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2000年8月号 No.324 2000.8.19
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初めてなことを通して |
宮下 良平神父 |
2 |
教会学校錬成会に参加して |
シスターミリアム 杉山 |
3 |
「お 勉 強」 |
山下 ゆり |
4 |
日曜学校でのこと |
山形 杏奈 |
5 |
れんせい会 |
加藤 俊太郎 |
6 |
感想文 |
塚本 博幸 |
7 |
新聖堂記念コンサートを終えて |
小俣 亜里 |
初めてなことを通して
宮下 良平神父
今までに何度も行っていたことが、場所や 環境、姿勢が変わると、初めて行うというような思いを抱くことがよくあります。
5月14日に献堂式を行つてから、この聖堂を使っていろいろなことが行われています。献堂記念のコンサート、教会学校の錬成会、結婚式、葬儀などが行われました。
どれも、仮聖堂で行われたことでしたが、本聖堂ではどれも初めてのことで、少し緊張しながら行われました。
献堂記念のコンサートは、聖堂にどのような音色が響くのか楽しみでしたが、演奏されたベンツさんと小俣さんの大変なご努力によって、素晴らしい響きが聖堂に満ちあふれ、主なる神を賛美できたように思いました。
また今度の教会学校錬成会は、この聖堂を使ってロザリオの祈り、十字架の道行きを工夫しながら大人が教えました。そしてこの聖堂にあるステンドグラスや祭壇部、ミサでのしぐさについての疑問を子ども達が見つけ出して大人にぶつっけ、それに大人が四苦八苦しながら真っ正面から子ども達に答えてゆくということを行いました。
このような内容で錬成会をしたのは、私としても初めてでした。ニ十数年来、私がいろんな教会で関わった錬成会は、お楽しみ会的なことを行い、教会以外の団体で行うキャンプと同じことを主にして行つてきました。
その主目的は、教会の仲間作りや教会に楽しく来ることができるようになるためでした。それは大切なことですが、何か物足りなさを、いつも感じていたのです。カトリックの教会が大切にしてきた祈りとその意味を、大人が子ども達へ真剣に伝える努力を怠っているように思えておりました。私が二十数年来、夏の錬成会やキャンプに関わってきて、いつも躊躇して踏み込めなかったこと、「そんなことをしても子供はいやがるだけ。楽しくなければ教会ではない」という考えへの挑戦を、多摩教会信徒の知恵と努力によって次の世代に渡すために造った聖堂を通して、行うことができました。
錬成会中の夜、十字架の道行きに参加された大人の方々は、小さい子ども達の真剣なまなざしの中でのお祈りに多分驚かれたことでしょう。大人の信者を祈りへと導く子ども達の祈りがそこにあったはずです。
祈りは大人が先ず教え、そして大人は子ども達から祈り、神に向かう心を教わる。そんなことが実現できた一瞬ではなかつたかと思います。
この錬成会に参加した十数名の子ども達は、神様の子供として確かに成長したようです。それは私もスタッフも、それに食事を手伝ってくださった大人たちも、そして参加した子ども達も、この神様の聖堂に初めて集って泊まり祈った仲間として、一緒に成長できたということなのでしょう。
さて、7月29日には結婚式が行われました。仮聖堂で以前に行われた結婚式とは準備や、新郎新婦の動き、案内などが違っており、結構工夫しなければならない課類が残りました。今まではスペースがありませんでしたからそれで済ませてきましたが、これからはそ
うは行きません。典礼委員会を中心に、結婚式の準備マニュアルを作ろうということになっています。これも初めてなこととして整備しておかなければならないでしょう。
ところで、結婚式の翌日に帰天された方がおられ、ご葬儀が2日に行われました。これも新しい聖堂で初めて行われました。特に、通夜に自分の車で来られた方が多く、上下の駐車場は車で一杯になり、電算にも急遽置かせていただきました。それでも間に合わず、路上に駐車する車もかなりありました。初めて来られる方が多いわけですから致し方ないことですが、これからは少なくとも通夜のときの駐車場案内も考えなくてはなりません。
