2004年度ニューズ表紙へ戻る
2004年11月号 No.375 2004.11.20
1 |
移動時間 |
加藤 豊神父 |
2 |
「毎日御聖体に養われて」 抄訳 |
内山 正幸 |
3 |
婦人部の遠足 |
新谷 ときわ |
4 |
婦人部 遠足の報告 |
末元 真理 |
移動時間
加藤 豐神父
世の中には「鉄道マニア」なる人がいて、そういう人たちの中には「電車に乗ること自体が楽しい」という人もいます。そもそもわたしは鉄道マニアではありませんが、通勤や通学の人込み渦巻く慌ただしいラッシュアワーを思い浮かべても、とても「電車に乗ること自体が楽しい」などとはいえません。しかし、これまた勝手なものでして、その一方で、たまの休みに遠くへ出かけることを想像すると、そんな日はきっと「電車に乗ること自体が楽しい」などと感じてしまうことでしょう。
本来、電車も、バスも、飛行機も、いずれも交通手段に過ぎないものですが、とはいえ目的地までの移動時間もまた旅の醍醐味であることに留意するなら「移動時間は旅の一部である」ということもできるでしょう。しかし、たとえ時間があっても急いでしまうのがわたしたち現代人の特徴で、「移動時間」は短いほうがいい、と、ひょっとしたら、今や多くの人がそう思っているかもしれません。そのようなわたしたちにとって、目的もなく「電車に乗ること自体が楽しい」という鉄道マニアの感覚は、それが理解できようが、できまいが、なにやら一考に値する発想であるような気がします。
よく人生を「旅」に譬える詩人がいます。なかなかいい譬えだと思います。しかし、現実にはおそらく、その旅の「移動時間」をも楽しむ、という心のゆとりはそうそう出てくるものではないでしょう。しかもそれが目的のはっきりしない旅だとしたら、苦難が増すほど耐え難くなり、空虚で無意味にさえ思えてきたりします。その点、目的のある人生は一見して善い旅を約束してくれるものであるかのように見えますが、但し、この場合にも突き詰めて考えるなら、目的達成の後に虚脱感や空しさに襲われてしまうことがあり、そのような魂の危機を慮るに、やはりどのような旅であろうと「心の拠りどころ」というものは必要で、とりわけ信仰生活には「旅路の糧」が必須であるといえましょう。
「主の御使いはエリヤに触れて『起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ』といった」(列王記上19:7)。ところで、「電車に乗ること自体が楽しい」という言い分に一理あるなら、当然「生きていること自体に意味がある」という言い分にも一理ある、といえなくはないでしょうか?そのように考えてしまうのは、せっかちなわたしのあまりに性急な論理展開でしょうか?
長い道のりであればあるほど、「移動時間」の過ごし方は重要となりましょう。そこでは色々な人々と出会うでしょうし、色々な景色を見、色々な場面に出くわし、色々な局面に触れることでしょう。皆さんとご一緒に年末を迎えるわたし自身、今年一年、どのような「移動時間」を過ごして来たかを振り返り、新しい年を迎える準備としたいと思います。
「毎日御聖体に養われて」(“My Daily Eucharist”−WITN
ESS社−よりの抜粋抄訳)
豊ヶ丘 内山 正幸
(投稿者が本文訳出にいたった経緯):
私が自分の信仰がいつまでたっても深まらないこと、祈りはいつも雑念に乱され、形式的なものに留まることに焦りを覚え始めたのは、今から約十年前の還暦寸前、サラリーマンを自己リストラした挙句、心臓のバイパス手術を受けた頃でした。丁度その頃、四谷の学校の教室を借りて毎週日曜の夕方から行われる聖霊賛美の集いで、現在アメリカで療養中のシュナイダー神父様(前フランシスコ会聖書研究所所長)とある晩、分かち合いのグループで一緒になり、上記の信仰の悩みを打ち明ける機会を得ました。神父様は、「それなら、この本は読みやすくていい本です。あなたの信仰を深め、神の愛の深さを理解するために役立ちます。」「神父様、もしいいところがあったら、私が翻訳して、たとえば、小教区の機関紙などに投稿してもいいでしょうか?」「いいと思います。商業出版で有料でなければ、特別出版社の許可は必要ないと思います。もともと色んな著作のなかから、御聖体についてのエピソードを集めたものですから」と仰り、「内山さん、翻訳するのはいい考えです。365日分(365編)あるこの本のなかの一つでも二つでも、皆さんに紹介して下さい」と仰ってくださいました。
