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2011年7月号 No.456  2011.8.21

充 満 観 晴佐久 昌英 神父
遠藤さんを偲ぶ 竹内 秀弥
遠藤さんと自分 塚本 博幸
2011年・夏の合宿の感想文
教会学校の合宿に参加して 豊嶋 太一

                          充 満 観 
                      主任司祭 晴佐久 昌英 神父

 8月初めに塩釜を2ヶ月ぶりに再訪してきました。
塩釜教会のベースは相変わらず元気一杯で、夏休みということもあって東京から学生たちがボランティアに駆けつけていました。ちょうど着いたばかりの学生たちとおしゃべりしていてつくづくと思ったのですが、ボランティアに来る人ってみんな本当にいい顔をしています。目に、光がある。被災した暗い現場が必要としているのは、まさにそんな光なのでしょう。信者ではない学生たちでしたので、ボランティアの原点はキリストの教えと生き方にある、東京に戻ったらぜひ多摩教会を訪ねてほしいとお誘いしました。
 前回お世話になり、共にミサを捧げた信者さんたちとも再会して、多摩教会からの義援金を直接お渡ししたら本当に喜んで、とても助かります、と言ってくださいました。それにしても、教会をボランティアベースとして提供し続けるのは大変でしょうねと言うと、「最近では、自分の教会なのに、すいません、お邪魔しまーすって感じで入るんですよ」と笑っていました。そんな謙遜と忍耐のエピソードを聞くと、これからもますます応援したくなりました。
 七ヶ浜も再訪しましたが、壊滅的な光景は相変わらずでした。それなりに以前よりは瓦礫の片付き始めているところもありましたが、まだまだ手付かずのように見えるところもあります。同行した青年が、「インターネットのユーチューブで見るのと、ナマで見るのとは全然違う」とつぶやきながら、流された家の跡にポツリと残された炊飯器をじっと見つめていたのが印象的でした
確かにナマの現場に立つと、そこでしか感じられないある独特の気配というものがあります。ひとことで言ってしまうとやはり虚無感とか喪失感ということになるのでしょうが、そういう言葉だけではすくい取れない、あまりにも空っぽな気配です。石巻でも釜石でも、南三陸でも宮古でも田老でも、その気配は共通していました。
あえて具体的なことを言うならば、なにしろまず、とても静かです。本来ならば街が賑わい、車が行き交い、船が出入りして威勢のいい掛け声が響くはずのところが、不気味な静けさに包まれているのです。聞こえる音といえば瓦礫を片付ける重機の鈍い音と、海鳥の声。何かが風にはためいてハタハタと鳴っていると思ったら、いまだに樹上に引っ掛かっている白いシャツ。なるほど、「無常観」というのはまさしくこのような現実の中からつむぎだされた言葉なのでしょう。
日本人の特徴のひとつと言われているこの無常観は、あまりにも激甚な災害や理不尽な災難から弱い心を守るために、長い年月の中で培われてきたある種の防御反応かもしれません。事実、耐えられない現実を前にして「仕方がない」というあきらめの境地になる以外には、人は生きていくことができないようにも思えます。その意味では、無常観がひとつの救いの道であることは確かです。
 しかし、それに関して、キリスト教はさらなる明確な救いの道を主張しています。あえて造語するならば、「充満観」とでもいうべき信仰の感覚です。要するに、キリストにおいて全存在は神の恵みに満たされており、信じるものはなにひとつ欠けていないという信仰の世界観です。聖書においては、ギリシャ語の「プレローマ(満ち満ちているもの)」がこれにあたります。
「時は満ち、神の国は近づいた」(マルコ1・15)
「わたしたちは皆、キリストの満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、さらに恵みを受けた」(ヨハネ1・16)
「こうして、時が満ちるに及んで救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます」(エフェソ1・10)
 これらの「満ちる」・「満ちあふれる」が、プレローマです。
 キリスト教は、イエス・キリストにおいてこの世界は満たされたと信じます。逆に言えば、キリストにおいて満たされない限り、この世界は欠けた世界なのです。この世においてどれほど富んでいても、それは本質的には欠けた存在であり、逆にすべてを失っても、キリストに満たされているならばなにひとつ欠けていない。
 この天地はすべて、過ぎ去ります。その意味で言うならば無常です。しかし、天地の創造主の愛と、キリストの言葉は決して過ぎ去りません。それを信じるならばわたしたちは充満しています。
 イエスの死後、すべてを失って絶望していた弟子たちに、復活の主が現れて言います。「あなたたちに平和があるように」。この「平和」こそは、何一つ欠けたところのない神の充満です。イエスは弟子たちに、「だいじょうぶだ、あなたたちはなにひとつ失っていない、わたしがいる」と宣言しているのです。
 打ちひしがれている被災地に、地の復興とともに、主の復活をもたらしましょう。究極的にはそれが何よりの支援となるのではないでしょうか。
「あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる(プレローマ)豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように」(エフェソ3・18−19)
                遠藤さんを偲ぶ
                               竹内 秀弥

