2003年9月号 No.361 2003.9.13
1 | シニアの日に寄せて | 加藤 豊神父 |
2 | はじめまして | ヴインチェンツオ・パスカーレ神父 |
3 | 第30回平和祈願祭に参加して | 松原 睦 |
4 | 教会学校の子供達へ | 小俣 浩之 |
5 | 五島の島々を訪ねて | 安嶋 智子 |
シニアの日に寄せて
加藤 豊神父
9月1日は「防災の日」、8日は「サンフランシスコ平和条約調印記念日」、13日は 「司法保護記念日」、そして15日の「敬老の日」からは「老人福祉週間」となり、20 日は「航空の日」、彼岸入りした21日は「秋の交通安全運動の日」、23日は昼と夜とが同じ長さの「秋分の日」で、24日からは「結核予防週間」となります。なお、9月中は「がん征圧月間」なのだそうです。
こうしてざっと見てみると、9月には平和、健康、安全、安寧といった願いが込められた休日や活動日が多く、上述した記念日や祝日以外にも「働く婦人福祉運動の日」(敬老の日と同じ15日)などがあります。さらに9月といえば、今日のわたしたちにとってもはや忘れることのできないあの大事件、2年前のいわゆる9・11(2001年9月11日ニューヨーク貿易センタービルでのテロ事件)が即座に思い浮かぴ、それに引き続いて生じた世界情勢を考えるなら、平和、健康、安全、安寧への願いは益々募ります。
天災であれ、人災であれ、病気であれ、事故であれ、ある日突然、愛する家族や友人が自分の前から消え去ってしまうのは、なんとも悲しいことです。しばらくぶりにお会いした人に「お元気ですか??挨拶するのは、その実、秘めたる思いを帯びた問いかけなのかもしれません。お互いの健在を確認し合う喜びは人間の素朴な感情に根ざしていると思います。
わたしたちの共同体では9月になると毎年(敬老の日の近くに)恒例の「シニアの日」をお祝いしています。今年はこの集いに70歳以上の方々が40数名参加されます。喜ばしいことだと思います。そしてまたこの集いが世にいう「敬老会」ではなく「シニアの日」と呼ばれているのも的確なことだとわたしは思います。もとより中国語の「老(ラオ)」という言葉が直接お年寄りを意味しているとはいえません(本来は老練、達人の意味)。しかしなぜか現代日本においてこの「老」の文字のイメージは極めて狭く、しかもそれに反比例するかのように70代ではまだまだお若い方ばかりですから、やはりこうした場合、「老」を用いず「シニア(年長)」としたほうが時宜に適うと思うのです。
平和、健康、安全、安寧への願いが募る中、今年も人生の先輩たちと共に過ごせるつかの間の一時を神様に感謝したいと思います。聖書には次のように記されています。「健全な判断は年輪を重ねた者に(中略)、知恵は年を経た者たちに」(シラ書25:4-5a)。
はじめまして
府中教会の主任司祭パスカーレ神父様をご紹介いたします。8月15日の聖母被昇天のミサに与られた方はもうご存知と思いますが、改めて神父様ご自身から紹介文を頂 きました。9月28日の主日のミサは加藤神父様と交替して、相互にミサを捧げられます。
ヴインチェンツオ・パスカーレ神父
府中聖堂共同体のヴインチェンツオリパスカーレと申します。
2000年4月にカトリック府中教会に任命され、早3年が経ちました。教会だよりを通して、初めて皆様にご挨拶申上げます。簡単に自己紹介させていただきます。
南イタリアのナポリから150キロ離れているところに生まれ、1974年に司祭に叙階され、1年間イギリスで英語を勉強しました。1975年に来日し、2年間日本語を勉強してから、福岡教区の佐賀教会及び伊万里教会、そして10年前から横浜教区の甲府教会や塩山教会の宣教司牧に力を入れてきたのです。
これから、皆様と−緒にイエス・キリストのうちに示された神の愛に支えられながら、司祭として神の国の発展のために働きたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
第30回平和祈願祭に参加して
松原 睦
8月9日(土)、千鳥ヶ淵戦没者墓苑では、式に先立って、折からの風雨の中を吉祥寺から平和行進をしてこられた後藤神父様から、この悪天候こそ現在を象徴しているのかもしれない。大国の論理から起こされたイラク戦争にNOというべきだ。30回も平和を祈って、このような状態である。しかし祈り・行動しなければもっとひどい状態になる。わたしたちの祈りを戦争の犠牲になる子供達、強者の餌食になる人々のために捧げよう。戦争は人間のもたらすもの、人間が止めることができると希望をもって祈りましょうとのお話がありました。
式では、小宇佐神父様の山上の説教「悲しむ人々」「平和を実現する人々」を主題とした説教があり、核を大量に保有する国が他国の核保有を問題とする矛盾、こうした現実の中にイエスは立たれている。少なくとも爆弾を落す立場でなく、落されて苦しみ悲しむ中にこそおられる。長崎原爆の記念日にあたり、この平和祈願祭をとおして、イエスがどこにおられ、どのようにわたしたちを招いておられるかを考え、良い本来のシャロームを叫び、希望を持って祈りを捧げていこうと呼びかけられました。