しかしそれからと言うもの、あっという間に時は飛び去り、パートタイマーとは言え一応会社勤務、及びヴォランテアでやっているマリア様関連の翻訳作業に追われ、シュナイダー神父様から頂いたこの本については、ようやく昨年、下記のコルベ神父様関連のエピソード、それもたった一つの訳出を試みただけでそのままになっていました。今回教皇様が、この十月からの一年を御聖体の年とされたのを機に、御聖体についての思いを新たにするため、聖霊の助けを願い、できれば来年の十月までにもう一二編何とか訳出したいと思っています。ではそのとき誌上でまたお目にかかりたいとおもいます。
聖マキシミリアン・コルベ神父と御聖体(「毎日の御聖体、1月17日」)
以下は私たち、多摩聖堂共同体の保護の聖人であるコルベ神父さまの御聖体にまつわるエピソードです。フランシスコ・コンヴェンツアール会のドマンスキー会士は、ある本にこう書いています。
“聖マキシミリアン・コルベはパンと葡萄酒という御聖体のうちに現存される“人なる神”、即ちイエス・キリストに深く心うたれ、魂を揺さぶられていた。この祝福された秘蹟の祭壇の前で、彼はまさに救い主なるイエスを眼前にしているかのようだった。コルベ神父は喜び叫んだ。「主はこの祝福された祭壇のさ中、即ち私たちの真っ只中にとどまり、住んでおられます。主は世の終わりまで私たちの中にとどまっておられるのです。主は私たちが幾度となく傷つけ、冒涜の限りを尽くしたのにも拘らず、世界中の祭壇にとどまっておられるのです」。さらにコルベ神父は、主イエスが御聖体の秘蹟において“ご自分の体そのものを私たちの食べ物として与えられた”という事実に魅了されているのです。彼はかってこういい切っています。「ミサが最高潮に達するのは聖変化ではなく、聖体拝領です」。聖体拝領のとき聖コルベは、感謝の念で胸をいっぱいにしながら、主イエスにこう言います。「主よ、あなたは私の体の栄養となって、私をあなたにしっかりと結びつけてくださいました。あなたの御血はいま私の体のなかを流れ、受肉されたあなたの霊魂は私の魂のおく深くまで染みとおり、私に勇気を与え、支えてくださいます。」なんという奇跡!かってだれがこのようなことを想像し得たでしょうか!コルベ神父さまはつぎのように言うのが口癖だったそうです。「もし天使たちが私たち人間を羨ましがることがあるとすれば、それはたった一つ。そうです、“御聖体拝領”なのです」。(訳:内山 8/25/03)
婦人部の遠足
新谷 ときわ
八時二十分頃、川岸を歩いて行くと馬引沢橋の上に大型バスがもう止まっていました。九時発車。夕方四時半頃に灯りのついている教会に帰り、各自おみ堂で感謝の祈りを捧げてから帰宅しました。充実した一日でした。神父様、役員の方々、そして婦人部の皆様有難うございました。殊に行届いた配慮と努力でお世話下さった婦人部の方々、お疲れ様でございました。
行程の真っ先に富士山二合目の聖母子像の御前でミサが捧げられました。長い急な登り坂を、石ころを避けつつ鉄の手すりにつかまって喘ぎながら必死で登りました。木立の中の聖母子は共に冠をかむられ、気高く美しく聳えていらっしゃいました。お姿を仰ぎ見ながら、ふくらんでは滴り落ちるローソクの涙を眺めながら、林を渡る風とまじって静かに響いてくる神父様のお声に耳を澄ませました。横何列かに並んでいた私達は、右から左へと御聖体を拝領しました。下る時も転ばないようにと一生懸命でしたが心は喜びに満たされていました。空も晴れていました。
昼食は「家庭料理やまぼうし」というレストランで頂きました。文字通りの手作りで、見た目ばかりでないきれいなおいしいお料理が並びました。南瓜のグラタンとか切干大根の煮物とか、丸くて黄色い小さなおまんじゅう形のお椀種は、モトが誰にもわからなくてお店のひとに聞いたらさつまいもでした。しばし楽しいおしゃべりが続きました。
しかし一息ついたら足がくたびれていたので与勇輝館の中は余りよくも見ないで、早々にお庭に出てベンチに腰かけてみなさまが揃ったところで記念写真です。婦人部の方が遠くの方から、適当に詰めて立っているだけの一同を手際よく数えていらっしゃるのには感心しました。迷子を出さない配慮も大変だなと思いました。
多摩教会の「十字架の道行」を制作して下さった「石工房磊造」にも立寄って詳しい工作機の説明もうかがいました。数多く並んでいる作品の中には心惹かれる何点かもありましたが、わたしには手の届かぬ価格でしたのでパスしました。バスへ戻る道々の紅葉は見事で多摩と違うなあと思いました。
さて帰りのバスには土地の老舗『金多留満』の若旦那風の人が乗りこんで材料吟味のゼリー「はまなし」をPRしたので又もや私も元気が沸いてきて、お店に着くと試供品を味わったり店内を動きまわったりして少し買いましたし皆様もけっこう熱心に買い物なさっていました。お土産選びはいつも楽しいです。帰路のバスの中は静かでした。何だかあっという間に帰って来てしまい、気がついたら聖蹟のキラキラする町なかを走っていました。