 遠藤さんと特に親しくさせていただいたのは、同郷のよしみだったことが一番の理由だと思う。山形県・米沢生まれの我々は、典型的な東北人気質で、無口で愛想がわるく、それでもお人よしと言う性格だ。しかし、自分の方は社会人になると商人の道に進んだせいか、彼とは正反対のどちらかと言えば、多弁で愛想が良く、性格も幾分ひねくれていたかも知れない。そんなことで、60になって多摩教会で彼に挨拶したとき、彼の第一印象は、なんて愛想のない、扱いにくい人だなと感じたことを思いだす。
人間 遠藤和輔を語るとき、エピソードや出来ごとなどは数限りなく思い出されるが、ここではやはり一般信徒として、並はずれた深い信仰の持ち主であるキリスト者としての一端を、紹介させて戴きたい。
 
○ 多摩教会を中心に企画された大聖年のイタリア・フランス巡礼に参加した我々は、日程の4日目、ローマのホテルを出発するとき、ロビーで芸術的と思われるような手口で、2人組の怪しげな女性に司祭の祭服などの入ったリュックが持ち去られた。幸い被害は最小限で済んだが、いっしょに入っていたミサ典礼書も無くなり、神父様がたいへん困って居られたとき、日ごろ無口な彼が走行中のバスの後部座席から、大声で「私が自分のものを持っています」、「全部載っているやつです」と叫び、全員で歓声と拍手。これで多摩教会の助祭が決定とは無責任な外野の声。彼は日ごろから携帯用の典礼書を肌身離さず持参していた。
○ 2002年の復活徹夜祭で、わたしの妻は遅ればせながら、洗礼の恵みを戴いた。翌日、彼から私にはたいへん使い古した、そして妻には真新しい「教会の祈り」を記念としてプレゼントされた。1年後彼から「あの祈りやってる?」とたずねられ、まったくやっていなかったので、曖昧にごまかすと真剣な表情で叱られ、それ以降は2人で朝晩祈っております。
○ 3年前の聖木曜日の典礼の後、安置された聖体の前で、各自しばらく祈ることが勧められているが、多くの方は短い時間の祈りでその場を離れ、祈っているのは彼独りになってしまった。そのとき彼はたしかに涙していた。
 (神父様が発見)
○ 教皇ベネディクト16世は、「パウロ年」の次の1年間を、「司祭年」と定められ、特に司祭のために祈るように導かれた。そのタイミングで聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネ司祭が、司祭の中の司祭として述べ伝えられたが、この一連の行事よりかなり以前から、彼は戸塚文卿師著「農村の聖者・ヴィアンネ伝」を我々に是非読むように勧められたが、その本があまりにも古くてトジが切れそうで嫌な顔をすると、友人に依頼してCDにして希望者に配られた。 紙面に限りがあり、今回はこれまでにしたい。聖ヴィアンネが言われたことで一番好きなことばと彼は言った。「祈れば祈るほど、また祈りたくなるものである」と。


