2005年5月号 No.381 2005.5.14
1 | 揺らぐ司祭像 | 加藤 豊神父 |
2 | 初めてのBBQ | 豊嶋 祐太 |
3 | 幼児洗礼 | 清水 道也 |
揺らぐ司祭像
加藤 豊神父
去る5月8日(日)カテドラルで行われた司祭叙階式において、東京教区に二人の新司祭が誕生しました。その二人のうちの一人、小池亮太神父様は立川教会の助任司祭に、もう一人の豊島治神父様は小金井教会の助任司祭に、それぞれ任命されたのでした。
ところで叙階式に参列する側の司祭たちの場合、その多くは、おそらく自分が叙階された時のことを思い出したり、その時のみずからの姿を受階者(新司祭)に重ね合わせたりするのではないかと思います。わたしもまた喜びと不安のうちに迎えた自分の叙階を振り返りつつ、この度の新司祭誕生のしだいを見守っていたのでした。
そこで、今月の巻頭言では自分なりに「司祭職」を巡って考えてみることにしました。何年か前に「揺らぐ司祭像」という言葉を聞いたことがあります。正直いって当時は「何のことやら」と聴き流していましたが、今やその内容を深刻に受けとめています。「揺らぐ司祭像」、それはその昔、教区ニュースが連載していた特集記事でした。
かつてわたしが想い描いていた司祭像というのは、今にして思えば、ある意味でかなり偏った、かつ、かなり断片的なイメージでありました。小教区の司牧責任者。黒くて長い衣を着、人々が教会を訪ねればいつでもそこに居り、共同体のために秘跡を執行し、祝福を与え、深遠な教話を解りやすく語る人。他者からも見える信仰を持つ霊的な導き手。そしてたまには一緒にお酒を飲んでは、その場をまとめ、盛り上げてくれる人、といったところでしょうか(笑)。
こうした司祭像は、激しい時代の変化のなかでもそれほど変わることのない路線であろうと思いますし、実際、召し出しが続いていた時代には、特に理想的というわけでもなく、誰もがごく普通に思い描く像だったのではないか、と自分では思います。まだ、召し出しが続いていた時代、一つの小教区には一人の司祭が常に居た、そういう時代には。今回の叙階式で共同司式をしておられた梅村司教様(横浜教区)のお言葉が心に残ります。「東京教区は司祭が二人増えたのですから、本音をいえば、誰か一人くらいは横浜教区に、と思っています」。
とはいえ、召し出しが途絶え、減少し、司祭が教会に常住しなくなること、それは決して「共同体からキリストがいなくなる」ことを意味してはおりません。実際ある教区では一人の司祭が三つ以上の教会を兼任しており、ミサがない日曜日というのも珍しくないわけですが、では、そういう教会が一律に、もはや元気を失ってしまったのか、というと、そうとはいい切れず、特にもともとその教会が司祭中心の共同体ではない場合、司祭不足はむしろその共同体が立ち上がる機会となり、皆で「集会祭儀」を行ったり、そうすることによって増々ミサへの理解と待望が一人一人の心に深まったりもしています。こうした現実を前に、確かに古典的な司祭像はたちどころに揺らぎ、「自分の存在意義はいったいなんなのか?」と悩む司祭も出てきます。但し、その時こそ「神の民の祭司職」はいっそう浮き彫りになるのかもしれません。
初めてのBBQ
豊嶋 祐太
4月2日に初めて南大沢、堀之内地区のBBQを体験しました。でも、BBQって何か生まれて8ヶ月のぼくにはまだ良く分かりません。ぼくなりに観察結果を報告すると…
●4月1日(金)
お父さんは会社を休んで家にいました。いつもの朝より抱っこしてくれる時間が長いので嬉しかったけど、油断してぼくが午前中にお昼寝してしまうと、目が覚めた時にはお父さんは居ませんでした。残念!。
やっと夕方に帰って来たお父さんは、お母さんに
・近くの工事現場から廃材をもらって来た
・コストコやその他でお肉や野菜を3万円ぐらい山ほど食材を買った
・スペアリブをタレにつけておいてと言ってました。でもぼくには、なんのことだかさぱっり分かりませんでした。
●4月2日(土)
・朝8時に教会の石塚さんから電話が来て今日の天気ならBBQをやると。そうしたら加藤さんに電話して宿里さんを迎えに行った後に行くと話していました。しばらくすると、ぼくは置いてきぼりでした。
・ぼくはお母さんとベビーカーでお昼前に散歩に出かけたら、お父さんが小山内裏公園にいました。教会の人もいっぱい居て30人ぐらいだったかな。ぼくはまだ数がきちんと数えられませんから。神父様もギターを持って来てました。
・大人たちは椅子に座ってぼくの見えない机の上にあるものを飲んで、食べて、飲んで、飲んで、赤い顔になっていきました。だんだん大きな声で話したり、目がトロンとして来ました
・子どもは青いシートの上に乗って座っていましたが、すぐに走り回っていました。ぼくはまだ走れないのでお母さんにだっこしてもらっていました。お父さんを呼んでもなかなか来てくれなかったからです。・やっと抱っこしてくれたお父さんがぼくを連れて行ってくれた所は、何やらとっても熱くて、パチパチ音がして、白いモクモクがあって目が痛いんです。そこに居た教会の人たちは一生懸命何かを作って居ましたが、「ここで食べるのが一番おいしいんだよね」って、熱々の味見をしていました。
・幼いぼくにもそろそろ終わりかなっていうのは分かるんです。終わりそうになったら神父様がギターを出してきて、歌い始めました。歌が終わるとみんなからパチパチっていうのが聞こえました。でも、もう一曲、もう一曲と、パチパチが3、4回聞こえました。最後はみんなで歌っていました。
ところで、なんで大人は赤い顔して大きな声で話すのか、未だになぞです。それがBBQだとすると、お父さんも会社帰りにBBQしてるのかな?
幼児洗礼
清水 道也
ベネディクト16世の就任ミサが行われた日と同じ4月24日、長男、清水祐希は幼児洗礼を授けていただくことができました。ミサ中のあの大きな泣き声を覚えている方も多いことと思いますが、その日の朝6時30分に起こされた彼には体力的には耐えられなかったのでしょう。ミサ中一番大事なところでお騒がせいたしました。この場をかりてお詫び申し上げます。
さて、彼の生年月日は2004年4月14日でしたから、この洗礼の日はほぼ一年過ぎてしまっていました。私の仕事の都合もありなかなか家族そろうことができず、延び延びになっていました。できるだけ早い時期に受洗するため、私がいないあいだに授けていただくことも考えましたが、彼の代わりに親として彼の信仰生活の始まりを見守ることが責務であると思いこの時期になってしまいました。
今回、彼が新しく多摩教会共同体のメンバーとして皆様の兄弟となりえたことは親としてこの上ない幸せです。残念ながら、当の本人からの言葉は聞くことができませんが、きっと彼なりの神様のもとでの信仰生活が始まったことを喜んでいることと思います。
皆様今後ともこの新しい兄弟をよろしくお願い申し上げます。