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2000年6月号 No.322  2000.6.10

献堂式に於ける白柳大司教様の説教  
ペトロ岡田武夫大司教様と共に、
そして、白柳枢機卿様・森司教様ありがとうございました
宮下 良平神父
高幡教会 さつき祭 加藤 泰彦
ミニバザーご苦労様でした 井上 信一

    献堂式に於ける白柳大司教様の説教


 皆さん、私たちはキリスト降誕2000年の大聖年を前にして、この3年間神様がどれほど慈しみ深い方であるかと言うことを黙想してまいりました。今日、具体的にそして目に見える形で神様の恵みを、私たちは感じています。
                            
 今から約30年前にこの多摩の地に、呱々の声を上げたこの多摩教会が、今日この様な聖堂を献堂するという様な事を誰がいったい考える事が出来たでしょうか。本当にこれは神様の限りない慈しみの賜物です。私たちはこの日、皆様と共に神様を讃え、神様に感謝し、そしてこの聖堂を神様に奉献いたしましょう。
 ところで教会と言うとき、私たちはいろいろなイメージを持ちます。「今度の日曜日教会へ行こう」と言うときは、その教会は聖堂のことです。また、教会と言うものは、もっと神秘的な内的な姿で呼ばれることもあります。今日の第二の朗読にあった点です。そしてまた私たち一人一人も「聖霊の神殿である」、「神の教会である」と、そう言うふうにも呼ばれます。今、この三つの事について少しご一緒に考えてみましょう。そしてこの三つのことは決して別々の事ではなく、一つに繋がるものです。今日献堂する聖堂、これは「神の家」と呼ばれます。なぜならば、神の恵みがあふれているところだからです。
 私たちは神ご自身が、ご制定になった恵みの手段であるいろいろの秘跡を、この聖堂で受けます。神の子となるために、罪が赦され聖霊をいただくあの洗礼から始まって、数々の恵みを受けるその「場」であります。なかでも私たちの救いの頂点である秘儀、即ち過ぎ越しの神秘である感謝の祭儀が行われる尊い場であり、また同時にもしも私たちが孤独であるならば、この聖堂に来て神の慰めを受け、或いは苦しみに逢うとき、神の助けを頂きます。私たちにとってこの聖堂、教会は、誠に恵みの場であり尊い場です。
 私達は一方において、もっと教会の内的な姿を眺めなければならないと思います。ここには素晴らしいステンドグラスがあります。ステンドグラスは外側から見ると、決して特別美しいものではありません。むしろ内側から外に向かって見るとき、その本当の美しさがわかります。それと同じように教会の内的な姿、それこそ教会の本当の姿です。今日第二の朗読でペトロは、「あなた方は生きた石である」と。当時のイスラエルの建物、今でもそうですけれども石で出来上がっています。石が積み重なって一つの家が出来上がります。しかしその石の家には、それを支える大きな石がなければなりません聖パウロはその基となる石、それは旧約の預言者達であり、又使徒達であると。すなわち使徒達の信仰そして預言者達がのべ伝えた神、その上に私達の生きた石は、積み重ねられている訳です。
 でも、その要め石となるものは、すなわちそれを完全に支え他の石を生かしている石、それは神ご自身であり、捨てられたキリスト、見捨てられたキリスト、十字架につけられ殺され、しかし復活して下さったキリストが、その大きな要め石です。これは聖ヨハネ福音書によりますと、ぶどうの木と枝との関係、ぶどうの枝に、幹に繋がっていない枝は成長いたしません。そしてそれを生かすもの、それこそキリストです。また聖パウロの言葉を借りますならば、教会は人間の体に例えられます。私たち生きた石である私達は、その人間の体の部分部分であり、それを一つに集めそして生かして下さるもの、それはキリスト、神の霊です。また同時に聖パウロがおっしゃる様に、しばしばキリスト者にむかって「あなた方は知らないのか、あなた方は神の神殿である。あなた方の中には神の霊が宿っている」と、私達一人一人も教会である様に話されました。
 私たちはこの三つのことを、今日考え合わせたいのです。神様が私たちをご自分の子供として、ただ名前だけではなく、ご自分を生かしていた霊、聖なる霊を私たちに与えて下さり、それによって教会が一つの共同体を作り、そして成長していくことを望まれました。しかし同時に私たちは、弱い、そして沢山の過ちを犯す人々です。従って私たちはこの教会共同体の中で、そしてしかもこの聖堂でうける神の恵み、この聖堂で聞く神のみ言葉に強められて、教会を育てていかなければならないのです。神様の救いの計画と言うのは、この教会を通して教会の他の人と共に救われる事を、お望みになっておられるのです。従って私たちを生かし、そしていつも力づけるこの聖なる場、それは私たちの力の源であり、そして私たちの家でもあります。
 私たちはこの様な素晴らしい聖堂を与えられた機会に、もう一度神様が私たちにかけていらっしゃる大きな期待をも、思い起こさなければならないと思います。それは「この教会共同体が、一つであるように」。これはキリストの最後の最後まで私たちに望まれたことでした。 「皆が一つであるように」、「私と父が一つであるように皆が一つであるように」と。しかも人間の体、ぷどうの木に例えられる教会は、成長していかなければならない教会です。私たちその教会を形作るものは、この聖堂のために皆が責任を持っていると言うことをも、呼び起としたいと思います。
 全世界に行って福音を述べなさい。父と子と聖霊のみ名によって洗礼を授けなさい。この神のみ言葉それは、教会全体すなわち私たち全ての者に与えられた、神のみ旨です。
 こう考える時私たちは、この聖堂を通して与えられる恵みを、ただ自分のためだけに頂くのではなく、私たちの周りの人、私たちの近くの人々、そして特に苦しみ、悩む人々の為に、その力を使わなければならないと思います。丁度イエス様ご自身がなさったように、私たち一人一人も、その様に生きていかなければなりません。この生きた石で作られた教会は、信、望、愛によって一つに繋がっているものです。私たちは従って信仰を強め、そしてキリストの復活にさらに大きな望みを持ち、そしてなかでも互いに愛し合うことによって人々に神様の慈しみを、神様の愛を証ししていかなければならないと思います。これ程立派な聖堂を頂いた皆さん方に、きっと神様はもっと大きなことをお求めになっているかも知れません。皆様を通してこの多摩の地に、神様の愛があまねく行き渡ります様にと、望んでいらっしゃるに違いないと思います。
 その恵みを願いながら更にこの儀式を続けていきたいと思います。