               遠藤さんと自分
                               塚本 博幸
                                                                                          
去る8月6日に遠藤さんの葬儀ミサが厳かにとり行われた。自分は小さい頃からお世話になっていたが、よくよく考えてみると自分と遠藤さんの出会いはいつだったのか、正直覚えていない。きっと物心つく前からお世話になっていたのであろう。小学生になった頃には教会の「ボス」といえば遠藤さん、というくらい強烈な印象が残っている。
何よりも遠藤さんの人となりが強烈であった。「侍者」という奉仕に対して誰にも負けない情熱とプライドを持っていた。そのため、小学生なので中途半端な気持ちで祭壇にあがっていた自分はよく怒られていた。手をしっかり合わせろ、よそ見をするな、だるそうな顔をするな、よりかかるな、などなど…あげていったらきりがない。今週のニューズが遠藤さんのお説教で埋まってしまう。
しかし、これはすべて自分への愛があってこその教育であったのだ、と大きくなっていくにつれてわかった。信徒の代表として神父様に奉仕し、ミサに参加するということがいかなるものであるか、またその行為がいかに大切であるか、ということを遠藤さんは自分に教えてくれた。
そんな遠藤さんも今や神様の御許である。十分な孝行はできなかったかもしれないが、これから遠藤さんの遺志を自分たちが引き継いで、祭壇に奉仕する者としてのプライドと謙遜を忘れずに頑張っていきたい。さもないと天国から遠藤さんにおこられてしまいそうだ。

              2011年・夏の合宿の感想文

5さい やまのうち かのん

おんせんがたのしかった。ゲームもたのしかった。
  

5さい ちぇ せりん
 おんせん。
    
6さい たかやま かりん
JAXAにいきました。ロケットのまえでみんなでしゃしんをとりました。それからくじびきであたって、つきのアリスティリスクレーターのしゃしんを1まいもらいました。そのあとコンピューターで、はやぶさをいとかわまでスタートからゴールまでもっていくげーむをしました。それでごーるまでもっていったから、ろけっととかにつかわれてる、なんかぴらぴらのかみをもらいました。


1ねん てしま ゆうた

 (2011ねん7がつ30にち)
 ばーべきゅーでつまみぐいすることがたのしかったです。
 おんせんでみずぶろにはいることがたのしかったです。


1ねん こいけ ともや

 おんせん。


1ねん ふくづか よう

よるねたこと。
 せりんちゃんとねたから、たのしかった。


2年 い よんじぇ

夏のがっしゅくでおふろに行きました。ことしのふろはごくらくゆでした。きょねんもごくらくゆでした。ごくらくゆで水ぶろに500びょうはいりました!ルカちゃんもいっしょにやりました。たのしかったです。
 つぎにたき火をやりました。あつかったです。ジェスチャーゲームをやりました。おもしろかったです。
 ねるときいっぱいはなしました。すごくたのしかったです。
 つぎのひすいかわりをしました。わたしはさんかしなかったけどルカちゃんとモモカちゃんがすごかったです。三色丼もたべました。すごくおいしかったです。


2ねん 崔 世羅

 ごくらくゆにいきました。そしてからだをあらってから、おゆにはいりました。それでつめたい水にもはいりました。たのしかったです。あといったりきたりしました。


3年 高橋 美香

 JAXAで第4会場のじっけんのゴムボールを−196℃水につけて水の外にだして下におとしたらわれたのがすごかった。
 ゲームのジェスチャーゲームがおもしろかった。


3年 高山 真尚

○僕は、JAXAに行って、1番心にのこったことは、はやぶさのもけいと、うすいビニールでできている気球です。はやぶさのもけいは、じつぶつと同じ大きさで、僕のよ想よりかなり大きかったです。
○僕は、ねる時にみんながねてもさくらい君といっしょに本を11:27分まで読んでいました。その後、さくらい君といっしょにねました。