献堂式以来、初めて行うことが続き、予め準備しておかなければならないこともわかってきました。それと同時に、私たち共同体がこれからも霊的に成長し続けるために、この聖堂に対する新鮮な気持ちをできるだけ長く持ち続けたいものです。この聖堂には、私たちが考える以上に、神様の豊かさと恵みが隠されているようです。
神に感謝。
教会学校錬成会に参加して
シスターミリアム 杉山
今年の錬成会は2000年5月14日に、主任司祭宮下神父様を中心に、信徒の皆様の祈りと犠牲、協力、一致の下に新聖堂が献堂されたことを記念して『私たちの聖堂で祈りを体験し、祈る姿勢を学ぶ』というテーマで実施されました。
25日(火) ロザリオ作りと、ロザリオの祈り
26日(水)午前中 新聖堂にてなぞなぞ探し
午 後 十字架の道行きの練習
夕食後 子供達による「十字架の道行きの祈り」
27日(木) 朝食後 感謝のミサ
25日の初日は、スタッフの方々のご指導の下に、ロザリオ編みに取り組みました。子どもたちは自作のロザリオに、天の母である聖母マリアに親しみを感じたのでしょう。「シスター、このロザリオぽくが作ったの」「私のロザリオは水色よ」と得意気に知らせてくれました。「そしてね、マリア様の取り次ぎの恵みによって、私たち多摩の地に新聖堂を与えて下さった神様に感謝して、みんなでロザリオの祈りをしたの」・・・子どもたちの心には、ロザリオの作業とそのお祈りを通して、初日から聖なる雰囲気が漂っていたことを、感じ取ることができました。
26日、今頃子どもたちは何をしているだろうと教会に思いを馳せながらAM8:00頃教会に着くと、牧者であられる宮下神父様ご自身が朝食の後片付け(コップ皿洗い)をしておられる姿に感動しました。司牧の仕事でご多忙にも関わらず、こうして自ら子どもたちに奉仕しておられる姿の中に「私は仕えられるためではなく、仕えるために来た」というマルコ福音の一節を思い出しました。イエズス様のみ言葉を生活の中で実践しておられる姿勢と努力に、感銘させられたひとときでもありました。朝の自由時間が終わると4
班に分かれて新聖堂で「なぞなぞ探し」です。どの班も短い祈りをし、聖霊の助けを祈り求めながらの開始です。カトリック教会が2000年にわたって伝えてくれた、聖なる宝を探そうと、どの班も真剣そのものです。
次は、発見したこと気付いたことについての発表時間。どの班も多くの聖なること、聖なるものに気付き、私たちスタッフは唯々驚嘆させられるばかりでした。ご参考までにその一部を紹介させて戴きます。
<大聖年のマークについて> <コルベ神父さまの遺物について> <十字架のしるし>
<聖水> <聖体ランプ> <聖櫃> <ステンドグラスの絵について><なぜミサの時パンとブドウ酒を使用するのか> <祭壇の上の3本のローソク> <告解とは>
<神父様の祭服、ストラの色について、どうして白、赤、緑に変わるのか> <シスターの制服とベールの色について> <祭壇の前のマークPXについて> <神父様はミサの時どうして目をつぶるの?>などなど、その他子どもたちはカトリック教会の遺産に気付き、時間の経つのも忘れて積極的に質問してくれました。スタッフの一人として参加させて頂き、共に教会のことについて学ばせて頂いたことに感謝しています。
午後からは、加藤幸子さん作による「十字架の道行き」の練習(一部子どもたちの考えも入れて作り直す作業もする)、各班ごとに役割を分担し、表現の演出と動作、音声、祈りの練習に励みました。30人程の信徒も参加して、7時30分より子どもたちの司式による「十字架の道行き」が行われました。どの子も自分の後に責任と自覚を以て臨み、各留毎にベンツさんのオルガン演奏も入り、神秘的な雰囲気の中での素晴らしい「十字架の道行き」の祈りでした。
27日、感謝のミサで終了となりましたが、この3日間で体験した信仰の遺産を、末永く保ち続け、生活を通して周りの人々にもキリストを証する子どもたちであって欲しいと願い祈りながら、神の恵みと祝福のうちに無事終了することができました。
この3日間、錬成会のため聖なる企画をして下さった神父様を始め、食事の準備をして下さったご婦人たち、スタッフとして子どもたちに惜しみなく関わって下さった、多くの方々の善意に感謝しつつ、皆様のあたたかいご奉仕に神様が豊かに報いて下さいますようにと祈りながら、私のつたない感想文とさせて頂きます。 神に感謝
「お 勉 強」
山下 ゆり
