2005年2月号 No.378 2005.2.26
1 | 「小教区」というもの | 加藤 豊神父 |
2 | よろしくお願いいたします | 岩藤 大和 |
「小教区」というもの
加藤 豊神父
今年度の信徒総会を終えて、わたしたち多摩教会も、ようやく新しい一年をスタートさせることになりました。暦の上では既に2005年も2月の下旬となり、4月のいわゆる新学期(新学年度)にはまだひと月以上ありますが、「小教区」にとっては、やはり年度の切り替え時期にあたるのは、この「総会」でありましょう。
ところで、「小教区」とはそもそもなんでしょう。それは早い話が○○教会という共同体のことであります。ですから、わたしたち多摩教会も小教区なわけです。「そんなこと当たり前じゃないか?」といわれそうですが、ではこの「小教区」即ち○○教会とうのは、共同体ですから、それは人の集まりです。
ところが、ただ単に一定の人の集まりがそのまま「小教区」であるとはいえません。たとえば「修道院」というのは小教区ではありませんし、「分教会」というのも小教区ではありません。なるほど修道院にも、分教会にも、学校やその他の施設にも、聖堂があり、ミサがあり、そこにはカトリック信者が集まっており、それは一つの共同体となっているかもしれませんが、やはりそれらは小教区ではないのです。
もとより一人一人のカトリック信者には、「信徒籍」というものがあります。つまり誰もが、どこかの小教区に所属しているわけです。「多摩教会の○○と申します」「府中教会の○○と申します」「調布教会の○○と申します」という自己紹介の仕方は、その人の名前と、その人の所属の小教区を現しているわけです。
お役所には必ずその市町村に住む人の「住民票」があるように、小教区にも必ずその信者さんの「信徒籍」があるはずです。そしてそれは正に住民票であり、遠方に引っ越す時に、それまで所属していた小教区から、転入先の小教区に籍を移すことでいわば住民登録をすませることになるのです。
「小教区」とは、そのような意味で、その信者さんにとって「信徒籍がある所属の共同体(家の近くの)」ということになります。この場合、「なんだかよくわからないが、日曜日に聖堂でミサやってるってだけじゃ小教区っていえないんだな」、と理解していただければ、それで結構です。この場合。
初心の僕として、よろしくお願いいたします
━ 委員長2年目のご挨拶 ━
岩藤 大和
聖体年新年のメッセージで岡田大司教は、教区信徒に次の4項目を呼びかけておられます。(1)もっと積極的にミサに参加を。(1)キリストの共同体として成長することを。(3)貧困と悪の問題へ献身的にかかわることを。(4)心の飢え渇き孤独の人に配慮することを。このメッセージに応え私達は主の祭壇を囲み、御言葉に耳を傾け、聖体の秘蹟に与り、最も身近な人たちと仕えあうことから始めたいと思います。初めて教会を訪れる人にも、遠く海外の逆境に苦しむ人にも、多摩共同体の肢体である私達一人ひとりが、聖体年の意向を通して祈り仕え合いたいと思います。2004年度は、多摩東宣教協力体にとって初めての合同ミサ、主任司祭のケルン訪問など、例年には無い大きなイベントがありました。教会年間行事も、多くの皆様のご協力で無事に行なえたことを、心から感謝申し上げます。3人の副委員長さんは任期満了で、新しい副委員長さんに引き継がれましたが、主任司祭の指導のもと、改めて「初心の僕」の心境で、2年目に取り組む所存です。「初心」とは、自我の無い心・愛の心、と聞いた事があります。そして共同体の僕、下僕としてこれからの1年お役に立ちたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。