2011年10月号 No.45 2011.10.15
1 | ようこそ、多摩教会へ |
晴佐久 昌英 神父 |
2 | がんばろう!相馬市 ありがとう!相馬市 | 井関 起久子 |
3 | 連載コラム「スローガンの実現に向かって」第16回《オアシス“雑感”》 | 萩原 スミ子 |
4 | ワールドユースデー(WYD)を振り返りたいと思います。 | 冨田 聡 |
ようこそ、多摩教会へ
主任司祭 晴佐久 昌英神父
神父になってから、講演というものを頼まれるようになりなりました。自分が講演をするなど、それこそ想定外のことだったので戸惑うことも多く、もともと人前で話すのが苦手だということもあって、初めのころはすいぶん気後れしていたものです。
とはいえ、何しろ聖霊の働きを信じて福音を語るわけですから、そこには当然驚くべき救いの実りがたくさん生まれるわけで、その後に届くお礼の手紙や感動的な報告に励まされるうちに、次第に出かけることが苦ではなくなって来ました。
本を出版するようになってからは依頼も増え、気がつけば全国区になっていて、先ほど過去の講演依頼のファイルで数えてみたら、北は旭川から南は那覇まで、東京以外で講演した場所が67ヶ所ありました。どんな所かというと、たとえば去年は九州から呼ばれる機会が多かったのですが、一年間で、九州だけで福岡、諫早、別府、熊本、鹿児島(北薩地区)の5箇所でお話しています。
最近ではプロテスタント教会からの講演依頼も増えて、今年は聖公会の教区大会と牧師の研修会、日本基督教団の婦人大会、ナザレン教団の教役者研修会でお話しました。
今年と言えば被災地での講演もありましたし、先日の茅ヶ崎での講演会は、震災の時代にあって、不安や緊張で心を病む人もいる現実の中、希望の福音を語ってほしいという依頼でした。
いつでも、どこでも、だれでも、どんな状況でも、人々は福音を必要としています。それは水や空気にも似て、人間は福音なしには生きていけないのです。多摩教会の方はご存知でしょうが、わたしの話は初めから終わりまで全て福音です。それしか話せませんし、話すつもりもありません。
茅ヶ崎の講演会でも、もちろん全体として福音を語っているわけですが、1分間にひとつは、直接的な福音を織り込むように工夫しながらお話しました。
「神さまは100パーセント愛であり、あなたのことを100パーセント愛しています」
「神はあなたを喜ばせるために生みました。決して怖がらせるためではありません」
「どれほどの災害であっても、どれほどの放射能であっても、神の愛から私たちを引き離すことはできません」
「わたしたちの目には恐ろしい悪と見えるものも、神は善に変える力をお持ちです」
「すべては途中であり、誕生へのプロセスであり、産みの苦しみに過ぎないのです」
「あらゆる試練には聖なる意味があります。それを知らないから苦しむのです」
「神を信じるならば、なにひとつ失っていなかったことに気づくでしょう」
「今こそ、イエスの言葉を信じましょう。『恐れるな!』というイエスの宣言を」
「今、ここで、こうして福音を聞いているあなたのうちに、救いは実現しています」
「あなたはすでに永遠の命を得ています。いずれあなたは、天に生まれるのです」
「そろそろ講演も終わりの時間になりました。続きは天国で」(笑)
とまあ、そんな感じです。
しかし、これってわざわざ、特別な人が特別な場で話すようなことでしょうか。頼まれた以上講演しますが、これまたご存知の通りわたしは話の準備ができませんし、その場で聖霊の働くままに目の前の人に単純な福音を語るだけなわけで、「準備なしに聖霊の働くまま単純に」なんてことなら、信者ならだれでも、日常していることであるはずではないでしょうか。上記のようなワンフレーズを話せないという人はいないでしょう。そして、そんなひとことを、いまの時代にどれほど多くの人が必要としていることでしょうか。
信者のみなさんの存在自体が福音です。神さまは、みなさんのことばと行いをとおして、福音を世界に広めようとしておられます。それこそは、全国を講演して回ることなんかよりいっそう本質的で力があり、多くの実りをもたらして人々を救う、福音宣教の王道なのです。講演はむしろ、そのような信徒を励ますためにあるのです。
講演会の参加者で、東京に来たついでに多摩教会に寄った、という方が多くいます。主日のミサにも、毎週必ずと言っていいほど、そういう方が来ています。福音をさらに確かめ、いっそう深めたいという切実な思いで来ているのです。ミサで見慣れない方を見かけたら、ぜひ声をかけてください。そして、軽食サービスに招き、お茶を飲み、福音を語ってください。必ず共通の話題が見つかり、心が通い合い、聖霊の働きを実感でき、「さすが多摩教会」と喜んでもらえるはず。そしてそれが、平日の福音宣言への入り口にもなるはず。
「ようこそ、多摩教会へ」。そういうみなさん自身が、多摩教会なのです。
がんばろう!相馬市 ありがとう!相馬市
井関 起久子
福島県相馬市ボランティセンターと八王子市が、仮設住宅で日常の生活に戻りつつある相馬市の被災者の方々の傷ついた心に、少しでも潤いを提供できればとの思いから演芸や演奏など慰問活動を企画し、9月16日~18日にボランティアスタッフとして参加してきました。
<大野台第一仮設住宅>:
相馬港はかにで有名で、東京から「かに食べ放題」ツアーで多くの観光客が大型バスで来て賑わっていた港でした。今、港は津波で壊滅され瓦礫は片付けられていましたが、防波堤に漁船が乗り上げたまま、火力発電所に石炭を積んできたタンカーが転覆したままでした。福島原子力発電所の放射能の問題で、かに漁はできない状態です。港にたくさんのうみねこがいましたが、地元の方が震災後、ぜんぜんうみねこの姿が見えなくなり、やっと帰って来たのかと話されていました。港の近くに住んでいた漁師さん達が住んでいる仮設住宅の集会所で、慰問活動を行いました。腹話術、ギターの弾き語り、ソプラノ独唱、音楽療法、演歌などで、皆で歌い、腹のそこから笑い、涙した本当に楽しい一時を過ごせました。
演歌歌手の小町雪乃さんは福島県出身で、実家が原発30キロ圏内のため、ご両親が避難生活をされています。今までどんなに辛く苦しい時でも、「ふるさと」があるから頑張ってこられたと話されていました。ふるさと、お母さん、辛い時おもいっきり泣けて、甘えられる場所。彼女はトークでおばあちゃん、おじいちゃんの心をどんどん開き、笑いの渦に巻き込み、歌で抑えていた奥底の悲しみを、もう我慢しなくていいよとお母さんに抱かれているように包み込み、みな泣いて笑って大声で歌い、本当に楽しいと感じました。歌には、人の心を癒す魔法の力があります。
おばあちゃんが帰る時、歌を歌ったのは久しぶりで、こんなに笑ったのも久しぶりで、ありがとう、ありがとう、また来てねと、泣きながら何度も何度も言ってくれ、みんなで泣きながら抱き合い別れを惜しみました。避難所から仮設住宅へ、みんな一緒で居られることで、一人にならず、孤独にならず何とか生きて行ける。ここの人は大丈夫だと安心しました。
チャンスがあったら、このメンバーで是非もう一度やりたいと、みな思っています。
相馬市に行けたことに感謝です。
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第16回《オアシス“雑感”》
萩原 スミ子
私が多摩教会に所属して30年近くになります。マンション教会時代は、 聖堂での結婚式、葬儀はありませんでした。夫の葬儀は当時住んでいた団地の集会所でした。神父様と教会の方がいらしてくださいましたが、共同体と交わりのなかった私は大変感激しました。以来この時の感激と感謝を忘れないようにとの思いで葬儀に与ることを決心したのでした。隅っこで人知れずこっそりと、参列したので 相変わらず共同体に交わることはありませんでした。
マラナタ:「主の食卓を囲み、命のパンをいただき 、救いの杯をのみ、主にあって我らはひとつ」の聖歌が虚しい日々は続きま した。
1994年、現在の地に仮聖堂が献堂されて3年後に、「交わりのレストラン」(軽食サービス)が始まりました。それまで共同体に交われなかった私に転機が訪れました。信徒館の2階がレストランで、神父様の台所を使っていましたので、作る方も食べる方も押し合いへし合いで賑わっていました。 主の食卓を囲む時は個人的なことばは発声しませんが、二次会の食卓では大変な賑わいでした。
信仰生活(教会共同体)では「神様との交わり」だけでは なく「人々との交わり」の二つの軸によることが実感できたのでした。
「たとえ山を動かすほどの信仰があっても愛がなければ(人との交わりの中で)無にひとしい・・・・」10代の頃シスターの奨めでこのコリント13章「愛は堪忍し情けあり・・・・」を暗唱しましたが単に諳んじているだけでした。
昨年、多摩教会のスローガンとして「砂漠のオアシスとなる教会」を目指して歩み始めました。私の中のイメージは「砂漠、オアシス」、「十字架、復活の喜び」が重なります。十字架の道の後に復活の喜びがあることを信 じている私達です。オアシスに辿り着くには砂漠を歩かなければなりません。
長い信仰生活の間にいくつかの砂漠があって、必ずオアシスにも辿り着けました。 昨年、多摩教会に「オアシスひろば」が出来ましたが、砂漠を歩きながら外へのみ向けられた「オアシスひろば」と思って遠慮している方々がいます。 私もまだ2~3回座っただけですが、是非ひろばのベンチに座ってみましょう。 皆で座ればなんとやら・・・。
私が初めて、やしの木(パラソル)の下に2~3人で 座った時、「コーヒーお持ちしましょうか?」とカフェオアシスのスタッフの声に一同「ウワー嬉し〜い、ビバ!オアシス!」 まさに「いやし」の木の下でした。
ワールドユースデー(WYD)を振り返りたいと思います。
冨田 聡
この大会は私にとって他とは全く異なる衝撃的な体験となりました。皆さんは地平線の果てまで青年達で埋め尽くされている光景を想像できるでしょうか。私はその中で国も言葉も違う世界中の青年達がキリストへの信仰によって何よりも強い絆で結ばれているという現実を目の当たりにしました。あの時の言葉ではとても言い表すことのできない暖かな連帯感、200万人もの青年達が教皇とともに聖体を礼拝する時の静けさ、そして信仰によって生まれる友情の素晴らしさはこれからも私の心に深く響き続けると思います。
教皇、青年達、祈り、そして秘跡を通してこの大会にはキリストとの豊かな出会いがありました。そして思うのは信仰を持つこと、カトリック信者として生きること、これは人生の重荷ではなく、信仰こそ私達の人生に成聖という最高の理想と目標を与えてくれるものだということです。この理想を歩む時、人はなんと美しいのでしょうか。この同じ理想を歩む仲間と出会う時、そこにはどれほど豊かな友情が芽生えることでしょうか。私は教皇や多くの素晴らしい青年達の姿に心を動かされずにはいられませんでした。
この素晴らしい体験を心から主に感謝したいと思います。どうかこの素敵な信仰の輪がもっと多くの人に知られてゆきますように。そして私達青年がこの体験によってより強く主に従ってゆくことができますように。 アーメン
次のWYDは2013年、ブラジル・リオで開催されます。