最初の日、7月25日はロザリオ作りをしました。糸に好きな色のビ−ズを通していくのですが、きちんと順番が決まっていて、けっこうむずかしかったです。時間はかかったけど、面白かったです。そしてこの世界でたった一つのロザリオで、お祈りしました。
7月26日、“なぞなぞさがし”をしました。教会のことで「あれは何?」「あーするのはなぜ?」「これはなんで・・・」という質問を紙に書いて、あとでまとめて大人に聞いて学ぶという勉強(ゲーム)です。
すご〜く、いっぱいあった中で、一番「そ−なのか」と思ったのは、“なんでお祈りする時、手をこうするの?”です。その答えは、“こうすると、親指のところが十字架になるから”だそうです。今まで、わけもわからずにやっていました。 ふだん(上からみたところ)気付かない事が、調べてみたら本当にたくさんありました。物知り博士気分でした。
そして夜、十字架の道行きをげきでやりました。おみ堂にかざってある石の絵といっしょに、一場面ずつ演じていきます。わたしのグループは十一〜十五場面をやりました。イエス様がくぎづけにされる所から、最後の復活なさる所までです。その中のお祈りの一つに「つめたくなったイエス様の体、もう開かない目、もう神の国は終わってしまった」というのがありました。それが悲しそうで心に残っています。
イエス様が3回もころんだことや、途中でシモンという人にかついでもらったことなど実際にやったので、とてもよくわかりました。ロザリオのこと、十字架の道行きのこと、どれもよくわかって本当によかったです。 <おわり>
日曜学校でのこと
小三 山形 杏奈
ロザリオ作りをした、楽しかった。ロザリオのいのりをした、初めてしたのでまちがえたけど、教えてもらってできました。トランプでウスノロマヌケをして楽しかった、負けまくった。イエズスさまマリアさま、来年も楽しいキャンプができますように。
れんせい会
加藤 俊太郎
ぼくは教会学校のれんせい会に行きました。あつまってすぐに、ロザリオ作りをやりました。まず、いとをもらって、それでそこにいろんな色のビ−ズをいれました。ビーズを54こ、いれるはずだったのに、ぽくは60こビーズをいれてしまいました。でもまだ、せっちゃくざい(アロンアルファー)をつけていなかったのでなおせました。上ができたら、つぎは下のほうをやって、下のほうはうまくできました。できたのは、ぶきみな色でした。でもかっこよくできたのでよかったと思いました。そのあと、できたロザリオでおいのりをしました。時間はかかったけどたのしかったです。
「感想文」
塚本 博幸
今回の勉強会と、前回の合宿では、今回の方がいいと思います。世界に一この自分だけのロザリオも作れたし、先唱のやり方も覚えられたのでよかったです。
世界に一つだけのロザリオでお祈りをしたとき、とっても長いと思いました。
十字かの道行きの時、ぼくはナレーターや、ヨゼフなど、いろんな役をやったので、たいへんでした。
これからも、ときどきこういう勉強会をしてみたいです。
新聖堂記念コンサートを終えて
小俣 亜里
2000年、7月16日夕方6時半から、多摩教会の聖堂献堂記念コンサートが行われ、日曜日の夕方という時間帯にもかかわらず、凡そ130人の方が聴きに来られました。
私は5月末に神父様から、献堂記念コンサートに出て下さいませんかと言われていましたが、主人が6月初めに咽喉の手術をして、予期せぬ出来事や、予想以上に入院が長引いたこと
もあり、コンサート出演は無理と思っておりました。しかし、コンサートの2週間前に再度、神父様からお電話を頂き、今までやったことのある曲で構いませんから、記念ですからとお願いされ、主人も無事退院できたことですし、何とかやってみようと思い、出させて頂きました。
この多摩教会の聖堂は、本当に音響の面でも素晴らしくて、何回かリハーサルをやった際も、こんなに楽にのびのび弾けるなんて!と感激しました。自分の音をじっくり聴いて確認しながら、もっともっとこんな風に弾きたい、唱いたいと欲が出てきて、聖堂のこの空間が自分を助けてくれるように感じました。
ベンツさんのオルガンが聖堂いっぱいに荘厳に響きわたり、神様への信仰が一段と深まった方もきっとおいでになることと思います。記念のコンサートでヴィオラを弾けたことは、私にとって音楽をやる悦びであると共に、神様にありがとうと言う感謝の気持ちでいっぱいです。
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