部屋でのんびりくつろいで向うの夜空を見ていましたら、あの二合目のマリア様も、み腕の中のイエス様も今はすっぽりと林の暗闇に包まれていらっしゃるのだなあと思いました。
|
|
|
富士山二合目の聖母子像の御前でミサ |
|
石工房磊造で詳しい工作機の説明 |
婦人部 遠足の報告
婦人部 末元 真理
11月10日(水)、今年の遠足は願ってもない晴天と暖かい日ざしに恵まれ、43名(それに中田ジェアン君・3才)の参加者で、楽しい1日を過ごすことができました。行程は、次のとおりです。
9時すぎに大型バスで教会を出発。7,8合目まで雪をかぶった富士山の雄姿を窓の外に見ながら中央高速・スバルラインを走り、富士山2合目の聖母子像前で野外ミサ。昼食後、河口湖畔の
与あたえ勇輝館(創作人形)を見学。その後、多摩教会の信者の一人でもある、小佐野哲二さんの「石工房・磊造」を訪ねました。小佐野さんの友人で建築家の渡辺さんがモデルハウスを休憩所として貸してくださったので、そこでしばし休んだ後、和菓子屋さんに立ち寄り、また中央高速を走って、教会に帰り着いたのは夕方5時すぎでした。
さて、富士山の2合目に、イエス様を腕に抱いたマリア様のご像があるなんて、とても不思議な気もします。これは今から40年前、扶助者聖母会(現在名はサレジアン・シスターズ)が建立されたものだそうです。スバルラインの左手、山道を少し登ったところに、白い大きなマリア様が静かに立っておられます。澄んだ空気と静けさに満ちた野外でのごミサは、心に深く染み入るものでした。神父様のお話にもありましたが、富士山をご神体、また女神ともとらえる日本人の気持ちの中に、このマリア様もすっと溶け込んでいらっしゃるように思えました
紅葉はもう終わっていましたが、木立の間からは遠くの景色も眺められ、素晴らしい青空と木々のコントラストが印象的でした。
昼食をとったレストラン「やまぼうし」からは、前に河口湖、後ろに聳え立つ富士山を眺める事ができました。実は、レストランについては裏話があるのです。当初、参加者25名の予定で予約していたのですが、希望者が多く、大型バスに変更して45人となった時点で、さて困った、小さい店なので中には30人しか入れない、雨が降ったらどうしよう・・と慌てました。あまりにも困った様子に同情して、ついにはオーナーが「我が家の居間を使ってください」と申し出てくださったのです。幸いな事に当日は見事に晴れ、10数人は外のテーブルでの優雅なランチとなりました。感謝!
与 勇輝さんの人形館は、河口湖畔のラベンダーに囲まれた素敵な建物です。暖かな秋の日を浴びながら、湖をバックに芝生の上で集合写真をとりました。
「石工房・磊造」の小佐野さんの作品は、多摩教会のお御堂で皆様、毎週ご覧になっています。あの十字架の道行きを作って下さった方です。98年に出身地である勝山町に工房を移転。木工芸作家の奥様や近隣の芸術家の作品も一緒に展示している工房で、詳しい説明つきで見学させていただきました。石というと固く冷たいイメージがありますが、こんなにも暖かく、柔らかい雰囲気になるものかとびっくりするような作品が並んでいました。時間の都合で今回は省きましたが、予約して行かれると、小佐野さんの指導のもと、30分〜1時間で素敵な作品を製作することができます。皆さま、機会があったらぜひお訪ねください。
小佐野さんの友人・渡辺さんご夫妻も、私たちを暖かく迎えてくださいました。木の香り一杯のモデルハウスでは、建築家のこだわりと主張を感じながら、掘りごたつで足をゆっくり伸ばしてほっと一息。高齢の方も多かっただけに、ここを無料で貸して下さったことに、本当に感謝しました。
帰りのバスではさすがに皆さん、疲れてお休みのようでした。真っ暗になった5時過ぎ、やれやれ着いた・・と教会を見ると、暖かな光がともっています。お留守番の神田さんが、待っていて下さったのです。この1日が、多くの方の善意と神様のお守りのうちにすぎたことを感謝しつつ、皆、家路につきました。
もう一つ、「私は2年間、教会に来ていますが、今まではただミサに与かるだけでした。何か教会のことに参加したいと思って遠足に来たのです」と話しかけて下さった方があり、それならぜひお掃除をご一緒に!という運びとなりました。この遠足が、新しい出会いと活動の出発点になったらこんなに嬉しい事はありません。
最後に、大型バスでの遠足は、高速道路での安全性、運べる人数の多さ、高齢の方が参加しやすいことなど、いろいろメリットはありますが、教会会計から補填していただく費用を考えると毎年という訳にはいきません。でも、たまにはこんな遠足もいいなと思います。体調やご都合が悪くて参加できなかった皆様、またの機会にご一緒しましょう。
皆様のご協力に、婦人部一同心から感謝いたします。
2004年度ニューズ表紙へ戻る