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2001年7月号 No.335 2001.7.14

ポーランド巡礼記 1 宮下 良平神父
ポーランド巡礼記 1 写真  

    ポーランド巡礼記 1

                                      宮下 良平神父
 この6月27日から7月6日まで、多摩教会の守護の聖人マキシミリアノ・マリア・コ ルベ神父様の故国であり、殉教されたポーランドを巡礼してきました。
 20数年前の学生時代にユダヤ人の心理学者フラソクルが書いた「夜と霧」を読み、 「アウシェヴィツ収容所」の存在に衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。 そして、いつかその地を訪れて、歴史の中で忘れてはならないものを自分の目で確か めたいとかねてより思っていました。
 このポーランド巡礼で、ある人の身代わりとして殉教されたコルぺ神父様のゆかり の地アウシェヴィツを尋ねることが出来ました。
 アウシェヴィツのことは来月号でお話ししたいと思いますので、今月はポーランド 巡礼の様子とそこで感じたことをお話ししたいと思います。

 この巡礼には、ポーランド人ドミニコ会士で渋谷教会のパウロ神父様が団長として 同行してくださいました。
 パウロ神父様は25年間日本におられますが、この巡礼中に何度となく「連帯の運動 以後、この10年でポーランドは変わりました。明るくなりました」と言われました。 そして、訪れるどこの町並みのおもむきも、ずっと昔からそうであったように思え、 どこか浮ついた感じがしないのは不思議なくらいでした。

 さて、ポーランドの首都ワルシャワヘはフランクフルト経由14時間ほどで着きまし た。
 ワルシャワは、人口180万人の都市で、第二次大戦で壊滅状態になり、戦後ソ連の 影響下で再建された都市です。
 宮殿を中心にした大きな公園がいくつもあり、旧市街も復興されました。先ずワル シャワの市内を歩いて、花がどこにでも飾られていることに驚きました。ホテルの近 くの市場へ行きましたが、何軒もの花屋が店を出して いました。「花を愛し、花を飾る国民」ということを知りました。そんなことを思い ながら車窓から家々を見ていると、マンションのどこの家のベランダにも花が植えら れているのに気づきました。それはワルシャワを離れても同じで、沿道のどこの墓地 にもたくさんの花が手向けられているのには感動しました。
 ポーランド人の方と結婚してワルシャワに住んでいる日本人のガイドさんの話によ ると、日曜日は必ず家族で教会に朝出かけてミサに参加します。その後、近くの知り 合いの家に家族でぶらっと訪問するのが当たり前らしいのです。訪問されるのも当た り前ということで、そのために手作り菓子を土曜日に作って おくそうです。こんな日曜日の過ごし方を家族でしていると、お花を持って家族でお 墓参りに出かけるのは自然なことかもしれません。
 そしてポーランドでは、家族で一緒に過ごすことをとても大切にしているのだそう です。そして子供がいろんな相談をするのは、ほとんどの子供が、親にするそうです。 日本では、相談は親ではなく友達にすると答える子ども達がほとんどではないでしよ うか。
 ところで、ワルシャワでは旧市街地を訪れ、カテドラルの聖ヨハネ教会で御ミサを いたしました。戦後再建されて、思ったほど大きくはないカテドラルでしたが、旧市 街地のなかで出しやばらす、しかも落ち着いた外壁がレ ンガ作りの教会でした。

 さて、私のこのポーランド巡礼の主たる目的はコルベ神父様のゆかりの地を訪れる ということでした。
 その目的の一つは、ワルシャワ市内から一時間ほどのところにコルベ神父様が創設 した「ニエポカラヌフ修道院」訪問でした。そこで多摩教会のためにいつも守り導い てくださっているコルベ神父様に感謝して御ミサを捧げたかったのですが、事情でで きなかったのは心残りでした。
 その修道院では、コルベ神父様がおられた当時の建物の中にある聖堂とコルベ神父 様がいた質素な部屋を見ることが出来ました。
 ところで、野田さんご夫妻が尽力されて桜の苗木をニエポカラヌフ修道院へ何年か 前に送られたと、この巡礼前にご夫妻からお聞きしました。多分その桜だと思います が、その修道院の聖堂の裏庭に大きくなった桜が何本かありました。日本から送られ た桜を通して、多摩教会とコルベ神父様との絆がより大きくなることを願うものです。
 さて、このニエポカラヌフ修道院は巡礼地の一つとして多くの方々が訪れています。 ちようど、私たちがいたとき、百人ほどのポーランドの巡礼団がマリア様の歌を歌い ながら聖堂に入ってゆきました。
 ポーランドの教会は、当然のことながら、マリア様をとても大切にしてきた信仰土 壌があり、人々は心からマリア様を敬愛していることが教会、街角の像など至る所、 肌で伝わってきます。コルベ神父様もそのような環境の中で自然とマリア様を大切に する心が養われたことがよく分かりました。