ペトロ岡田武夫大司教様と共に、
そして、白柳枢機卿様・森司教様ありがとうございました
                                宮下 良平神父

 6月12日(月)に、かねてより辞任を願い出ておられた白柳誠一大司教様と森一弘補佐司教様は、教皇庁より辞任が受理され職を辞することになりました。
 そして、東京教区出身で浦和教区長のペトロ岡田武夫司教様が東京教区長として大司教に任命されました。
 白柳枢機卿様は三十ニ年間、また森司教様は十五年間にわたり東京教区の私たちのために心をくだかれ導いてこられました。そのお二人のご尽力に心から感謝しております。本当に御苦労様でした。
 特に多摩教会は多摩ニュータウン建設当初、白柳枢機卿様が直接に関わられ、枢機卿様司式による入居家族が集まった家庭ミサから始められた教会共同体として出発しました。そして三十年近く経った今年の5月14日(日)に白柳枢機卿様の主司式による献堂式を迎えることができました。枢機卿様の東京教区長としての最後の献堂式が多摩教会であったということも、私たちにとっては神様の計らいだったかもしれません。
 また、森司教様は私が洗礼の教理を関口教会で受けて以来お世話になっております。近年、特に青少年委員会の仕事を一緒にさせていただきながら、森司教様のとことん自分は仕える者として相手の心と同じ立場に立たれる姿勢に深い感銘を受けております。そして大きな教えを受けております。