感謝と祈りを捧げるうちに雨も風も次第におさまり、第一部が終り、「神ともにいまして」を歌う中にこの霊苑に眠る34万人戦没者に対し献花がおこなわれ、アシジの聖フランシスコ「平和の祈り」を唱え、「すべての国よ神をたたえ」を歌って閉会となりました。
こうして大勢の方々と共に一堂に集まり、平和について考え、共に祈ることができたことを感謝するとともに、世界各地で、血なまぐさい戦いが続き、国内でもきな臭い論議が堂々とまかり通る時代にもなりました。わたしたちは出来るところでより積極的に、平和を求め、祈り、行動していかなくてはならないと思いした。
教会学校の子供達へ
小俣 浩之
小学生の君たち、どうしてそんなに堂々と余裕で先唱や朗読や侍者、奉納、共同祈願、なんでもこなしちゃうの?ほとんどぶっつけ本番で。夏の合宿で「ミサってなんだ」やったからかなあ、心をひとつにしてみんなで教会に寝泊まりしたし。それもあるだろうけどそれだけじゃないね、あの出来映え。ミサの間、奉仕する君たちの晴れやかな顔、オルガンの席から眺めてたけど、イエスさまの暖かい眼差し、いっぱい注がれて、幼い頃から当たり前のようにミサに親しむ君たちが羨ましい。
中学生の君たち、実は僕は気が重かった。君たちにギターを教えろだって!やれるの、君たちに?8月末のミサまでに弾けるようにしろって酷な命令出すなよ、神父さんって思いましたよ。みんなギターにまったく触れたことがないのにそんなの無茶だって。でも信じられない光景が次々と....合宿で暇さえあればギター弾いてたね、日曜日も教会にやって来ちゃ、弾いていく(宿里さん、ギター魂の伝授、今後ともよろしく)。いいギター、弾きにくいギター、いろいろあるんだよね、そうなるともう奪い合い、少しは譲り合ってくれよ、そういうときは。でもその熱心さ、おそれ入りました。そしてなんといっても嬉しいのは君たちの自発性、ギターを通してそれがどんどん出てきたね、その調子でずっと続けてください。
多岐にわたる豊かな才能、子供達はこれからどんどん開花させて世界に羽ばたいていくに違いありません。でも世の中や教会の趨勢をよそに彼らにはずっとこのあたりに住んで多摩教会のそばを離れないでね、なんて密かに願っちゃいます。ついでに宣伝。ひとつにまとまった子供達の奇跡的な力、今年も聖劇を通して見れます。今年はクリスマスのミサの「ついで」じゃなく前日、12月23日にクリスマスコンサートと一緒にやります。うわさの中学生たちもギターで参加。教会の未来を担う彼らの力、感じに来てください。
五島の島々を訪ねて
府中地区 安嶋 智子
今回8月末から9月に掛けて長崎から五島の島々を訪ねましたが、とても素晴らしい旅行でした。3年前に訪れた時に周れなかった場所を時間をかけてゆっくり訪ねました。長崎から五島の福江島へ入り、4泊の旅程の中、福江の教会ではいろいろなところを周ることが出来ました。
主日のミサは三井楽(岳)というとても貧しい(そうに見える?!)漁村にある教会へ行きました。老若男女、大勢の信者さんが、とても穏やかな雰囲気の中、御ミサに与っていた姿はとても印象的でした。また、久賀島という福江島のすぐ上に位置する小さな島へ巡礼の船が出ていたので、その小さな島に3つも存在する教会へ行つたのですが・・・
「牢屋の窄」という教会は、明治初期に政府のキリシタン弾圧にあった場所で、畳12帖のスペースに200人もの信者の方が捕らえられ、8ヶ月間の間に多数の死者が出たそうです。子供からお年寄りまで、その惨い生き地獄の中でさえ、誰一人自分の意志で出てくる人はいなかったそうです。
ある一人の子供の最後の言葉に、何の恨みも苦しみも見られず、「お父さん、お母さん、パライソ(天国)へ行ってきます。さようなら。」というのを見たとき、私も主人も言葉がありませんでした。
また、山の中、本当に車で行くのも大変な山の中に小さな教会跡がありました。そこで、2人のお婆さんたちに遇い、その方たちも、「あなたたちはこんなところに年寄り2人で生活していて、大変だとか、哀れだとか思うかもしれないけれど、この教会を守る幸せが私たちにはあるのよ。ここが私たちにとって天国なの。」と思いもよらない話を聞き、ふと見ると、その2人の家の小さな庭が素晴らしく手入れされた美しい花園だということに気付き、私たちは「幸せ」の意味をひとつ学んだような気分になりました。
福江を後にして国見一島原一雲仙と周り、そして天草へ着きました。天草の教会も福江同様、とても辺鄙な場所にあり、隠れキリシタンの歴史をそこにも見ることができました。
今回の旅行で一番心に残ったのは、『信仰』というテーマでした。現代社会に生きる自分に置き換えることは不可能ですが、強い弾圧にあってそれでも、億仰に生きる人びとに出会った旅でした。大陸(当時の唐)から、東南アジアの島々から、はるか遠く西洋の国々から、そして古からの私たちの国から。様々な文化を否定せず、逆に良いところを賢く選び、自分達の新しいものへと作り上げていった隠れキリシタンの人々の生活は、「幸せ」を求め、そして、常に自分達が「幸せ」である事に気付いていたものだったのではないでしょうか?カトリック信者としてまだまだ新入生の私ですが、とても心に深く残る旅でした。また写真を沢山撮りましたので五島をご存知の皆さんとお話しできる機会があればと思っています。