マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

アルジェリア

砂漠の中の新しい呼びかけ―もっとも弱い人に仕えなさい―

一人の日本人のFMMが派遣されているアルジェリアから次のような記事が送られてきました。

2年前に私たちはサハラ砂漠と砂丘のまっただ中にある小さな町アインセフラ(Ain-Sefra)に共同体を作りました。そこでは、人々は非常に簡素で貧しい生活をしていますが、とても宗教的で品位のある生き方をしています。彼らの生活は現代テクノロジーとは程遠いものです。

共同体設立後の間もないある日、道端でこの町のある人が私に話しかけました。「うちの娘のところに来てくださいませんか。彼女は身体障害者で家にいます。」数日後、また別の人が「あなたに助けてほしいです。母は体がマヒして、家にいます。彼女に会ってやってくださいませんか。」この町には、クリニックもリハビリセンターもありません。多くの病人たちは家で、昔ながらの治療を受けています。これは私への神様の呼びかけだと感じました。
それで、病人の訪問を始めたのです。私が訪ねるたびに、病人とその家族が私を待っていてくれます。家の人たちは自分たちの苦しみや過去と現在の苦悩、将来への心配ごとを話してくれます。両親は病気の子供たちのために何かしてあげたいと思っていますが、何をどのようにすればよいのでしょうか?ここではすべてが遠くにしかないのです。

ある娘は病気の母親のためにこれまで4年間、昼も夜も看病をしているため結婚ができません。時々母親はそれに対する罪意識のため耐えがたい苦痛を感じています。この地方では、多くの女性は自分の家で子供を産むため、出産の最中に事故が起こり生まれてくる子供がひどい障害をもつことがあります。しかし母親はそれを自分が妊娠中に飲んでいた薬のせいであると思い、自分を責め悩むのです。二人の障害児をもつ家族は社会的、経済的な課題を抱えています。

私は定期的に病人を訪問します。それはあたかも人間の苦しみの中心におられるイエスが私のうちに来てくださっているかのようです。障害のある子に訓練をさせている間に、読み書き、計算、話し方や絵画、ちょっとした手仕事を教えます。子どもたちは何かが習えるのを待ち焦がれています。彼らは顔と体で何かができる喜びを表します。少しでも上達が見られる時の喜びはたとえようもありません。その時、長距離を歩いてきた私の疲れは喜びに変わるのです。
私には子供たちの病気を治してあげることはできませんが、その子供たちが持っている力に応じて成長を助けることができます。私は病人とその家族の言葉に耳を傾け、分かち合い、共にいて彼らと連帯し、彼らの喜びをともにすることができるのです。

主よ、感謝します。あなたは私を弱い、小さい人たちの所に遣わしてくださいました。命の秘義と神のその人たちに対する愛をよりよく理解し、慰め、勇気づけるために。

アスンタ 篠田文江fmm