2006年12月号 No.400 2006.12.16
1 | 神様の自己紹介 | 加藤 豊神父 |
2 | カトリックニューズ400号を迎えて | 加藤 泰彦 |
3 | 長男の洗礼 | 松口 嘉之 |
4 | 斜に構えた信徒の独り言 | JMK |
神様の自己紹介
加藤 豊神父
みなさんご存じのように今から約2000年前、当時、待望されていた救い主がようやく世界の片隅で誕生なさいました。それは結果的に「闇から光へ」と人々を導くことになる最初の出来事として祝われるようになりました。この幼子の誕生については、遠い昔から綿々と語り継がれてきた経緯があり、その語るところはいわば「神様の自己紹介」といえばいいでしょうか、ちょっと難しい教会用語で「神の自己啓示」「救いの歴史」と言い表されています。
人は誰でも初めて会った相手に対して自分のことを話すときには「わたしは○○ともうします。」と、自己紹介をするわけですが、神様もまた「わたしは主である」と、いにしえから繰り返しおっしゃっていました。だから聖書は神様からの「啓示の書」といわれるのです。
しかし、初めて会ったときと、その後何年かしてからとでは、その人の印象も少しづつ変わってしまうように、聖書の中の神様の姿も場面によっては最初の「啓示」と随分と違った印象を読み手に与えます。これはなにも神様が移り気なのではなく、人間の側の神様理解が完全ではないからなのです。たとえば人間でいうと、相手はちっとも変わっていないのに、こちらの見方が変わってしまい、それを相手のせいにしているようなところが、わたしたちには多々ありますね。ちょうどそれと似ているのかもしれません。もちろん人と人とはお互いに親しくなればなるほど、相手を理解するようになるのですから、この点は神様と人間との関わりにおいてもまた然りといえるでしょう。
17世紀フランスの数学者で、思想家でもあったブレーズ・パスカルという人がいました。あの「パスカルの定理」のパスカルです。彼はまた熱心なキリスト者でした。「神は神について正しく語る」と、パスカルはいいます。わたしたちの父である神は、その御ひとり子をこの世に遣わしてくださいました。こうして人類の一員となったイエスは、人類の一員としてわたしたちの仲間となり、神様と人間とは増々親しくなることができました。人は相手と親しくなればなるほど、相手のことを理解するようになるのですから、わたしたちはイエス・キリストをとおしてこそ神様を知り、増々親しくなれるはずです。
このイエス・キリストによる神様の自己紹介は、これまたちょっと難しい教会用語で「啓示の充満」と言い表されています。ご降誕は、神様の自己紹介の最終章「啓示の充満」におけるはじめの一歩だったわけです。
長い長い神様の自己紹介(旧約聖書)の途上、相手をまだよく知らない状態でのお付き合いだったので、きっと誤解もあったろうかと思います。否、こんにちでも神様は依然として誤解され続けている気がします。いったい神様がどのような方であるのか、それは「啓示の充満」イエス・キリスト(新約聖書)によって顕わされたのでした。
カトリックニューズ400号を迎えて
加藤 泰彦
『多摩カトリックニューズ』が本号で400号を迎えました。月1回の発行が続いたとして単純計算するとおよそ33年分。今年で37年を迎える多摩教会の歴史をそのまま体現した、いわば多摩教会の歴史の証人です。多摩教会の生みの親とも言える故・八巻信生さんを中心に地道に編集され、タイプ印刷で発行されていました。多摩ニュータウンの荒れ野に誕生した、聖堂を持たない旅する教会には、メンバー間の情報交換という実質的な側面とともに、人々を結びつける中心として常にニューズは存在していたように思います。次の主日のミサは何時からどこのお宅で行われるのか、この情報は聖堂を持たない教会にとっては、とても大切なものでした。今のように、携帯やインターネットやFAXがどこにでもあるわけではなし。ですからニューズの最後には必ず来月の家庭ミサの開かれる日時、お宅の住所と簡単な地図が載せられていました。
記念すべき第1号は1972年6月の発行。前月の5月23日に東京教区から新教会設立が承認されたのでした。その編集後記にはこのニューズが「新しく誕生した多摩カトリック教会に集う人々の相互の連絡と親睦のため」のものであるとしています。「現在は、聖堂も、司祭館もない多摩教会ですが、私たちが祈り、聞き入れられ、そして生まれた教会は、私たちの教会です。大きな困難と、山積する問題を抱えてはいますが、教会への愛と、人々の和によって、この私たちの教会を、過去の教会にない、ユニークな、すばらしい教会に育てていきましょう」と結ぱれていました。当時の熱気が伝わる文章です。
初期のニューズに改めて目を通してみて、ユニークな連載記事が目に留まりました。『神と人シリーズ』と題された、毎回一人が、自分自身と神をめぐって自由に語るページです。入信体験や、仕事のこと、家族のこといろいろな話題を取り上げられながら、それを書かれた方々の人柄が感じられる文章でした。ちなみに、第2回目に登場した八巻信生さんはご自身の原爆体験を書かれていました。以前その不思議な命拾いの体験をご自身からちらっと伺ったことがあるのですが、それを改めて文章で再確認しました。こんな企画がこれから出来ないかなと今考えています。
400号をお届けする現在のスタッフは、リソグラフ印刷はプロ級の腕前の竹内さん、紙裁きの達人松原さん、写真は毎回この方・岩藤さん、製本の鈴木さん、連載記事も書いてくださる神井さんと私。印刷もタイプ印刷から、教会の簡易印刷機を使用してのものになりました。もっと写真がきれいに印刷できる機械が欲しいな等と言いながら、毎月楽しく編集作業をしています。ぜひ皆さんもやってみませんか。月一度、原則としては司牧評議会の2週間後の土曜日10時からです。完成後の昼食のビールの美味しいこと!