 ワルシャワでの巡礼を終えて、次にワルシャワから200キロほど南西に離れた「チェ ンストホバ市」へ行きました。チエンストホバは年間500万人が訪れる、ルルド・ファ チマに次ぐ巡礼地です。14世紀に「ヤスナ・グラ」という丘に建てられた聖パウロ会 の修道院には、聖母子のイコンがあります。そのイコンの前で祈るために多くの人々 が巡礼にやってきます。 
 このイコンは17世紀に外国の軍隊に持ち去られ、聖母の顔に傷をつけましたが、そ れ以後多くの奇跡が起こり、元の修道院へ戻ったものでした。それ以来、長年に渡り この地 への巡礼が続けられています。
 そのヤスナ・グラを訪れている最中も、多くの巡礼団が来ていました。何百人とし いう若者たちの巡礼団が歌を歌いながら楽しそうに聖堂に向かつているのをいくつか 見ました。日本ではなかなか見られない光景ですが、ヨーロッパでは巡礼を通してカ トリック信仰を深めようとする若者が増えていると聞いていますが、ここでもその光 景に出会いました。

 さて次に、「アウシェヴィツ収容所」があったオシフィエンチムという町を訪れた 後、小一時間ほどで、パパ様の生まれ故郷ワドヴィツエ村を訪れました。私の驚きは、 あのアウシェヴィツからさほど遠くないところにパパ 様は生まれて育ったという事実でした。
 平和のために命を削って世界を回っておられるパパ様は、あのヒットラーによっ て150万人は殺されたというアウシェヴィツ収容所の凄惨さを目の当たりにして、平 和実現への強い意志を育たれたのではないかと思いました。アウシェヴィツについて は、次回の教会報でお話しいたします。

 次に訪れた都市は、古都「クラクフ」でした。このクラクフの近くに岩塩を堀り出 した世界最大の抗山があり、そこを見学しました。「ヴイエリチエカ」という町にあ るのですが、坑道には縦横100mX50m、高さ30m くらいの巨大なホールも出来ていて、その壁には坑夫が彫刻した聖像か多数あり、驚 かされました。16世紀には、この抗山に聖堂が作られ、ミサが行われたという記録が 残っていると聞き、またびっくりさせられました。
 さて、クラクフという都市は先の大戦で戦禍に遭わなかったので、15世紀からの建 物が数多くそのまま残っています。
 このクラクフには多くの大学があり、若い人がたくさんいます。その若い人の華や かさ、躍動感と古都としての落ち着いた風情、それにやはり花がいたるとこうで飾ら れていて、とても不思議な町といった感じがしました。
 特に印象に残っているのは、聖マリア教会でした。その聖堂の祭壇正面の壁には 色彩豊かな木彫の聖書の場面が多数飾られています。面白いことに、ある時間が来る と、扉が開き、その中に飾られている場面が見られるようになっているのです。両扉 の裏にはマリア様に関する場面が描かれています。「ヘー、面白い」とうならせられ ました。

 さて、そして最後の巡礼地は、ハンガリー国境近くの「ザコパネ」という町でした。 この町は、日本の白川郷のような形をしたザコパネ様式の木造家屋で有名です。その 様式の小さな木造の教会で、ミサを捧げました。
 そのザコパネを後にして、500キロ離れたワルシャワへと戻り、このポーランド巡 礼の旅を終えました。
 次回の教会報で、アウシェヴィツを中心にもう少し、この巡礼について話したいとお もいます。

                 神に感謝


ワルシャワ旧市街広場 パパ様の生地ワドヴィツェ村
ワルシャワ旧市街の聖ヨハネ教会 コルベ神父様が修道院長をつとめたれた
ニエポカラヌフ修道院
ニエポカラヌフ修道院 修道院にあるコルベ神父様の銅像
修道院創立当時の聖堂 ニエポカラヌフ修道院外観

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