 ところで、白柳枢機卿様と森司教様は6月12日をもって、一切の東京教区の仕事から離れられました。ただ、岡田大司教様が東京教区に着座される9月初めまでは、森司教様が教区管理者として選ばれ、その間の東京教区の行事などを執り行うことに
なっております。
 お二人は東京教区の役職を辞められたとはいえ、司教を辞められたのではありません。白柳大司教様は「枢機卿」としての役割(教皇様から諸問題を諮問される枢機卿団の一員)をこれからも担ってゆかれることでしょう。また、森司様は教区の仕事を離れて、信濃町の真生会館に居を構えて聖書を多くの人々に教えながら、福音宣教を今まで以上に積極的になさることでしょう。
 お二人の司教様がこれからも神様の豊かな恵みをいただきながら福音宣教のために働かれますようお祈りいたしましょう。

 また、私たちの教区長となられた岡田大司教様は確か千葉県の柏教会出身で、浦和の司教様に叙階される前は東京教区司祭でした。
 今まで二人の司教様が分担しておられたことを多分何年間はお一人でこなすことになるでしょうから、大変忙しくしかも大変重い職務に就かれたことになります。
 岡田大司教様が東京教区に着座されてから、一日も早く東京教区に慣れていただき聖霊の導きの中で私たち神の民を導かれますようにお祈りいたしましょう。
 そして、私たち多摩教会共同体の一人ひとりも東京教区の指導者であられる岡田大司教様の教えを受けながら、福音宣教のために今まで以上にこの地の多くの人々に関わってゆきょしょう。

               神に感謝。

        高幡教会 さつき祭
                                  加藤 泰彦(南大沢)

 献堂式の翌週、5月21日(日)におとなりの高幡教会でさつき祭(バザー)が開かれた。これは毎年恒例の行事で、30年近い歴史があるそうだ。高幡教会は、今回、この収益を全額、多摩教会のために寄付して下さるとのことで、多摩からも、たくさんの方々が参加
され、コルベ会を中心に出店もした。
 広い臨時駐車場も車で満杯。教会の前庭にはたくさんのテントが張られ、食べ物、飲み物はじめ様々な品々がならぶ。そのにぎわいは大変なもので、人をよけて移動するのがかなりきびしい。
 皆さん、ものを買ったり、食べたり、飲んだりというよりも、この場で出会うたくさんの人々との、束の間のコミュニケーションを一番のごちそうにしているようで、あちこちで話の輪ができていた。
 当日は、初代主任司祭のロワゼール神父様も、たまたま日本で会議があって、カナダから飛び入り参加されていた。
 楽しそうな、話の輪に包まれて、あっという間に時間は過ぎた。聞くところによると、多摩教会の水饅頭は大好評であったとのこと。この日の売上28万円あまりが、多摩教会に献金された。高幡教会の皆さんに感謝

    ミニバザーご苦労様でした!
                                   井上 信一

 6月11日聖霊降臨の主日のミサの後、建設資金のためのミニバザーを開催しました。5月に献堂式やさつき祭への参加などの行事があったため、十分な準備期間がとれず、本当にミニミニのバザーでしたが、純益20万円近くを上げることができました。ご婦人方の準備も短期間で大変だったと思います。何時ものことながら、ケーキやお菓子作り、パン焼き、手芸品の作成、献品の整理や値段付け、食料品や飲み物の買い付け、売り物の袋詰めなどなど、ほとんど前の週に集中してやっていただきました。時間と労力を費やし、それに大半の材料費を負担していただき感謝いたします。当日はあいにく雨が降りましたので、ビールの売れ行きが思うようにはいきませんでしたが、信徒館が100パーセント使えるようになったので、売場には問題ありませんでした。
 10万円を超える甘夏みかんの利益とともに、30万円以上の特別献金を確保することができました。皆様のご協力に深謝いたします。また秋には本格的なバザーを予定しておりますので、さらに沢山の方々のご協力を お願いいたします。                


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