編集作業もそうですが、ぜひ皆さんの原稿もよろしくお願いいたします。創刊第1号の編集後記にあったように、多摩教会を「ユニークな、すばらしい教会に育てて」行くために『多摩カトリックニューズ』をより充実したものにしていきたいと思います。皆さんのご協力をよろしくお願いいたします。
ちなみに、ニューズのバックナンバーはきちんと製本されて2階の集会室に保管されています。どうぞ教会の歩みに目を通してみてください。
長男の洗礼
松口 嘉之
11月26日、生後4ケ月の長男、慎平(しんぺい)が、幼児洗礼を授けて頂きました。私たち夫婦は、初めての子育てで最初の大切な儀式に朝からハラハラし通しだったのですが、当人、慎平は朝早くから元気で教会に到着後、リハーサルと儀式の前半部分を無事に機嫌よくこなしてくれました。ところがミサが始まるとぐずり出し、おむつ交換、ミルク、ゲップをロビーで急いでこなし、ミサに戻るとすぐに洗礼式が始まってしまいました。
慌しい本番でしたが、慎平はおとなしくしていました。私は洗礼式の終わりに多摩教会の皆様から頂いた、暖かい祝福と祈りの中で慎平が生まれた7月13日と同じ感動を覚えました。慎平も小さな心の中で同じ感動と祝福を感じ、神妙にしていたのかなと思います。
洗礼名には、たくましく、元気な男の子に育ってくれることを願って、使徒聖アンドレアのお名前を頂きました。
加藤神父様、星野神父様、代父になって頂いた遠藤様、そして多摩教会の皆様方の温かい祝福と歓迎、本当にありがとうございました。どうぞこれからも慎平はもとより、家族共々よろしくお願い致します。
斜に構えた信徒の独り言
JMK
ある日、友人と話をしているときに、友人は「クリスマスはやはりホワイト・クリスマスに限るね。雪に覆われていると雰囲気が違うからね」と言い始めました。確かに街が雪に覆われると世の中の汚い物、うるさい音が消され世の中がきれいになったように思えます。 特にキリスト教を信じていない人々におこる傾向ではないでしょうか。それは、せめてクリスマスの日くらいは心を静かに雪と同じような真っ白な心に立ち返りたいと自然と心が求めているのかもしれないな〜あ・・・・なんて思うのはおかしな事でしょうか。
確かに、雪が降ると何故か街の喧騒がかき消されて時の流れが突然ゆっくりと流れ出すような感じになります。科学的には雪により周囲の音が吸収されて静かになるのですが、それはあたかも、私にとっては降誕祭を祝うために時が逆戻りをし、イエス様がお生まれになった時代の時の流れ方、その時代の周囲の音に対する雰囲気を教えているように思われるのです。 雪が深々と降り積もる夜はどんな人でも普段騒音でかき消されている自然の気配(けはい)をしっかりと感じ取れるのです。
だからと言うわけではないのですが、どんな人もホワイトクリスマスを期待し、疲れた心を癒したいと自然と心が求めるのかもしれませんね。
この自然の気配(けはい)を感じ取るには、自然に対する気配り(きくばり)も大切なのです。時の流れを如実に表す自然を大切にするという気配り(きくばり)は人に対しても同様に働くのです。その気配り(きくばり)を以って初めて気配(けはい)を感じることが出来るのではないでしょうか。 現代社会にはいろんな音が氾濫し、時の流れを映す自然を負かすように人工的な光や装飾が溢れ、他人に気を使っているようでいてその実、自分の利益を優先するような自己中心的な気配りで生活をしている人間でさえもクリスマスの日だけはホワイトクリスマスを期待するのはそのような目に見えない心の乾きを癒したいと願う心に殆どの人が立ち返っているのではないでしょうか。翌日は積もった雪に文句を言いながら外出をする人々なのですが・・・・・。
気配を感じるとは、全ての事に気配りをすることで感じるのではないかと思うとき、『目を覚ましていなさい』と言われる聖書の言葉に通じるものではないでしょうか。マルコ13 32-37、ルカ12 39-40、 17 26-30、 34-35そしてマタイ24 42-44が心に蘇るのは私だけでしょうか。
<豆知識> 日本におけるクリスマスの歴史
日本で初めてのクリスマスは、1552年に現在の山口県周防において宣教師たちが日本人信徒を招いてのミサであった。
日本でクリスマスが受け入れられたのは、1900年に明治屋が銀座に進出し、そのころからクリスマス商戦が始まったことが大きな契機であった。大正時代になると、児童向け雑誌や少女雑誌の十二月号には、表紙をはじめとしてクリスマスにまつわる話や挿絵がたくさん導入された。1928年の朝日新聞には「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれるまでになっていた(出典:『クリスマス〜どうやって日本に定着したか』)(ウィキぺディア百科事典より)