3年 鳥井 瑠伽

 ねたこと。
        


4年 櫻井 匡寛

 ぼくは、教会の夏がっしゅくにいきました。一番楽しかったことは、JAXA(じゃくさ)に行ったことです。いっしょにいった人は、まさなおと、もえきと、ピラクです。ぼくたちは、パンフレットをあつめました。そして、しりょうがいっぱいあつまりました。とても楽しかったです。
 2番目は、おんせんにいったことです。おんせんでは、よしゆきくんといっしょにはいりました。ぼくは、あつゆがすきでした。
 たきびも楽しかったです。火ばながぼくのあしにあたってしまったからあつかったです。この夏がっしゅくとってもたのしかったです。


5年 郷原 百花

 2011年7月30日(土)
 教会学校の合宿では、まず「JAXA」に行きました。テントの下でおべんとうを食べてから、車の号車ごとに行動しました。わたしは、小池咲希佳さんと、小池智陽君と高橋美香さんと一緒につか本さんの車に乗っていきました。
まず、第一会場に行きました。第一会場では、「はやぶさ」を見ました。次に外に出て、スタンプラリーのスタンプを一つおしました。第二会場は階だんがあってつかれました。スタンプをおすと、第三会場に行きました。第三会場では、オーロラをはい景に写真をとりました。次に第四会場に行くと、実験をしていました。−196℃のところに、花やふうせん、ゴムボール、電池を入れるという実験で、ゴムボールを−196℃のところに入れて落とすと、われたということにビックリしました。第四会場のスタンプはよくわからない場所にあって見つけにくかったです。第五会場は大きなビニールの風せんを作っていましたが、こんでいたのでやめました。さいごのスタンプをおして第一会場の前でけい品のパズルとシールと交かんしました。
第二会場で、かさぶくろのロケットを作ったらよくとんだのでうれしかったです。二日目にはつぶれていたので悲しかったです。
また行きたいです。


5年 小池 咲希佳

 今回の合宿では、JAXAにいったり、バーベキューをやって、ごくらく湯にいって、たきびをして、おにぎりを自分でにぎって、あさごはんにたべたり、自分でバンダナをつくって、じしゃのれんしゅうと、ミサをやって、ゲームを計3回やって、すいかわりをしました。よるねたときは、友達としりとりや、かいだんばなしや、あそんで私は12時にねました。ゲームはでんごんゲームでさいしょの人にもんだいがだされて、それをまわしてさいごの人がもんだいの答えをいうというゲームとジェスチャーゲームで、
私に出されたお題が「かをころそうとしている人」でした。もう一つは公園でおにごっこをしている子どもをかいて、みんな十人十色とおしえてくれました。おもしろかったです。
 JAXAでは、うちゅうの温度(−270°)くらいの−196°のさむさだと物はどうなるかとじっけんをしていて、花だとパリパリになってゴムボールだと、おとすとわれて、ふうせんだとしぼんで、さむさからだすと元にもどって、びっくりしました。月や星の写真をもらったりしました。スタンプラリーもあったので、たのしかったです。あとオーロラをうつしてくれて、そのオーロラといっしょに記念さつえいをとれるところがあって、そこで友達とオーロラでとりました。
 他にも、火せいやわくせい、オーロラでも青や赤などの色があって計12このうち1こえらべました。たのしい合宿でした。来年の合宿が楽しみです!


