会の聖櫃に安置するためです。バスに乗り、その部落を出るとき、知らずに涙が出始めました。とめどもなく流れる涙は何なのか…。それは、この敬虔な人々のもとから離れていく、ご聖体の中に現存される主のお悲しみのようでした。「共にいたい」という思いがチボリウムを抱えていた両腕から胸へ伝わって来たのでした。
「恐れるな。私はあなたと共にいる。」このメッセージを胸に、現代社会の荒れ地の中でさまよう兄弟姉妹を、主の食卓に招きましょう。「ここに来たらもう安心」(晴佐久神父様のことば)荒れ地で泉(オアシス)を見つけた人が、その生命を取り戻せるように。きっとあなたも、今日、神様からそう遣わされていますよ。
初聖体を受けて 小池 咲希佳
初聖体をうけて、うれしかったことは、神様と近くになったことや、今までの悪いことを許されて、心がすっきりしたことです。
ご聖体は、味があんまりしませんでしたが、神様が心と体の中に入ると思うとうれしくなりました。初聖体の後は「おめでとう」と言われたのでうれしかったです。初聖体をうけて、神様とはなれず生活していきたいと思っています。
また、私は初聖体がいつまでもわすれられないくらい楽しくて、うれしさであふれていたので、いつまでもわすれられない思い出にしていきたいです。
初聖体の感想 梅原 望美
私はご聖体をいただいた時、『私の心の中にイエス様の体が入った』と思い、感しゃしました。今までうらやましかったので、すごくうれしかったです。パンはすぐにとけてしまいました。
これからもご聖体をただけるよう、いい事をする人、人に仕える人になりたいです。
初聖体を受けて たかはし みか
あじがしないから、ぶどうしゅにつけてたべたかった。
初聖体を受けて とりい るか
「しき」ながかった。! 食べたかった!
ちょっと あじしなかった。!
多摩教会信徒の皆様へのお願い
当教会では毎月ニューズを発行し、主任司祭の巻頭言や司牧評議会の議事、教会の行事、活動、信徒の皆様の動静などを掲載しております。このニューズの内容をさらに充実させるために、皆様のご協力を切にお願いします。司牧評議会で検討されていることへのご意見、感想、随想、そして福音宣教についての経験や問題提起など、どんな形でも結構ですので、文章、またはメモにして正副委員長、広報部メンバー、あるいは地区委員にお渡しください。
また、このニューズの編集スタッフを求めています。編集、印刷、編纂の作業のための人手不足で困っています。特に最近は発行部数が550部となっているため、相当な労力も必要です。毎月の後半の土曜日の午前中を中心にこれらの作業を行っています。定期的でなくても、都合のつく日時だけでも結構ですので、よろしくお願いします。詳細を承知されたい方は正副委員長、広報部メンバー(松原 睦、加藤 泰彦、井上 信一)などに申し出てください。 (広報部)
教会へ車で来られる方にお願い
最近、主日・祝日のミサの際に駐車場が相当混雑するようになり、ご不便をおかけしております。そこで、教会へは、出来るかぎり公共の交通機関をご利用いただくよう工夫をお願いいたします。また、教会周辺の路上駐車は近隣の住民に多大の迷惑をおかけすることとなりますので、絶対になさらないよう特にお願いいたします。
多摩教会司牧評議会