6年 黒田 渓日

 今年の合宿のテーマは「聞く」でした。この2日間で、私はいろんな声や音や話や言葉をききました。JAXAでは分光器をつくった所のお兄さんが、「地球があるからこそ、わたしたちはこの世に存在しているんだよ。」と教えて下さいました。宇宙には、たくさんの不思議がつまっているということが実感できて良かったです。
 それから、神父さまのお説教では、「いつも耳をすませて、神さまのことばをききましょう。」とおっしゃっていました。
 そしてバーベQやスイカ割りもして、指示をだして下さる豊嶋さんやピラフの言うことをみんなよくきいていたと思いました。
 私もミサで先唱をして、声をきいてもらいました。「聞く」「聴く」ことは大切だと思います。
充実した2日間でした。


             教会学校の合宿に参加して
                               豊嶋 太一
                                   
今年の教会学校の小学生の夏期合宿は、7月29日(金)から30日(土)に教会で行われました。参加者は、幼児5名と小学生15名と中学生3名と高校生1名(去年に続いて神戸から山川開君がお手伝い)と20名近くの大人がリーダーやお手伝いとして協力してくれました。
29日は天候不順で当初予定のあいかわ公園(宮ヶ瀬ダム隣接) を雨プログラムのJAXA(宇宙航空研究開発機構)相模原の特別公開の見学に変更しました。特別公開はちょうど合宿と同じ日程で、今年の来場者数は29日が6024人、30日が7029人でした。1号車から6号車までの6台に分乗して現地入りし、見学も1号車〜6号車の班別行動をし、迷子出ず無事に見学出来ました。子供が参加出来る色々な展示、工作があり、なかなか楽しめましたが、節電モードで蒸し暑い中ちょっとバテ気味でした。
JAXAからの帰りに5号車のバッテリーが上がるというトラブルがありましたが、6号車がレスキューして無事16時に皆教会に戻りました。
 夕食のバーベキューを準備中、揚げたてのフライドポテトを配ると、一斉につまみ食いが始まり、2kgのポテトがあっという間になくなりました。バーベキュー中は日が照って無事BBQが出来ましたが、だんだん空が暗くなり、片付け終わると雷雨になりました。今度は雷雨のなか、極楽湯へ向かい、教会に20時過ぎに戻って来ました。
次はキャンプファイヤーと言いたいところですが、ちょっと抑えて焚き火にして、皆で火を囲いました。今回の合宿のテーマは「聞く」です。中高生会の岩崎莉乃さんと同じ学校のお友達の北川美帆がボランティアで参加することを1ヶ月前から聞いていましたので、テーマにあったゲームをお願いしていました。焚き火の前でジェスチャーゲームに盛り上がり、ゲーム後に梨乃さん・美帆さんから「聞く」に対するメッセージを伝えてもらいました。
ゲーム後は晴佐久神父様から焚き火を前に子供たちに、大人たちにたくさん語りかけてもらいました。男の子たちが一番はしゃいだのは、焚き火後の火遊びだったようですが、幸いオネショの子はいませんでした。
30日の朝食は、自分で自分のおにぎりを握りました。さっそく8時からバンダナ作り、8時45分からは夏合宿のしおりの宿題(こじかを読んで回答)、9時30分から11時30分まで侍者練習とハードスケジュールをこなしました。
バンダナ作りでは多摩教会のマークのついたバンダナに思い思いの絵を入れ、出来たバンダナを巻きました。こじかの宿題は皆ちゃんとやって来て皆満点でした。侍者練習では、既に侍者奉仕経験のある子、練習したことだけある子、初めて聞く子とそれぞれにレベルアップしたと思います。
8時からずっと授業状態で少し疲れて時々注意も受けましたが、皆がんばりました。練習の成果はさっそく、練習後のミサ、31日の子どものミサで発揮されました。また、ミサの説教ではテーマの「聞く」を何度も語りかけてもらいました。
ミサ後、スイカ割り、昼食、そして感想文作成をしました。そして、2日間、怪我や病気になる子もでず、神さまのお恵みの元、そして、合宿運営を裏から支えてくれた方々のお陰で、無事に合宿を終えることが出来ました。感謝致します。
実は、2年連続雨プログラム。来年の合宿は晴れますように!



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